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From Hiron to many NetWalkers♪

ブーメラン

2006年04月28日 23時49分33秒 | Hikki
自由という響きには、気ままに好き放題しているイメージがあります。
でも字を見てみると”自分に由来する”と書くんですね。
自由に行動してきて今ある結果は、全て今まで自分がしてきた事に由来します。
つまり自らの判断、そして選択の結果なのだから、
どんな結果になっていても全ての原因は、自分にあるのです。

>やっぱり、人のせいにできない仕事をやっていきたいんですよ。
忙しいのはどうしてだ?辛いのはどうしてだ?
全部自分のせいだ、っていうのがいい。(Invitasion 5月号浦沢×Hikki対談より)


こんな事を言うHikkiの精神は、自由そのもの、と言えるのかな。
自由というものが自分の中で起承転結しているという事だとすれば、
自由って究極の自己完結なのかもしれません。

ところで自由に行動するからには、自分で責任も負わなければなりません。
責任という響きには、全力を尽くします、一身を捧げますという固い決意を感じます。
ところがこちらは、字を見てみると”責を任す”と書きます。
そんなものを嫁に転がすなと。(笑)
他人の力を本気で願うなと。(笑)
思わず突っ込みを入れたくなるような字であります。

こちらは自己完結な自由とは対照的に、
全力で人に甘えている状態と言えそうです。

まるで相殺してしまうかのようなこの二言からは、
ゼロに戻る、自分の原点にかえるという事も連想出来そうです。

”自由”と”責任”を、人に置き換えて考えてみると面白い。
本来なら内向的な作業を好む人が、不本意ながら
外の世界の力を借りなければならない場面になってしまったという感じです。

>結局、一人でやる内向的な作業が一番心地いいんですよね。
そういうときようやく、家に帰ってきたなって思える。
一人の世界で作り上げた作品って違うじゃないですか。他の誰も入れない世界。
水を足してない原液のような世界がありありとわかる作品が好きで。
正直、それを手放さなきゃならないのが嫌だった。


プライベートゾーンもしくは聖域もしくは結界(笑)
とにかく自分の領域に人を受け入れなきゃいけないというのは、
これはかなり苦痛です。

誰かに「助けて!」と言うのは、
実は「ありがとう」や「ごめんなさい」を言うより難しい。
プライドを捨てないと出来ないのが、お願いなのかもしれません。
けれど人と関わり合って生きていくという事は、
社会生活をしていくうえで避けては通れないものです。


今月25日から放映が開始された”日清カップヌードル”のテレビCMで、
「This Is Love」という楽曲を提供しているHikki。
今回のCMのテーマは「FREEDOM 自由を掴め。」という事です。
企画サイト「FREEDOM-PROJECT」の中でHikkiはこの楽曲について、
次のようにコメントをしています。

>人と真剣にかかわり合うということは、
結局「自分は何がしたくて、何が欲しいのか」を探す新しい旅に出ること。
そこからが大人への始まり。
愛とは、不安と安らぎという両極の振り幅の間にこそあるものかも、
ということを表現したかった曲です。


自由を掴めとは、自身の本意を知れ、という事なのかな。

>最近は手放す楽しさもわかってきたけど。

この言葉に解放される思いです。
発明者ではなく、発見者という視点で物事を見れば、
遊び心も生まれてくるものなのかもしれませんね。