人は、ふるさとびと

お帰りなさい と迎えて
下さる神様は、私達の
ふるさとなんです。

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行為の光明化(1)

2020-04-28 08:35:59 | スピリチュアル
世の中に、不思議なこととか、思いもかけない
こととか、何でこんなことが起こるんだろう、
とか。
ということが沢山あることですけれども。
そういうことに把われてると、人間という
ものは心がだんだん苦しくなってきて、
そして、がんじ搦(がら)めになってきて
自分というものが分からなくなってくる。
私どもの方で自分というのは、この肉体の自分
だけではなくて、何十回も何百回も言って
おりますように、本体の本心の自分という
ことを私たちは問題にして、そうしてそこへ
自分が還っていくように祈りを重ねて生きて
いく。
そのお手伝いをしている訳であります。

ところが、この日常の中で自分がという場合
には、その自分の中の見えない世界の自分
というものは、もう忘れ果てておりまして、
なかなかその自分が自分がの自我の方の自分が
たくさん出てくる。
それで、いろんな人と付き合ったり、
付き合った末に悩んだり悲しんだり喧嘩を
したり、まあ取組み合いの喧嘩をするか
どうかはわからないけれども、何か
そんなふうなことが重なり合って、そこで
窮屈になって、何で自分がこんな目に合うん
だろう、何でこれだけ自分がやってあげたのに
相手に感謝されないんだろうとか、何で自分の
想いが通じないんだろうとか言うけれども、
それは大きく言えば、我の世界の自分で
ありまして。
その把われの世界に生きてる以上、人間という
ものは非常に不自由な窮屈なものになるので
あります。

そこで私は前から消えてゆく姿という
ものをですね提唱して、そして、いろんな想いが
出てきても、それは自由自在な自分に還るための
消えてゆく姿なんだと。
だから、いろんな想いが出てきても、ああこれは
過去世からの業が消えてゆくその姿なんだと
思って、その瞬間に、神様五井先生と言って、
こっちへ返してくれれば、それでこっちはパーッと
サーッと浄めてゆけるんだということをずっと
申し上げて来ているのであります。
それでも尚且つ出てくる。
出てきても構わないんだということを私は
申し上げている訳であります。
            (翌日に続く)