信長が生まれる前、父親の信秀の時代から始まる。
信長が生まれた時の信秀の戦国時代らしい喜びようはとても心温まるエピソードでした。
手ずから黒鯛を吊り上げるため船をだすのです。
木曽川の河口では上げ潮が始まったばかりで、河の流れと海の潮とが激しくせめぎあっている。
水面が泡立つこの場所こそ川の魚を狙って黒鯛の集まる格好の魚場なのだ。
三尺もある黒鯛は簡単には釣りあげられない、脇差を手に海に飛び込み鉤をふりほどこうともがきながら
緑色の鋭い目で信秀をにらんだ。龍のように気迫のこもった恐ろしい眼つき(その闘気、せがれにもらった)
スラリと背が高く、しなやかな筋肉におおわれている。
槍をついても弓を引いても家臣たちにおくれを取ることはなく、騎乗の腕前はならぶ者がないほどだった。
この冒頭で、いったいどんな人だったのかと・・
「ようやった。気の強そうなええ児だがや」信秀は政子(土田午前)の手をにぎってねぎらいの言葉をかけた。
「黒鯛の生き胆を食べて精をつけやあせ」と・・
強さと優しさをあわせて持つ、ほんとに強い男を思って・・続きを早く読みたいと思ったのです。
言葉は名古屋弁で書かれています。柔らかさの中にもはっきりした語尾で強さも現れています。
とてもいい感じでした。
信長を生まれた日から、跡取りと決めて家臣たちに宣言している。(あの素晴らしい名古屋弁で)
「やがてはわしの世継となり、織田家の名をあげる武将となるだろ。
そのことを肝に銘じておきゃあせ」と。
信長を自分の跡取りとしていつくしんで育てながら、尾張統一を夢として戦場を駆け回り、
婚姻によって同盟を広げいくのです。
その心情は家族を愛し、家臣を信頼しそのために領土を広めていくのです。
その言葉、行動で隠すことなくあらわされています。
物語と思いながらも、ほんとに素敵なお方だと・・(^^)
しかし、病に倒れてその晩年はみじめに書かれています。
信長はその現状をしらぬまま、信秀の心変わりをとても辛く思っていたようです。
激情の人の印象の強い信長ですが、そのことがなければきっと違った天下統一の道をたどったかもしれません。
そして私が知っていた美しいはずの濃姫は妻というより同志のように書かれています。
困難な時に助ける妻、でも閨をともにすることはなかったと描かれています。
それはどうなんでしょうか?子供も産まなかったことはたしかなようですけど・・
同志だから男女ではなかったとは言えないと思うのですけど・・
でもそういう関係もまたいいかな~~人間として認め合った関係。
その方が強い結び付きを感じますね。
いままでの信長像とは違い、父親を愛しその影響を強く受けている人間らしい若かりし信長はとてもいい感じですよ。
残酷で烈火の如く怒る信長ではなくです。
でも本としては「蒼き信長」ではなく「織田信秀」でよかったのではないか・・っておもうのです(^^)
ほんとの男は戦国時代にしかいないのではないかって思ってしまいますね。
だから歴女なんて人が増えているのかも知れませんね(^^;