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「俺のフレンチ」も取り入れた、常勝戦略 T型フォード、ドトールも同じ戦略だった!

2014年10月19日 09時39分56秒 | お役立ち情報
 セブンイレブンの100円コーヒー、スターバックスの2000円コーヒー、「コーヒー界のアップル」ブルーボトルなど、最近コーヒー市場を巡る各企業の競争が加熱している。

 『戦略は「1杯のコーヒー」から学べ!』の著者である永井孝尚氏によると、「コーヒー業界を巡り各社が打ち出す商品、ビジネスモデルは最新ビジネス戦略を学ぶ好材料」という。そこでコーヒーの裏側にある高度なビジネス戦略について語ってもらった。

ポテトピューレに最高級の分厚い牛ヒレとフォアグラをのせ、黒トリュフソースをかけた「牛ヒレとフォアグラのロッシーニ」。超高級フレンチレストランで1皿1万5000円はするであろう、一流シェフによる逸品だ。これがたったの1280円だとしたら、いかがだろうか。

最高級食材を使って、一流シェフが作るフレンチを、居酒屋並みの価格で――。それを実現したのが「俺のフレンチ」だ。店の外には平日の昼間から超格安でおいしい食事を求める客が絶えず行列を作っている。

運営する俺の株式会社は、今や「俺のイタリアン」「俺のスパニッシュ」「俺のやきとり」「俺の割烹」「俺のそば」「俺の焼肉」「俺の揚子江」(中華)、「俺のだし」(おでん)と多角化し、快進撃を続ける。

■原価率100%でも、なぜ儲かる?

社長の坂本孝氏の著書『俺のイタリアン 俺のフレンチ』によると、超高級フランス料理店のフード原価率18%に対して、俺のフレンチはなんと60%を超えている。原価率90%のメニューも多い。中には冒頭で紹介したように、集客目的で原価率100%を超えるメニューもある。

原価率18%と90%の違いは圧倒的だ。超高級フランス料理店で1皿3000円するメニューが、たったの600円で食べられるということだ。

とはいえ「俺のフレンチ」は慈善事業ではない。しっかりと利益を出している。その秘密が「回転数」だ。

回転数とは1日の総来店客数を、店の総席数で割ったもの。要は1日で、店のお客さんが何回入れ替わったかという数字だ。

従来の超高級フランス料理店では、1晩で4人席に3人しか座らないこともある。これだと0.75回転だ。「俺の――」では、どの店も1日3回転以上している。そのために立ち食い形式にして、狭い場所でも多くの客が入るようにし、さらに早く入れ替わるようにしている。だから一流シェフによる超高級食材を驚くような格安の価格で提供しても、十分に利益が出るのである。

このように「俺のフレンチ」は、ちまたでは大きな話題になっているが、実は今から34年前、「俺のフレンチ」とまったく同じ発想で成功した会社が、日本のコーヒー業界にあった。日本最大級のコーヒーチェーンであるドトールである。

■半額のコーヒーで4倍集客し、2倍の売り上げ!

今からさかのぼること34年の1980年。喫茶店のコーヒーは1杯300~400円が当たり前。当時の物価を考えると、毎日飲める価格ではない。そんな時代、「おいしい本格派コーヒーを、日本人に毎日飲んでほしい」と考えた人がいた。ドトール創業者の鳥羽博道社長(当時)だ。

鳥羽社長は、1970年代にパリのシャンゼリゼ通りで、出勤途中のビジネスマンが立ち飲みコーヒー店に立ち寄って、サッとコーヒーを飲んでオフィスに向かう姿を見て、「格好いいな。同じような店を日本でも作れないものか」と考えた。

しかし前述のとおり、1970年代当時の日本の喫茶店は高かった。鳥羽社長はこれを何としても変えたいと考えた。

そこで「本格コーヒーを1杯150円で出せば、毎日飲んでもらえる」と考えた。しかりビジネスなので、150円でも収益を上げなければならない。そのためにどうするか? 鳥羽社長は頭をひねった。

鳥羽社長が導き出した答えは、極めてシンプルだ。

「4倍の客に、半額の150円で提供すれば、2倍の売り上げが上がる」

すべてはここが出発点だった。

普通であれば、半額以下でコーヒーを出そうと考えると、店の賃料が安い場所で出店しようと考えがちだ。しかし鳥羽社長は逆の発想をした。4倍の客に来てもらうために、むしろ1号店は土地代が高い原宿駅前に作ることにしたのだ。

次の課題は、従来と同じ人数のスタッフで、4倍の客に対していかにサービスを提供するかだ。「とにかく頑張れ!」とハッパをかけるだけでは、すぐに限界が来るのは明らかだ。

当時の喫茶店はすべて、客席で注文を取り、従業員が席までコーヒーを運び、最後に精算するフルサービスを提供していた。ドトールコーヒーショップはこの常識に挑戦し、カウンターで注文を受けて精算し、その場でコーヒーを出すセルフサービスに切り替えた。今は当たり前になったこのセルフサービス方式を定着させたのだ。

さらに最新の自動コーヒーマシン、自動食器洗い機、自動パン焼き機を海外から調達した。これらの機械は高価だったこともあり、当時はほとんど普及していなかった。これにより少人数スタッフでもサービスを提供できるように、徹底的に省力化を図ったのだ。

そしてコーヒー豆の品質は落とさず、本格派コーヒーを追求し続けた。この結果、ドトールコーヒーショップは急成長。1000店舗を超えたのである。

しかしドトールといえども、このモデルを最初に実現した企業ではない。今からさかのぼること100年、ドトールよりもさらに先行して、世の中を大きく変えた企業がある。自動車メーカーのフォードだ。

かつて超高級品だった自動車を一般家庭に普及させるきっかけになったのが、1908年にヘンリー・フォードにより発売されたT型フォードだ。T型フォードは1927年までに、実に1500万台も生産された。

一般にヘンリー・フォードは、「大量生産の天才」とされている。組み立てラインを作ったことにより、生産コストが劇的に下がり、売価を下げることに成功。そうして、500ドルの車が何百万台も売れたと称えられている。

しかし「マーケティング界のドラッカー」と呼ばれたセオドア・レビットは、こう述べている。(出典:『T.レビット マーケティング論』セオドア・レビット著、ダイヤモンド社)

世間は決まってフォードを生産の天才としてほめるが、これは適切ではない。彼の本当の才能はマーケティングにあった。

フォードの組み立てラインによってコストが切り下げられたので売価が下がり、500ドルの車が何百万台も売れたのだ、といわれている。しかし事実は、フォードが1台500ドルの車なら何百万台も売れると考えたので、それを可能にする組み立てラインを発明したのである。

大量生産は、フォードの低価格の原因ではなく、結果なのだ。


フォードがその経営哲学を簡潔に述べた文章を紹介しよう。


「まず価格を低いところに決め、その価格で経営が成り立つよう、全員が最も効率よく働かざるをえないようにすることだ。....このように追い込まれた状況の中で、製造方法や販売方法について発見を重ねていくのであって、時間をかけてゆっくり調査研究した結果ではない」

いかがだろうか? 俺の株式会社の坂本社長、34年前のドトールの鳥羽社長、そして100年前のフォードは、業界の常識に挑戦し、価格破壊を起こして社会を大きく変えた。そして時代を超えて彼らに共通するのは、価格設定の方法論なのである。

■一見、非常識な価格設定の方法論は、王道である

世の中で一般的な価格設定の方法は、「コスト基準型価格設定」だ。

「何を作るか?→そのためのコストを見積もる→利益を乗せる→価格を決める」という順番に考える。

多くの人が当たり前に、この方法で価格を設定している。しかし、この考え方には、「その価格が顧客にとってどういう価値があるか」という視点が欠けている。

坂本社長、鳥羽社長、フォードが行ったのは、逆の考え方だ。これは「価値基準型価格設定」と呼ばれている。

最初に顧客の価値を決めたうえで、売値を決める。そこから必要な利益を差し引き、残ったコストでどのように商品を作るかを考えるのだ。

この考え方が有効なのは、消費者が高価格を強いられている市場だ。「俺のフレンチ」は超高級フランス料理店。ドトールの場合は1杯300~400円の喫茶店。フォードの場合は富裕層の持ち物だった自動車だ。

そしてより多くの消費者にその価値を享受してもらおうと考え、まず顧客価値を先に考えて価格を決定し、その価格を実現するための方法を考え抜いて、市場の「破壊と創造」を実現したのだ。

一見斬新に見える彼らのビジネスモデルだが、実は極めてオーソドックスな方法論にのっとっている。これこそが、王道であり、われわれにとって学ぶべきところが極めて多いのだ。

(撮影:今井康一)

まるでゾンビのように...「エボラ出血熱」報道されない恐怖のディテール

2014年10月19日 09時08分54秒 | ニュース
 西アフリカで過去最大規模の感染拡大を続けるエボラ出血熱は、ついにアメリカにまで上陸する事態となっている。エボラ患者に対応したアメリカの医療関係者が二次感染したのだ。これまでアフリカの一部の地域に止まっていたエボラの拡大に先進国は震え上がった。

 しかしエボラの世界的な感染、パンデミックの危険性は既に20年前から警告されていたことだ。それがエボラの恐怖を描いたノンフィクション『ホット・ゾーン』(リチャード・プレストン/高見浩訳/飛鳥新社)だ。今回の感染拡大を受け復刻版も刊行されたが、それにはエボラウイルスが人類にとって、どれほどの脅威かが余すことなく描かれている。本書の舞台は1989年のアメリカバージニア州レストン。ここで熱帯地域から輸入されてくるサルの検疫所でエボラ感染によるサルの大量死が起こる。これに対しアメリカ陸軍は総力を挙げこれを鎮圧していくというものだ。そこには鎮圧作戦に関与した軍関係者、医療関係者のウイルス感染への"恐怖"も描かれており、まさに予言のノンフィクションといえるものだ。

 なかでも戦慄させられるのはエボラに感染した人々の症状のディテールだ。これまでの報道で、エボラの致死率の高さ、脅威はさかんに喧伝されているが、しかしエボラが人間の人体にどんな悲惨な状況を引き起こすのか、どうやって肉体を死滅させていくかは、あまり具体的には伝えられてこなかった。それはまさに恐怖としかいいようのないもので、その詳細を報道するのがはばかれるからなのかもしれない。しかし本書によるとそれは予想以上に破壊的でセンセーショナルでさえある。

 犠牲者のひとり、ケニア西部に暮らすフランス人のシャルル・モネの症状を紹介しよう。彼はガールフレンドと国立公園に野営し、洞窟に入った。

「段々状の岩盤は緑色の粘ついた物体で覆われていた。それはコウモリの糞だった」

 モネは洞窟を訪ねてから7日後に頭痛を感じた。それは「眼球の奥に疼くような痛み」だった。

「頭痛はひどくなる一方だった。眼球が痛み、こめかみも痛みはじめた。痛みは頭の内部をぐるぐる回転しているようだった」

 さらに背中に激痛を覚え、吐き気を覚え、熱が出て、嘔吐する。それだけでなく奇妙な外形的な激変も始める。

「表情が顔から失われ、眼球が麻痺したように固定した結果、顔全体が仮面に似てきた。おまけに目蓋がやや垂れ下がり、目が半ば閉じながら飛び出したような、妙な様相を帯びた」

 モネはまるでゾンビのようになったという。また眼球は真っ赤に充血し、顔の皮膚は全体に黄ばみ、赤い星のような斑点も出る。モネは治療のために飛行機に乗った。しかしそこでも上体を折る姿勢となり嘔吐を繰り返した。

「大きく咳き込み、袋の中に何かを吐きだす。袋はたちまちふくれあがる。(略)唇に何かしら赤い粘ついたものが付着しているのを周囲の人間に見られる。その赤い粘ついたものには、彼がコーヒーの豆でも噛んでいたかのように、黒い斑点も混じっている(略)乗り物酔い用の袋は、"黒色吐物"と呼ばれるものでいっぱいにふくれあがる。(略)それは出血にほかならず、さながら食肉処理場のような臭気を伴う」

 モネはこれを接客係に手渡した。この時、モネの体は、まさに破壊されようとしていたのだ。血管の中に血栓ができ、肝臓、腎臓、肺、両手首、頭の中など至るところで血の流れを止める。腸筋肉も死にはじめ、弛緩する。

 さらに恐ろしいことに、脳の障害により人格も失われる。感情や精神の活力が消え、ロボットのようになるのだ。ときに周囲に敵意をむき出しにし、体に触られることを嫌がることもあるという。

 さらにモネは鼻血を出し始める。

「両方の鼻孔から流れ落ちる血は、色鮮やかな動脈血で、彼のはや顎の上に滴り落ちる。この血は凝固せずに流れつづける。(略)血は依然として固まらず、タオルは血でぐっしょりと濡れそぼってしまう」

 血を流しながらモネはタクシーに乗り病院へたどり着いた。しかし待合室でウイルスは爆発した。目眩と脱力感、背筋がぐったりとして感覚がなくなる。

「がくっと前にのめり、膝に顔をのせると同時に、信じられないほど大量の血を胃から吐きだして、苦しげな呻き声と共に床にまき散らす。(略)唯一、聞こえるのは、失神しながらも喉を詰まらせて吐き続ける音だ。次いで、シーツを真っ二つに引き裂いたような音がする。それは肛門の括約筋がひらいて、大量の血を排出した音だ。その血には腸の内層も混じっている。彼は自分の内蔵まで壊死させたのだ」 

 まさに恐怖の中にある"死"。しかも後に判明するのだが、モネに取り付いたウイルスはマールブルグ・ウイルス(おとなしい弟)と呼ばれるものだった。致死率は25%。そこに三兄弟ウイルスといわれるさらに兇悪なエボラ・スーダン、そして致死率90%というエボラ・ザイールが加わっていくのだ。その種類は現在では5種確認されているが、そのなかでも"おとなしい"ウイルスでも以上のような破滅的症状を引き起こすのだ。

 さらに本書の中では恐ろしい"予言"が記されている。現在、エボラは空気感染はないといわれている。が、しかし本書ではその可能性さえ指摘されているのだ。

「エボラが空中を移動できるという証拠は、あった。それは戦慄すべき事実だが、そこに一分の疑問もないかといえば、そうでもない。(略)健康そうに見えた二匹のサルが、空中を移動したと思われるエボラで死んだのだ」

「エボラとマールブルグを含んだエアロゾルをサルに吸わせることによって、彼らを感染させたことがあった。空中を移動するウイルスに晒されたサルは、全部が死んだ」

 戦慄すべき記述だが、すでに20年前にこうしたことが指摘されていた。にもかかわらず、アメリカや欧米、そして日本を始めとする先進国の動きは鈍かったのだ。

 これには興味深いレポートが存在する。雑誌「選択」(2014年10月号/選択出版)に掲載された「『エボラ蔓延』WHOの大罪」がそれだ。

 記事によれば「エボラはあまりに強力なため、村単位で住民を全滅させると、それ以上感染が広がらないとみられてきた」。そのため遠いアフリカの地で起こっているエボラ感染に先進国は大きな危機感を抱いてこなかった。さらに利益至上主義の製薬会社もまた、金にならないアフリカでの感染症に対するワクチン開発に取り組まなかった。実際WHOのキーニー事務局長補はこう語ったという。

「(エボラには)経済的な力学が働かない」と。

 アフリカの貧しい人々は、こうして先進国から見捨てられた。まるで全滅を待っているかのように。

 だが現在、エボラはそんな先進国に復讐を始めたがごとく、浸食を開始した。もちろん日本も例外ではない。こうした中、製薬会社も本気でワクチン開発に着手しはじめた。日本の富士フィルムグループの富山化学工業が開発したインフルエンザ治療薬がエボラに効果があったとの報道もなされている。

 先進国に危機が訪れたからこそのワクチン開発。あまりに皮肉なグローバル経済的論理だが、これをアフリカの人々が利用できる日が一刻も早く訪れることを願うしかない。
(林 グンマ)

香港政府と学生団体、21日に対話へ 議論を実況中継

2014年10月19日 07時55分11秒 | 海外情報
香港政府は18日、学生団体との対話を21日に実施すると発表した。双方から5人ずつが出て、議論を実況中継する。一部の学生らは政府が占拠拠点を事実上、強制的に撤去したことに反発を強める。対話が実現してもすぐに一致点を見いだせるかどうかは不透明だ。

 政府ナンバー2の林鄭月娥政務官が記者団に明らかにした。政府側は林鄭氏のほか政治改革担当の閣僚などが出席する。司会は嶺南大学の鄭国漢学長が務める。21日午後に香港島南部で2時間程度を予定している。

 学生団体側は17日、政府に22日までに対話を始めるよう求めていた。

 政府は幹線道路の占拠中止を求める見通しだ。学生側は政府のトップである行政長官への民主派からの立候補を事実上制限する全国人民代表大会(全人代、国会に相当)の決定の撤回を改めて求めるとみられる。

 林鄭氏は18日、「政治改革は全人代決定と香港基本法に基づいて行う」と強調し、全人代決定の撤回を重ねて否定した。学生側はデモ隊の最大の拠点となっている金鐘の政府本部庁舎に隣接する幹線道路を「雨傘広場」と名付けており、政府との対話後も占拠を続ける考えだ。

 警察とデモ隊は17日夜から18日未明にかけて、九龍地区にある旺角と、香港島にある金鐘地区の2カ所で衝突した。繁華街の旺角では約9千人が集まり、警察と激しく衝突した。学生側は幹線道路を再び占拠した。警察は18日、旺角と金鐘での逮捕者が計33人だったと発表し、デモ隊を強く非難した。19日未明も旺角で再び衝突が発生した。

 旺角での取材中に逮捕された米国の著名女性カメラマン、ポーラ・ブロンスタインさんはその後、釈放された。逮捕を巡っては香港外国記者会が「報道の権利を侵害する」と抗議声明を発表していた。