岸田外務大臣の韓国での従軍慰安婦に対する安倍のコメントを聞いて、司馬遼太郎の「竜馬がゆく」の以下の文章を思い出した。
「同じ内容の言葉をしゃべっていても、その人物(竜馬のこと)の口から出ると、まるで魅力が違ってしまう事がある。人物であるかないかは、そういう事が尺度なのだ」
司馬遼太郎著「『竜馬がゆく』1巻 (文春文庫)より
「自分の腹の中でちゃんと温もりのできた言葉だからで、その言葉一つ一つが確信の入った重みがある。黙って聞いていると、その言葉の群れが、小五郎の耳から心にこころよいすわりで一つ一つ座ってゆくのである。
そのくせ、雄弁ではない。体全体がしゃべっているような訥弁で、そのうえ、ひどい土佐なまりなのである。(こういうのを人物というのかもしれない。同じ内容の言葉をしゃべっていても、その人物の口から出ると、まるで魅力が違ってしまう事がある。人物であるかないかは、そういう事が尺度なのだ)」
「同じ内容の言葉をしゃべっていても、その人物(竜馬のこと)の口から出ると、まるで魅力が違ってしまう事がある。人物であるかないかは、そういう事が尺度なのだ」
司馬遼太郎著「『竜馬がゆく』1巻 (文春文庫)より
「自分の腹の中でちゃんと温もりのできた言葉だからで、その言葉一つ一つが確信の入った重みがある。黙って聞いていると、その言葉の群れが、小五郎の耳から心にこころよいすわりで一つ一つ座ってゆくのである。
そのくせ、雄弁ではない。体全体がしゃべっているような訥弁で、そのうえ、ひどい土佐なまりなのである。(こういうのを人物というのかもしれない。同じ内容の言葉をしゃべっていても、その人物の口から出ると、まるで魅力が違ってしまう事がある。人物であるかないかは、そういう事が尺度なのだ)」