父は、僕たち家族を養っていくために無理をして働いています。父の体は無理をしないと働けない体なのです。右半身の運動麻痺、左半身の感覚麻痺だけでなく、手の震えなどたくさんの障害が父を苦しめています。それに、仕事の内容も力仕事で、普通の人がしても大変なことをこなす父は、どれだけ大変なのだろうと思います。朝の七時前に家を出て、夜の七時近くに家に帰る父の作業着はいつも汚れていて汗でびっしょり濡れています。
僕は受験を前にしたこの一年、自分の歩む道や進学する高校についていろいろ悩んでいました。高校の一覧表を手に机に向って一時間も二時間も考えたことがありました。
そうして考えていると、父はよく僕の部屋へ入ってくるのでした。最初は部屋を眺めて
「いい部屋だなあ。」
と決まって言うのでした。それから父は僕に進路のことについて聞いてくるのです。僕は、父にも母にも悩んでいることなんて一言も言っていないのに、まるで父は、すべてを知っているかのように、僕の悩んでいたことをズバリと言い当てるのです。父はうまくしゃべれない時があります。言葉が出ないのだそうです。
「上の高校に行ったからといっていいというわけではないよ。かといってしたのよ、うーんと、んー。」
話の途中で言葉が出なくなり、口を開けたり閉じたりして、必死に父は話しかけてきます。
六年前のあの日、朝ドタドタッとリビングに駆け込んできた父は、そのまま倒れました。ふらつく足で何度も壁に当たり、父はようやくリビングにたどり着いたのでした。初めは冗談だと思ってしまい、本当のことだと分かった時は、ショックが大きかったです。やがて救急車で父は病院へ運ばれていきました。
父は命を取り留めました。父が車いすに乗るところを見て僕は事の重大さを知ったのでした。
父は入院中に毎日メモをとっていました。その手帳をのぞいてしまったことがありました。手帳の初めに
「あさ、倒れて、救急車で病院へ」
という文字。父はとても達筆でしたが、手帳に書かれた文字はそうではありませんでした。しかし、必死にリハビリに励む父の姿と重なって、とても美しく感じたことが今でも心に残っています。
父と話し終え、父が部屋から出て行くと、僕はまた机に向かうのでした。病気を乗り越えて、今の生活にたどり着いた父の言葉一言一言から僕はエネルギーをもらいます。そして心の中に抱いていた、中学校の国語教師になりたいという夢が、父の言葉でより大きく固いものとなるのです。
中学校の国語教師になる事は、たやすいことではないでしょう。しかし、父のように、コツコツ努力を積んで僕は夢を叶えます。
父の
「素直な心と丈夫な体」
という言葉を心の糧にして。
今から3年前
長男が中三の時、地区の弁論大会に出場したときの原稿です
卒業文集から引用しました
ブログで公開することは本人の了承を得ています
親バカだと思って笑ってください