人は、ふるさとびと

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宇宙神と同格ということについて(2)

2022-12-27 08:22:44 | スピリチュアル
    (前日からの続き)
同格だというのは、何において同格か
というと、皆さんの奥の奥の悟ってる本体、
神体ね、肉体じゃないですよ。
神体、本来心というものがね、何によって
できているかというと、宇宙神からの
光明と(光と)ですね、愛と、そういう
ものによって生きてる訳なんです。
宇宙神の愛というのは、これはもう極まりの
ない愛なんですね。
すべてのものを生かそう、すべてのものを
より良くもって行こう、敵も無いんです。
味方も無いんです。
あるがままなんですね。

そういうものが、我々のこの肉体、我の強い
肉体を通して光になって、そして、我々は
肉体の生命を養ってもらってる訳なんですね。
そして、自分の内の奥の奥にもそれと同じ
ものがある。
そういうことを考えますとね、つまり、
我々というのは意識するしないに関わらず、
愛したいと思う、仲良くやりたいと思う、
平和にやりたいと思う、喧嘩をしたくない
と思う、砕いて言えばですね、そういう
気持ちね。
つまり、世界人類が平和でありますように
という気持ち。
何処にも戦争がなくって無事に平穏に、
皆がそれぞれに、それぞれの家庭で
生きていけたらと思う。
その祈りの気持ち。

それは何かというと、ずっとつき詰めて
いくと、宇宙神があるがままの生命を認めて
そのままにありのままに生かしていく。
それが自分の望みであり願いであり祈り
であるんだと。
その本来心の祈りを受けて、世界人類が
平和でありますようにというあの文句が
出来た訳ですから。

ということは、自分の中にも、ものすごく
素朴だけれども、そういうふうに祈る、自分の
家族のこと自分のことまわりのこと、そこから
ずっといって世界人類のこと、本当に平和で
あればいいなと祈る。
そういう何ともしれない想いが湧き起こる。
湧き起こる時には、人間というのは、
その時には我には満たされてないんですね。
やっぱりその時には光になってるわけ。
その光というのは、祈る時にもちろん
強められるし深められるし、こっちから
見ていると光明そのものになるけれども、
祈る時だけが光明かというとそうじゃない。
          (つづく)