今日の一枚

 小さな幸せを
見つける名人になりたい

シミーズ

2014-05-10 14:07:58 | 昭和31年生まれ
 子供の頃って大胆。

幼稚園かな?小学校上がってたのかな~~?

まぁ、それほど大きくない頃の事、ご近所の小さな娘たちはシミーズで遊んでた(^^)

もちろん夏の暑い季節ですけど・・・

縄跳びをしたり、かくれんぼ、馬跳びなんて遊びを男の子も女の子も一緒に遊んでいたころ。

なんで、いつから、女の子はシミーズ一枚で遊ぶようになったのか?よく覚えてないけど母は恐い顔をしたことを覚えています。

そうそう、シミーズなんてこの頃ではすっかり言わなくなったけど・・女子の来ていた下着です。

タンクトップを少し長めにして・・綿もあったけどナイロン?ポリエステル?やわらかくて可愛いものでした。

スリップドレスみたいな(^^)そんな夏の暑い日にはとっても重宝する服でした。

とにかく下着で外に出ていたわけで、恥ずかしい行為だったと思うのです。

母はとっても恐い人で、よく『はたき』でたたかれました(>_<)

母は体が弱く、自分の手でたたくのはしんどいって・・『はたき』です。今なら虐待で近所に通報されるところです。

でも、ご近所の人たちもあまりのときは止めに入ってくれるゆとりがありましたね。

私も助けを求めたりもしました。長屋ではお隣の声は丸聞こえですから・・( 一一)

それでも「やめなさい」とは言ったけど、このことで叩かれた覚えはありません。

 そのころがきっと私にはとても楽しい日々だったのでしょうね。

夏の暑い日、汗だくで遊んでいればよい日々は・・(^^)

縄跳びは大縄をくるりくるりと回して、連続とびをするのです。

みんなで協力して長く飛ぶために一生懸命で遅れないように、走って飛んで・・走って(^^)

息を切らしてほんとに頑張って、その日の新記録を出すのです。協力して一つの目標をクリアする。

結構好きだったのに・・。

だんだん、人との結びつきを拒絶するようになったのはなぜなんだろう・・か?

 どうしてシミーズでの遊びは終わってしまったのかな?覚えてないのですけど・

母に叱られたから?それともご近所のお母様方がやめさせようと結託したのかな~~?

それとも自分が胸が膨らみかけて恥ずかしくなったからかな~~?

とにかく自然消滅していきました。

きっと小学校の高学年になり下着での外遊びが恥ずかしくなったこととか

ご近所のお友達より遊ぶ仲間も増えていったからなのでしょうか。

だんだんと人の目を意識しだしたこととか・・。


紙芝居

2014-04-12 19:30:30 | 昭和31年生まれ
 どんなお話だったかな~~(^^;

たいていはヒーローものかな??

水飴や型貫のべっ甲飴なんかを買って、それをなめてる時間くらいのお話だったのかな。

水あめはよ~~く混ぜると色が透明になったのか?白くなっていったのか?どちらだったかな(^^;

型貫のべっ甲飴も面白かったな~~うまく抜けると自慢したりして・・

近所の小さい子が集まって、お話がそれほど面白いとは思わなかったのに・・なぜか寄って行ってしまうのね。

 たくさん買った子が前の方に行けて、買わないとあっち行け的な~~そんなだったように思うのね。

私の記憶にあまりないので、きっと行かなかったのか行けなかったのか(-_-;)

興味がなかったのか・・?

 ぽんぽん菓子の器械も来てたな~。お米とお砂糖も持っていってボ~ンって結構大きな音がして、

今はお嫁さん菓子って言った方がわかるのかな?お米を炒って膨張させて爆発させて、お砂糖をこびりつかせて・・(^^)

甘くて美味しいの(^^)今でも好きだけどポロポロ落ちて、よく叱られたわ(^^;

 でもその記憶も遠いのは、それほど頻繁でもなくすぐに来なくなったからなような。

そろそろ時代も動いて、古いものを切り捨てていく時代が来ていたのかも。

我が家にもテレビが来て、お店には今でも忘れないマーブルチョコあって、大好きでおいしかったことを(^^)

お使いのお釣りでマーブルチョコを買って、こっぴどく父にお尻を叩かれたことは忘れられない。

黙って買ったことを怒ったのだろうけど、あれほどの折檻を受けることか~~(--〆)


お風呂屋さん4

2014-04-05 18:03:28 | 昭和31年生まれ
 尼崎の長屋住まいの我が家にはもちろんお風呂なんてものはない。

夕方になると風呂桶に石鹸、タオル。バスタオルに着替えの下着を巻いて、

抱えるようにして・・?いくらだったかな~~35円とか55円とか??ぐらい

脱衣場では鍵のかかる箱を重ねたような荷物入れがあって(^^)

寒い冬などは、なるべく風呂場に近い場所をとろうとしたものですけど・・

 私の行っていた銭湯はもちろん富士山の絵が描いてあって、両際に洗い場、真中に浅めの湯船と深め湯船がありました。

小さい頃は父親と男性風呂に入っていて・・小学校の2年生くらいまででしょうか。

母が体が弱くて、一緒にお風呂屋さんには行ったことはありません。

父親といつまでも入れませんので、ひとりで行くようになったのは早かったと思います。

小さい頃は浅めの湯船、5年生くらいから深めの湯船に入っていたような・・ずいぶん昔の話です。

 面倒くさがりの私にはそれほど好きな時間ではなかったように思います。

その頃からお家が好きだったというか、きっと一人が好きだったのでしょうね。

多くの人といるとストレスを感じていたのかもしれません。まして裸(^^;きっと恐怖さえ覚えていたかもしれません(^^)

 でもお友達と一緒に行くこともありました。

ついつい帰るのが遅くなって、お友達の親御さんが迎えに来たことがありました。

私より遠いお家のお友達だったので、心配されたのでしょうね。

怒られたようです。怒っていたように見えたのです私には。

父にそのことを話すと、私は「なんで一緒に謝らないんだ」って叱られました。

私は自分がとっても悪い子のように思い、辛かったのを覚えています。

そんなことを言われても、どのタイミングで謝ればいいのか?とてもわからないって思ったのです。

それから、お友達とお風呂屋さんに行かなくなったように思う(-_-;)



 

プラッシー

2014-03-30 14:51:01 | 昭和31年生まれ
 我が家の常備食だったプラッシーとチキンラーメン。

私は好き嫌いが多くて、味噌汁だって具によっては食べられない。

牛肉、豚肉、鶏肉もダメ。タンパク質は卵とイカなんて子供時代でした。

母は体が弱いので、食事の支度もままならない。

手間のかかる好き嫌いの多い私の相手なんかしてられない(^^;

そこに出てきたのがチキンラーメン。鶏肉嫌いの私だけどチキンラーメンは食べられる。

おなかのすかせた私は勝手にお米屋さんに走り、チキンラーメンを貰ってくる(^^)

貰ってくるという表現はよろしくないが、その頃は掛け売りがあった。

プラッシーもしかりです。ほんとにおいしかったですね。

オレンジジュースといえばプラッシー(^^)

 いまでも美味しいって飲めるんじゃないかしら(^^)

学校の給食は最悪、牛乳が飲めない、肉類だめの私はあのごった煮のような煮物。

ほんとに給食時間を楽しみにする級友たちを尻目に私には厳しくつらい時間だったのです。

今と違って、食べられないのは駄目なこと、だめな生徒のレッテルが貼られる時代です。

周りの級友も厳しく、牛乳が飲めないのなら牛乳瓶何本分だったか?の水を飲まされたこともありました。

その当時は自分が飲めないことが悪いと考えていたのですけど・・いじめですよね。ひどい級友たちだ(--〆)

 こんなことが人と馴染めない一因になっているのかな~~?


晴れ着

2014-03-21 17:57:01 | 昭和31年生まれ
 忘れられない夢がもうひとつ。

私はなぜか?晴れ着を着ています。

お正月が近かったのでしょうか?それもいつもの晴れ着ではありません。

金糸銀糸を使って御所車や桜、流水など描かれたとってもきれいな晴れ着。

髪の毛も結いあげ、とってもゆっくり歩いているのに・・・(T_T)

私はわざわざ泥水にこけてしまうのです。

裾も袖もすべて汚れてしまって、私は泣きだしています。

それも号泣です。涙が頬を流れていきます。

いったい何を泣いているのかしら?晴れ着が汚れたから、お母さんに叱られるから(母は恐かった)

自分の情けなさに。とにかくこんなに泣くかってくらい・・・

 そして目覚めた時、起きた私の頬にも涙が流れていたのです。

実際に起きたことではないことは確かで、私はそんな高価であろう晴れ着は持っていない。

それに二段ベットのなかで目覚めたのだから・・確かに夢だったのです。


飛ぶ

2014-03-19 18:37:52 | 昭和31年生まれ
 小さい頃によく見た夢は空を飛んでいる夢です。

何かに乗ってとか、つかまってとかじゃなく。

私はなんと平泳ぎで泳いでいるのです(^^)

そして眼下にはお友達の家があり、空き地があり、川があり、

そして我が家もあります。長屋は5件ほどが同じ形で一枚の屋根。

その他にも、棟が違うけどほぼ同じ高さの長屋が両隣りに続いています。

全部で何件ぐらいだったのでしょう・・?

狭い路地や道がまっすぐにありました。

 そんな風景が鳥瞰図として夢の中に出てくるのです。

もちろん子供頃には鳥瞰図なんて思いもせず、空からの眺めを面白く感じていたのです。

でも、今思い出してもかなり正確な鳥瞰図だったように思うのです。

 いったい夢の意味はなんだったのでしょうか?


昭和31年1月29日 申年 みずがめ座

2014-03-18 21:39:45 | 昭和31年生まれ
 もうすぐ60歳が近くなって、自分の人生を振り返ってみたくなりました。

小さい頃からボーっとして、頭の悪かった私はあまり覚えていない(^^)

そんな私に昭和の話を教えてください(-_-;)

 兵庫県尼崎の長屋で生まれ育った私です。

川があったのですけど、流れは淀みきれいな川とは言えるものではありませんでした。

でも、家の裏には空き地があって、そこでいろんな遊びしていました。

縄跳びや鬼ごっこ、缶けりもしていました。

ある日、足首に痛みを感じてみてみると、一本きれいな筋が・・

ぱっくりとすっぱりと切れていました。何ともきれいな切り口に感動さえ覚えました。

血は多くはでず、切り口を少し開くと白い脂肪なのでしょうか・・筋が見えました。

走り回っているうちにガラスのかけらのようなもので切ったようです。

雀を取るのが流行ったことがありました。

私は男の子たちが捕った雀が欲しくて、お小遣いをはたいて買ったのです。

餌さえ何を食べるのかも知らないのにです。

父親にさんざんに怒られて、ミミズや虫を捕って与えることができるのか~~って(*_*;

「できないなら、逃がしてあげなさい」私は反論することもできずにその空き地に逃がしたのです。

いいえ、逃げるけど飛べないのです(-_-;)

傷ついていたのかもしれません・・・私はどうすることもできずにその場を離れたのです。

私って、ほんとにおバカだったのです。