古代日本国成立の物語

素人なりの楽しみ方、自由な発想、妄想で古代史を考えています。

天日槍と都怒我阿羅斯等の考察②

2017年07月22日 | 古代日本国成立の物語(第二部)
 さて、阿羅斯等が来日したときの最後の上陸地点が敦賀であったことが倭人伝に一致するかどうかは疑問が残ると前述した。実は「投馬国から邪馬台国への道程」ですでに書いた通り、倭人伝の行程で出雲を出て水行10日後の上陸地点について「丹後半島の手前、現在の兵庫県の日本海沿岸のどこか、あるいは兵庫県まで行かずに鳥取県の東端、現在の鳥取市あたりかも知れない」とし、さらに「水行の際にどうして丹後半島まで行かなかったのだろうか。できるだけ水行で進むのが楽なはずである。さらに言えば丹後半島を越えて敦賀あたりまで行って上陸し、琵琶湖を利用して瀬田川を下り巨椋池から木津川に入って大和を目指すのが最も楽な行程ではなかろうか。(中略)つまり丹後が倭国に属していなかった、あるいは出雲と対立していたということではないかと考えている」ということも書いた。倭人伝が書かれた弥生時代後期、倭国の勢力は出雲から水行で東へ向かうとき、敵国の地である丹後半島を越えることができなかったが、記紀が編纂された7~8世紀、その地はすでに統一国家である日本の領域になっており、敦賀の地は日本海から大和に向かう際の最も効率的なルートとして認識されていたので、書紀ではそれを前提に敦賀が阿羅斯等の上陸地として記述されたのだ。これが倭人伝に書かれた邪馬台国への行程と書紀のそれとの相違の理由だと考える。

 都怒我阿羅斯等と天日槍が同一であるとの考えからスタートしたものの、私自身が納得できる合理的な説明に至らず、逆に阿羅斯等の来日ルートから倭人伝における邪馬台国までの行程に思いが至り、このように考えた。ただ、このように考えたときに阿羅斯等にまつわる残りの話、すなわち、牛・白石・童女・比売語曾社の神の話がなぜ古事記で天日槍の話になっているのか、逆に言うと古事記における天日槍の話が書紀ではなぜ阿羅斯等の話になっているのか、ということの説明も必要であろう。
残りの話を整理すると、古事記では「天日槍は、女が日光を受けて妊娠して生んだ赤玉が化身した少女を妻にしたが、その妻が日本へ帰ったので追って来日。妻は難波の比売碁曾社に祀られている」となり、書紀では「阿羅斯等は、行方不明になった牛の代わりに手にした白石が化身した童女を追って来日。童女は難波と豊国で比売語曾社に祀られている」となる。

 古代朝鮮半島では高句麗の建国王である東明聖王の神話にあるように、日光によって妊娠するという天光受胎や、卵から王が生まれるという卵生神話が見られる。新羅の建国王である赫居世も卵から生まれたとされる。このことから天日槍説話は朝鮮半島の神話をモチーフにしていることがわかる。また、赤色は儒教において最高位の色とされ、五行思想でも夏や太陽を表す陽中の陽とされる。古代日本においても魔除けなど呪力を持つ色とされる。いずれも新羅王子のイメージに合っている。これらにより、この話はもともと朝鮮半島由来の天日槍にまつわる話である、すなわち古事記の記述が正しいと考えられる。しかし、書紀においては古事記になかった都怒我阿羅斯等を同じ朝鮮半島の大加羅国王子として登場させる必要があり、そのために古事記の天日槍の話からこの部分を切り離して転用したのではないだろうか。その際に天光受胎の話を抜き、赤色を同じ神聖な色とされる白色に変え、あたかも別人の話として変化させてしまったと考えられる。比売碁曾社(比売語曾社)の話もその際にセットで転用されたのだろう。
 
 
 
「神話」から読み直す古代天皇史 (歴史新書y)
若井 敏明
洋泉社



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