人は、ふるさとびと

お帰りなさい と迎えて
下さる神様は、私達の
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業を浄める(2)

2021-03-11 07:23:12 | スピリチュアル
      (前日からの続き)
生きてる時も死んでからも本当にまあずっと
浄め続けていますけれどね、ただ、業を浄める
時にね、皆さん浄める立場の方だから
申し上げますけれど、業というものに対して、
やっぱり恐れるとかね。

例えばですよ、どこかお家を浄めてください。
すごい病人がおります、浄めて下さい。
想いがくっついて来ますよ。
だから、○○さんなんて、いつか病気に
なったんじゃなかったかな。
出すぎてね、印をもらっちゃった時にね、
あれだって、病気になるというのはね、
こっちから見ていると大変なことだけれども、
あれで、体の中の余分な、○○さんの業なら業
というかなあ、そういうものに対する抵抗力
ですよね。
それをつけるために病気にさせて、病気が
治ったとたんにというか、病気をとり去った時に、
光がうーんと中へ入って、そして浄める力と
いうのがうんとアップするように、病気を
するということはそういう事です。
病気をするということは、熱を出すという
ことでも何でも、浄化作用なんですね。
だからその時に、ああ病気になってありがとう
ございますと言えたら一番いいんだけれども、
苦しいのが先にくるね。
だけども、煎じ詰めて言えばそういうことですね。

業を浄める時にね、一番大事なのは恐怖心を
なくすことね。
それから、私がいつも言ってますように、
私がやるんじゃないということ、神様が
させて下さる。
守護霊さん守護神さんがついてて下さる。
お浄めする相手にもね、どんな人にでも
守護霊守護神というものがついてましょ。
だから、その人たちから頼まれて私は
代理人でやるんだから。
私がやるんじゃなくて、私の後の神霊が
動くんですね。

あるいは五井先生が動くんです。
あるいは、五井先生を通しての神様の
愛情が動くんですね。
そこをちゃんと見てますとね、私の体を
使って私の祈りを用いて私の言葉を用いて、
実は、そういう大愛というものが動くから、
だから、スーッといろんなものが上に昇って
いくんですよ。

この間、ほら、五井先生がどうのこうの
というの大変だったでしょう。
あれだってもうちょっとね、君がさ、
きっちり信仰してればといったらあなたを
責めることになるかもしれないけれども。
君だって皆そうだけれども私にできるだろうか
というのがあるから、ある間はやっぱり
昇り切らないんだよ。

印を切る時だって、私がやるんじゃないん
です。
任せてしまって、向こうから力がきて
エネルギーがきて、いつの間にか
消えるんですよね。
そういうもんなんです。

浄めるということは祈るということと
いっしょなの。
祈るということは自分をなくすことですと
先程言いましたよね。
なくする練習をすることです。
浄めるということはもっとすごいでしょ。
もっといろんな想いとか病気とか
いうものをねえ、浄めて下さいとか、浄める
ことによって窮地から脱却させて下さいとか、
そういういろんな人の想いを受けますでしょ。
受けて受け取ったまんま、苦しいまんま
印を切ったってしょうがない。
仕方がない。
それじゃあ駄目なのね。
それは、業というものは消えるんだから。
いろんな意味でです。
神様すいませんお願いしますと言ったとたんに
神様が受けとって下さってるんですよ。
目には見えなくてもね。
そこをちゃんと信じて、そこをおもいながら
祈って統一して、印なら印を切らないと。
僕みたいなのがやってできるかなあとかね、
私みたいなのがやってできるかしらとかね。
それがやる間ってのはあれは大変ですよ。
上に昇らない。
昇りきらない。
もうちょっとなんだよね。
また別の課題を出しますから、その時には
ちゃんと今度は切るんだよ。

結局ね、自分がさせていただいている
というのをもう少し進めていくと、私が
するんじゃないになるでしょ。
そして、私がするんじゃないというのを
もっと進めていくと、神様の愛がこの業を
消して下さるんだでしょ。
業というものはなくなって、光に
なっていくということになりますね。
                (つづく)