今日の一枚

 小さな幸せを
見つける名人になりたい

椿

2007-02-26 21:32:36 | 写真日記
 愛媛県松山市の椿神社では椿祭りが
24,25,26日にありました。
同じ日に西条市丹原町の柳森神社でも、
お祭りがありました。
詳しくは解らないですけど、椿神社と何か関係があって、
毎年同じ日にお祭りがあったようです。

私は今回始めて柳森神社に行ってきました。
普段は無人の社なのでしょう。
小さな森の中にある社は古びていました。
それでも近所の人々がお参りにきていました。
熊手も売られていて、屋台も出ていました。

田んぼでたきぎをしたりして、一昔前の村のお祭りの風情でした。

東野圭吾『手紙』(2)

2007-02-12 09:35:47 | 読書
 後半部分を昨晩読み終えました。
犯罪者の罪の大きさに恐さを感じています。
犯罪を犯した本人は、自分だけのことと考えていることが多いのでしょうか。

しかし実際に世間の中で、生きているその家族は
世間の冷たい仕打ちを、犯罪者の変わりに受けるのです。
「・・・自殺とは自分を殺すことなんだ。たとえ自分がそれでいいと思っても、
周りの者もそれを望んでいるとは限らない。君のお兄さんはいわば自殺したようなものだよ。社会的な死を選んだわけだ・・・」

「・・・ただ我々のことを憎むのは筋違いだといっている。
もう少し踏み込んだ言い方をすれば、我々は君のことを差別しなければ
ならない。自分が罪を犯せば家族をも苦しめることになる~
全ての犯罪者にそう思い知らせるためにもね」

「どう接すればいいのか、皆が困ったのだよ。本当は関わり合いになりたくない。
しかし露骨にそれを態度に示すのは道徳に反することだと思っている。
だから必要以上に気を遣って接することになる。
逆差別という言葉があるが、まさにそれだ」
この本の中の弟が勤める会社の社長の言葉です。

社会的な死・・なんとも恐ろしい言葉ですけどとても的確ですね。
犯罪者自身、その家族にとって恐ろしい事実です。

 そして、弟が選んだ生き方は家族を守るために兄との決別でした。
刑務所の中で、刑に服したった一つの世間との関わりを
弟自身が絶つ。非情なようですけど世間の中で自分を、家族を守る方法は
それしかないと、悲しい手紙を送る弟。
しかしどこかで、これでいいのかと悩む弟。
妻が、親友が助けてくれるのです。
世間から見放された弟にとっての小さな社会が助けてくれるのですね。

 社長の言葉に私自身の気持ちの整理がついたようでした。
どこか差別はいけないと解りながら、避けたい気持ち。
それを嫌悪する自分がいました。
それは当たり前な感情、自己防衛本能だと思います。
それを持ったままでいいと思えました。
それでもなお人間性を見抜く力を持ちたいと思うのです。

 たった一人の肉親と決別しなければならない弟の気持ちを思い泣けました。