蛇の問いかけ
手足を持たず、飛ぶ翼も、泳ぐヒレも持たない。神秘そのものといってよい姿を持つ蛇は、
実際、途方もなく不思議な魅力を持つ生き物だ。
世界に無数に存在する神話や伝承の中で、蛇はしばしば生命の力の象徴とされてきた。
脱皮は新たな生まれ代わりを、自分の尾をくわえた蛇の輪は、永遠の循環を象徴する。
無限と、自ら再生する命の力のシンボルである。
あまたの物語に登場し、太古の世界の怪物として退治される巨大な蛇たちも、
秩序によって統制される以前の、原初の生の力の体現なのかもしれない。
エデンの園で、蛇が「知恵の木の実」を食べるよう人をそそのかし、神に「最も呪われた獣」と
された旧約聖書の話は有名だが、それより以前の中近東の地で、女神と蛇が神と崇められていた歴史をふまえれば、
これも見方が変わってくる。
豊穣を司る母なる地の神と、永遠の命を象徴する蛇。
片や、これを征服した父なる天の神は、すべてを創り、与える存在であった。
蛇の力は断罪され、無限の循環は断たれ、そして命のベクトルはその方向を変えねばならなかった。
めぐる輪から一直線に、「最後の審判」という終末に向けて。
目的に向けた前進、進歩、限られた時間の中で最大限の努力。
こうした何らかの「終着点」を目指し生き方の方向性が、人に発展の歴史をもたらしてきたことは確かである。
しかし、行き着いた先、今この世界で「循環」という言葉が、
強く意識され始めている。
「右肩あがり」が良いとされる世界。その「終末」になにがあるのか?
人はそこで、本当に幸せに生きられるのか?自分の尾をくわえた蛇が、問うている。
私たちは、見つけられるだろうか。
エデンの園で見失った、調和と循環への道標を。
wwfマガジンより
面白いですね。
蛇は苦手だけど、蛇は神の使いだと言われていた頃もあったようです。
神は八百万の神々です。
人間が創った神ではありません。感謝の心から生まれた神々。
太陽の、地の、海の、山の・・・すべての命の神。
いつの間にか忘れた感謝の心から神々は逃げ出していきました。
今、また日本は経済政策だけにのめり込もうとする政権をよしとする傾向にあるようです。
原子力発電所の再稼動をよしとする人が増えてきたそうです。
日本は同じ過ちを繰り返そうとしているような危うさを思います。
手足を持たず、飛ぶ翼も、泳ぐヒレも持たない。神秘そのものといってよい姿を持つ蛇は、
実際、途方もなく不思議な魅力を持つ生き物だ。
世界に無数に存在する神話や伝承の中で、蛇はしばしば生命の力の象徴とされてきた。
脱皮は新たな生まれ代わりを、自分の尾をくわえた蛇の輪は、永遠の循環を象徴する。
無限と、自ら再生する命の力のシンボルである。
あまたの物語に登場し、太古の世界の怪物として退治される巨大な蛇たちも、
秩序によって統制される以前の、原初の生の力の体現なのかもしれない。
エデンの園で、蛇が「知恵の木の実」を食べるよう人をそそのかし、神に「最も呪われた獣」と
された旧約聖書の話は有名だが、それより以前の中近東の地で、女神と蛇が神と崇められていた歴史をふまえれば、
これも見方が変わってくる。
豊穣を司る母なる地の神と、永遠の命を象徴する蛇。
片や、これを征服した父なる天の神は、すべてを創り、与える存在であった。
蛇の力は断罪され、無限の循環は断たれ、そして命のベクトルはその方向を変えねばならなかった。
めぐる輪から一直線に、「最後の審判」という終末に向けて。
目的に向けた前進、進歩、限られた時間の中で最大限の努力。
こうした何らかの「終着点」を目指し生き方の方向性が、人に発展の歴史をもたらしてきたことは確かである。
しかし、行き着いた先、今この世界で「循環」という言葉が、
強く意識され始めている。
「右肩あがり」が良いとされる世界。その「終末」になにがあるのか?
人はそこで、本当に幸せに生きられるのか?自分の尾をくわえた蛇が、問うている。
私たちは、見つけられるだろうか。
エデンの園で見失った、調和と循環への道標を。
wwfマガジンより
面白いですね。
蛇は苦手だけど、蛇は神の使いだと言われていた頃もあったようです。
神は八百万の神々です。
人間が創った神ではありません。感謝の心から生まれた神々。
太陽の、地の、海の、山の・・・すべての命の神。
いつの間にか忘れた感謝の心から神々は逃げ出していきました。
今、また日本は経済政策だけにのめり込もうとする政権をよしとする傾向にあるようです。
原子力発電所の再稼動をよしとする人が増えてきたそうです。
日本は同じ過ちを繰り返そうとしているような危うさを思います。