人は、ふるさとびと

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人智を超えた 大愛の世界へ(1)

2021-02-01 07:10:45 | スピリチュアル
つねに新しくされてゆく
ということ
新しい自分にかわらされている
ということは
いいかえますと
つねに
古い自分を脱ぎ捨てている
ということであります

肉体人間の想念というものは
つねに
自分の境界線を
守ろうと致します
たとえば
それは
家族であったり
財産である
というような
目にみえるものばかり
ではなく
自分の心という
他者からは
見えることのない
ものも
必死になって
守ろうと致します

それが愛着から
仮にはじまったことである
と致しましても
それは
やはり
とらわれになり
こだわりになる
いうならば
自分でも
気がつかない間に
自ら業想念の
世界の渦のなかに
まきこまれていることが
多々
あるのであります

かぎられた
肉体界
また
肉体人間のおもいに
とらわれておりますかぎり
真に
自分があたらしくされてゆく
ということは
想起だにできない
ことでありましょう

これまで
幾多の聖者方が
この地上に降りて
道を切りひらかれながら
世界中の人々が
心をひとつにして
この肉体以上のものに
無理なく眼をむけるということは
遂に成就されぬまま
時代はすぎていったので
あります

ところで
わたくしは今
あえて
祈りという
言葉を
用いなかったのでありますが
つねに新しくされる
ということは
ただ
肉体のおもいに
とらわれているだけでは
とうてい
かなうことでは
ありません

私どもが
真実
新生しつづけるためには
絶えざる祈りというものが
絶対に不可欠なので
あります

本来
人間と
申しますものは
その本体は
たとえ
無神論者であっても
また
唯物論者であっても
ずっと
その姿を
観じ
生命を
観じて参りますときには
等しく
みな
祈っているもの
なのであります
その本来の姿を
地上の
肉体界の
粗い波動のうちに
生きる間に
すっかり
忘れ果ててしまって
いる
というのが
現代の人間の姿なので
あります
    (つづく)