(前日からの続き)
我々は、人間というものは、飽くまでも進化を
せずにはおかない、あるいは、せずにはいられ
ない魂、心というものを本心というものをもって
生きているということを考えておりますれば、
なかなか光から顔を背けられないのであります。
背けたいと思っても背けられないのが人間
なんでありまして、その辺を考えてゆきます時に、
我々は、会に出ようと出まいと、印をきろうと
きるまいと、祈りの言葉が出ようが出まいが、
ちゃーんと守護霊さん守護神さんが守っていて、
こちらから私が見ていて、神様がいるんだという
ことさえどっかに置いといてもらえれば、知らず
知らずの内に本心開発が出来ていく。
あるいは祈り言葉も出てくる。
そういうもんである。
そうしていく内に、だんだんだんだん人間の
魂も肉体もあるいは言葉も、自然法爾(じねん
ほうに)の世界にすーっと入っていく。
ということを今日ここで皆さんの心の中へ
種をまいておきたいと思うのであります。
昭和63年5月5日
五井昌久
我々は、人間というものは、飽くまでも進化を
せずにはおかない、あるいは、せずにはいられ
ない魂、心というものを本心というものをもって
生きているということを考えておりますれば、
なかなか光から顔を背けられないのであります。
背けたいと思っても背けられないのが人間
なんでありまして、その辺を考えてゆきます時に、
我々は、会に出ようと出まいと、印をきろうと
きるまいと、祈りの言葉が出ようが出まいが、
ちゃーんと守護霊さん守護神さんが守っていて、
こちらから私が見ていて、神様がいるんだという
ことさえどっかに置いといてもらえれば、知らず
知らずの内に本心開発が出来ていく。
あるいは祈り言葉も出てくる。
そういうもんである。
そうしていく内に、だんだんだんだん人間の
魂も肉体もあるいは言葉も、自然法爾(じねん
ほうに)の世界にすーっと入っていく。
ということを今日ここで皆さんの心の中へ
種をまいておきたいと思うのであります。
昭和63年5月5日
五井昌久