(前日からの続き)
人間っていうのは
神からわかれてきた分生命(わけいのち)
であり
分霊(わけみたま)です
そのおおもとは光で
肉体が自分だ、と思って生活していても
肉体という地上での衣を超えた
いくつもの自在な身体の奥に
本心の光がある
その光が一所懸命に突き動かされて
表面に出てくるんです
わかりますか
それでもって
守護霊さんや守護神さんや
その人に縁のある人たちが
寄り集まってきてね
その人の魂の成長に必要な場所を
用意するんです
とにもかくにも
これだけ一所懸命やったから
よしここは卒業 次へ行かせよう
てなもんですよね
だけどただはいかないんだ
やっぱりそこで誠実を尽くす
五井先生流でいうと
天命を信じて人事を尽くす
ということが大事なんですよね
これはもう何百ぺんいってきたこと
ですけど
人類の進化は
みなさん一人一人の進化がなければ
できないことなんです
一人の人が一所懸命やる
一所懸命やると
そのときその人は光になって
くるわけですよ
それが
その光が
純粋になり無垢になりね
すきとおればすきとおるほど
いわば
透明になるほど
高い高い深い深い光明心、光明体に
なるわけですよ
うちでいう白光になるわけですよね
そいで
その白光が
世界中を駆けめぐって
まだ辛い人たちの心の扉を叩くわけです
そして
あったかくさりげなくすばやく
その人たちの本心をひらいてゆくんです
ねっ、わかりますか?
一人の人間の働きというのは
こんなにもすごいものなんですよ
この世に肉体人間として生きている
いいかえると
この肉体を自分自身だ
世界のすべてだ
と思って生きている間はですね
光の働きを自覚する力も弱いんです
無神論者だろうが唯物主義者だろうが
守護霊さんや守護神さんは
とてつもなく深い愛情で守ってますよ
夜となく昼となく守っている
それでなければ
光(いのちの根)が、肉体を
離れてしまう
実際
神界に小休止なしなんだ
けれどもね
人が光そのものの自分
何らさえぎるもののない
絶えざる光明を自己のいのちのなかに
持っている
と自覚したときには
一人の人間が宇宙大に拡がって
ゆくんです
こころが
存在がひろがってくんです
いうなら無になってですね
一所懸命になって
その結果
光が自在な働きをするって
いいましたけどね
いつもいつも
人間ってのは無にはなりにくい
空にはなりにくい
瞬間、光になれても
自分が釈迦やキリストみたいに
なれるわけがない
とおもっちゃう
みなさんだってそうでしょ
私なんかとてもとても
とかね
まだまだ
とか
五井先生はああして簡単にいうけれど
とかね
大体出てくるこたえは
わかってるんです
で、その
自分なんか
私なんか
ですけどね
そう思うのは
相変らずみなさんが
肉体人間としてこの世に生きてきた
なかで
身につけてしまった
とらわれだとか我だかね
あらゆる限定のなかで世界をみてゆく
業想念のなかで
自分というものをしっかりつかまえて
いるから
そうなってしまうんです
(つづく)
人間っていうのは
神からわかれてきた分生命(わけいのち)
であり
分霊(わけみたま)です
そのおおもとは光で
肉体が自分だ、と思って生活していても
肉体という地上での衣を超えた
いくつもの自在な身体の奥に
本心の光がある
その光が一所懸命に突き動かされて
表面に出てくるんです
わかりますか
それでもって
守護霊さんや守護神さんや
その人に縁のある人たちが
寄り集まってきてね
その人の魂の成長に必要な場所を
用意するんです
とにもかくにも
これだけ一所懸命やったから
よしここは卒業 次へ行かせよう
てなもんですよね
だけどただはいかないんだ
やっぱりそこで誠実を尽くす
五井先生流でいうと
天命を信じて人事を尽くす
ということが大事なんですよね
これはもう何百ぺんいってきたこと
ですけど
人類の進化は
みなさん一人一人の進化がなければ
できないことなんです
一人の人が一所懸命やる
一所懸命やると
そのときその人は光になって
くるわけですよ
それが
その光が
純粋になり無垢になりね
すきとおればすきとおるほど
いわば
透明になるほど
高い高い深い深い光明心、光明体に
なるわけですよ
うちでいう白光になるわけですよね
そいで
その白光が
世界中を駆けめぐって
まだ辛い人たちの心の扉を叩くわけです
そして
あったかくさりげなくすばやく
その人たちの本心をひらいてゆくんです
ねっ、わかりますか?
一人の人間の働きというのは
こんなにもすごいものなんですよ
この世に肉体人間として生きている
いいかえると
この肉体を自分自身だ
世界のすべてだ
と思って生きている間はですね
光の働きを自覚する力も弱いんです
無神論者だろうが唯物主義者だろうが
守護霊さんや守護神さんは
とてつもなく深い愛情で守ってますよ
夜となく昼となく守っている
それでなければ
光(いのちの根)が、肉体を
離れてしまう
実際
神界に小休止なしなんだ
けれどもね
人が光そのものの自分
何らさえぎるもののない
絶えざる光明を自己のいのちのなかに
持っている
と自覚したときには
一人の人間が宇宙大に拡がって
ゆくんです
こころが
存在がひろがってくんです
いうなら無になってですね
一所懸命になって
その結果
光が自在な働きをするって
いいましたけどね
いつもいつも
人間ってのは無にはなりにくい
空にはなりにくい
瞬間、光になれても
自分が釈迦やキリストみたいに
なれるわけがない
とおもっちゃう
みなさんだってそうでしょ
私なんかとてもとても
とかね
まだまだ
とか
五井先生はああして簡単にいうけれど
とかね
大体出てくるこたえは
わかってるんです
で、その
自分なんか
私なんか
ですけどね
そう思うのは
相変らずみなさんが
肉体人間としてこの世に生きてきた
なかで
身につけてしまった
とらわれだとか我だかね
あらゆる限定のなかで世界をみてゆく
業想念のなかで
自分というものをしっかりつかまえて
いるから
そうなってしまうんです
(つづく)