関ヶ原の天下分け目の合戦の前後に隠密に行われた黒田如水が考えた天下乗っ取りの謀略
徳川と石田を筆頭とする西軍の戦いは有名
その裏で、九州を平らげ徳川に匹敵する勢力を手にいれ対等となれば・・
そのためにも、関ヶ原の戦いを引き延ばし両勢力の力を失わせて、伊達、前田の二勢力
そして結城秀康をその手中に入れ、豊臣秀頼を使って天下乗っ取りを企てていたらしい
豊臣秀吉がその知力、丹力を認め、働きに感嘆しながらも大きな恩賞は与えず、中央から離れた九州に
その領国を与えたのも、黒田如水により天下を狙われたならばその軍門に下るだろうと思ったからだと言われてもいる如水です。
その如水がキリシタンだったのを最近になり知りました(-_-;)
如水が徳川家の天下統一を覆したかったのも、そのことが大きく関係しているようです。
徳川家康はキリシタン信仰を恐れ、阻害しようと思っていたようで、実際徳川時代には異端の信仰として迫害しています。
キリシタン大名である黒田如水にとっては徳川時代を阻止しようとするのは当然ですね。
その謀略はもちろん成功しなかったわけですけど、使徒衆と言われる隠密を駆使して天下を遠い九州から動かし、
徳川を追い詰めていく・・当然、黒田長政。如水の嫡男現在の黒田家当主もその謀略にかかわっているわけです。
でも、この黒田長政の働きで小早川秀秋の内応により東軍の勝利に、たった一日で終わった戦い。
徳川の勝利の後、その謀略についての審議が行われています。
本田正純により行われた尋問は黒田長政、竹中重門、細川忠興、後藤又兵衛、平岡石見守等々。
序々に明らかになる謀略の全貌だけど、証拠は一通の手紙だけ・・
家康の関ヶ原での戦いぶりの決断力、謀略が敗れた後の如水の潔さ。
家康は如水の謀略を知りながら、その裏をかき利用した。
たぬきであるけれど、自分の運命を切り開いて天下人となります。
このキツネとタヌキの知恵比べのなかで、若い石田治部が敵うわけもなかったのです。
戦国の世の中、インターネットを駆使する現在より情報網はすごかった(^_^;)そんな思いが湧いてきました。
情報網を駆使して、自分のできる最大の事をやり遂げ、
その結果を受け止め潔く太平なった天下をよしとした如水には好感を持ちました。
徳川の子息結城秀康は如水に、黒田家の長政は家康にと味方し、その複雑な戦国の世の悲しさも垣間見ました。