元外資系企業ITマネージャーの徒然なるままに

日々の所感を日記のつもりで記録

ミシェル・ド・セルトー著「日常的実践のポイエティーク」。翻訳もわかりづらいので途中で放棄した。タイトルから類推してポイエティーク的な日常を実践する。 #読書 

2021-08-05 08:08:00 | 読書
ミシェル・ド・セルトー著「日常的実践のポイエティーク」。翻訳もわかりづらいので途中で放棄した。タイトルから類推してポイエティーク的な日常を実践する。

疋田桂一郎さんの1970年5月から1973年3月までの「天声人語」。当時の記録を今読むと色々と考えさせられる。やはり、その時代を映す文学だったり、コラムだったり、エッセイは後世に伝えないと。

2021-06-27 14:55:04 | 読書
戦後の朝日新聞にこの人ありと言われた疋田桂一郎さんの1970年5月から1973年3月までの「天声人語」から珠玉のコラムを抜粋。私が14歳(中三)から17歳(高三)までの時期だ。当時の記録を今読むと色々と考えさせられる。やはり、その時代を映す文学だったり、コラムだったり、エッセイは後世に伝えないと。以下、気になったコラム。

1970年6月18日
で全逓労組(旧郵政省の労組、主に郵便局)の意識調査「一番興味を持っているもの」、①安保・沖縄・ベトナム②海外旅行③合理化④学生運動⑤万国博⑥自民党総裁選⑦スターの私生活⑧グループサウンズとなっていると。
当時も労組の政治意識は高かったのだ。

1970年8月15日
戦争体験を語る大人が、今は若者から戦争責任を問われる。「なぜ戦争に反対しなかったのか」、「どうして今、平和を守るために立ち上がらないのか」。
当時20歳の若者だから、今70歳ぐらい。でも今の若者から「何故自民党政権を選択してきたのか」、「何故小泉政権に熱狂して支持したのか」と問われることない。衰退していく一方の日本である。

1970年9月15日(敬老の日)
総理府の意識調査「老後の生活は誰が責任を持つか」。当時の若者達の75%以上は「自分の責任」、「社会の責任」と答えた。60歳代以上は「家族の責任」と答えた。
当時の若者は今70歳代、80歳代で「家族の責任」と思っている人はいないだろう。だからみんな自分で頑張っているけど、削り過ぎた福祉のしわ寄せに苦しんでいる。

藤原正彦著「国家と教養」読了。確かに筆者が言うように民主主義の発展には、国民の教養が大事であることは、歴史を見れば一目瞭然である。テレビと新聞に騙されることなく本質を見る目は、教養が養ってくれる。

2021-06-19 10:20:59 | 読書
藤原正彦著「国家と教養」読了。父は新田次郎、母は藤原てい。(両親とも作家)
筆者は数学者で、日本の他にもアメリカやイギリスで数学を教えた経験を持ち国際経験が豊か。私と同じように小泉竹中改革で沈みゆく日本を目の当たりにして政治に興味を持ち、これでは日本はだめだと教養の重要をまとめた本。大学の教養課程で教える自然科学、社会科学(政治、経済、社会)、人文科学(特に読み継がれてきた哲学や文学の古典や、学ぶことの多い歴史がお勧めと)を幅広く勉強して教養を身に着けようという趣旨であり、西洋と欧米の教養の歴史もわかりやすくまとめられている。
確かに筆者が言うように民主主義の発展には、国民の教養が大事であることは、歴史を見れば一目瞭然である。テレビと新聞に騙されることなく本質を見る目は、教養が養ってくれる。

神奈川県立近代文学館の「三浦哲郎展」。 井伏鱒二さんが、若き三浦哲郎さんに送った自筆の手紙を読んで感動した。

2021-06-08 13:21:00 | 読書
神奈川県立近代文学館の「三浦哲郎展」。
井伏鱒二さんが、若き三浦哲郎さんに送った自筆の手紙を読んで感動した。
「とにかく僕らは書こうよ、書くしかないじゃないか。小説は文章だ」
「しんとして古典を読むことと習作を重ねること以外には、廻りくどい人生航路を取る他にない」
僕らはには書くしかないよねぇ
#読書 #神奈川県立近代文学館 #三浦哲郎 

植村邦彦「市民社会とは何か」読了。アリストテレス時代から現代まで、時代の状況に合わせて定義が変わった過程を丁寧に解説した、とてもわかりやすい名著。

2021-06-03 20:25:00 | 読書
植村邦彦「市民社会とは何か」読了。アリストテレスの定義から、ルソー、スミス、ヘーゲルを経て、マルクスへと、その時代時代の状況に合わせて定義が変わった過程を丁寧に解説した、とてもわかりやすい名著。
そして、自助(自己責任)の新自由主義時代の現代は、政府が公助(社会保障や福祉など)を削る穴埋を自助と共助(家族からNPOの活動など様々)が補完する公共的活動を意味するようになってしまった「市民社会」。結局、よりよい社会を目指して、他人と協力する公共的な場が不可欠なのであるが、その場を市民社会と呼ぶにはあまりに歴史的定義と違う。