古代日本国成立の物語

素人なりの楽しみ方、自由な発想、妄想で古代史を考えています。

見晴台遺跡

2017年06月08日 | 遺跡・古墳
4月下旬のゴールデンウィーク直前に名古屋出張の機会を得たので翌日に、名古屋市南区見晴町の笠寺公園内にある見晴台遺跡を訪ねた。

東西約120メートル、南北約200メートル、幅・深さとも約4メートルの環濠に囲まれた弥生時代後期の環濠集落遺跡である。旧石器時代の石器や縄文時代の土器片も出土しており、長期にわたって人々が暮らした様子が伺える。それもそのはずで、この遺跡は笠寺台地の上に立地しており、見晴台という名称がピッタリの場所で、水害や敵の襲来から守るには絶好の場所である。誰が考えてもここに居を構えたいと思うだろう。

現在までに200軒以上の竪穴住居跡が重なりあった形で検出されている。この遺跡を有名にしたのは、1940年に発掘された銅鐸を模した「銅鐸形土製品」と呼ばれる土器片である。1937年に名古屋市西区の西志賀貝塚に次ぐ日本で2例目の発見という。


台地上の遺跡の中に名古屋市見晴台考古資料館が建てられていて、遺跡を肌で感じながら学ぶことができる。





資料館に展示されている「銅鐸形土製品」。レプリカです。



資料館の裏に「住居跡観察舎」というのが建てられて、発掘時の状況の一部がそのまま保存されている。



竪穴住居も復元されている。最初の復元がまずかったのか数年前に倒壊したらしい。何というお粗末さ。今は再び復元されている。



周囲よりも標高が高くて見晴らしが効くことから、太平洋戦争時に高射砲6基が設置された。名古屋市内を空襲する為に伊勢湾方面から飛んできたB-29を撃墜する為のものだ。その内、2基分の土台が今も残されている。高射砲ごときで打ち落とせるのかと思うのだが、実際に打ち落としたB-29の垂直尾翼と見られる金属塊が見つかり、資料館に展示されていた。




この遺跡のすばらしいところは、毎年夏に公募による市民発掘が行われていることだ。身近なところに遺跡があって、子供でも自分で掘ることができるなんて、羨ましい限りだ。掘ってみたい。


その日の夜は贅沢して櫃まぶし。
コメント
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