北海道の歴史は、開墾・開発の歴史です。
アイヌの方々が大勢住まわれていた時代のことを忘れている日本人・・・・一部の日本政府要人や、学界の一部、、は、少し腹ただしく思ってはいますが、まあ、その様な議論は・・・・まず、置いといて
帯広市をはじめ、札幌市もそうですが、北海道の都市構成は、かなり、理路整然とした考えを持って造られています。
碁盤の目のような道路配置、計画的な公園施設等々・・・
昨今では、IT技術(?)が発達したのもあって、かなりの詳細航空写真が見ることが出来るようになりました。。
例えば・・・Googleマップで、帯広市の上空から見た場合【ここ】
どうでしょう、、、お分かりになるでしょうか
縦横に道路が交差し、整然とした町の状態が分かってもらえるでしょうか??
帯広市は、明治16年(1883年)に本格的に開拓を始めたときから、計画的に道路敷設を行い、東西南北で住所指定が出来るような形になっています。
例えば、帯広市市役所の住所ですと、『帯広市西5条南7丁目1番地』となっていますので、『西に5つ目の升、南に7つ目の升の場所が市役所』となります。
この考え方は、ほぼ帯広市全域で通用し、住所を聞けば、ほぼ間違いなく到達することが可能になっています。。。
で。。。す。。。。が。。。。
そこは。。。。それ。。。。。やはり。。。。。。北海道
は、、、デッかいどう。。。。。郊外では通用しないことも書いておかないとね
【国土地理院】は、地図情報等を扱う国の機関ですが、ここでも、色々な航空写真を提供していただいていて、かなり詳細な『昔の写真』を見ることが出来ます
【国土情報ウェブマッピングシステム】という、カラー空中写真を扱うHPより、、、昭和52年当時(1977年)の帯広市上空から写した写真を載せました
帯広駅の建替えやら、道路拡張やら、パイパスが出来たりと、現在とは少し違っていますが、かなり詳細に見ることが出来ます。
ですが、町基盤は変わっておりません
ここのHPは、、、結構、面白く、、、かなり昔の写真も見ることが出来ます。。。。まずは、、、自分達の住んでいる場所を探してみると・・・・面白いですよ
全国でも6都市にしか受けられていない、『環境モデル都市』の認定を受けた帯広市。。。。
緑豊で、生活しやすい都市構成を目指して欲しいものです
アイヌの方々が大勢住まわれていた時代のことを忘れている日本人・・・・一部の日本政府要人や、学界の一部、、は、少し腹ただしく思ってはいますが、まあ、その様な議論は・・・・まず、置いといて
帯広市をはじめ、札幌市もそうですが、北海道の都市構成は、かなり、理路整然とした考えを持って造られています。
碁盤の目のような道路配置、計画的な公園施設等々・・・
昨今では、IT技術(?)が発達したのもあって、かなりの詳細航空写真が見ることが出来るようになりました。。
例えば・・・Googleマップで、帯広市の上空から見た場合【ここ】
どうでしょう、、、お分かりになるでしょうか
縦横に道路が交差し、整然とした町の状態が分かってもらえるでしょうか??
帯広市は、明治16年(1883年)に本格的に開拓を始めたときから、計画的に道路敷設を行い、東西南北で住所指定が出来るような形になっています。
例えば、帯広市市役所の住所ですと、『帯広市西5条南7丁目1番地』となっていますので、『西に5つ目の升、南に7つ目の升の場所が市役所』となります。
この考え方は、ほぼ帯広市全域で通用し、住所を聞けば、ほぼ間違いなく到達することが可能になっています。。。
で。。。す。。。。が。。。。
そこは。。。。それ。。。。。やはり。。。。。。北海道
は、、、デッかいどう。。。。。郊外では通用しないことも書いておかないとね
【国土地理院】は、地図情報等を扱う国の機関ですが、ここでも、色々な航空写真を提供していただいていて、かなり詳細な『昔の写真』を見ることが出来ます
【国土情報ウェブマッピングシステム】という、カラー空中写真を扱うHPより、、、昭和52年当時(1977年)の帯広市上空から写した写真を載せました
帯広駅の建替えやら、道路拡張やら、パイパスが出来たりと、現在とは少し違っていますが、かなり詳細に見ることが出来ます。
ですが、町基盤は変わっておりません
ここのHPは、、、結構、面白く、、、かなり昔の写真も見ることが出来ます。。。。まずは、、、自分達の住んでいる場所を探してみると・・・・面白いですよ
全国でも6都市にしか受けられていない、『環境モデル都市』の認定を受けた帯広市。。。。
緑豊で、生活しやすい都市構成を目指して欲しいものです