人は、ふるさとびと

お帰りなさい と迎えて
下さる神様は、私達の
ふるさとなんです。

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短 信(19)

2019-07-16 10:14:26 | スピリチュアル
祈りについてのおたずねですが、祈り
というものは、かたちではないのです。
本当のところはかたちではない。

じゃあなぜ、手を合わせたり、如来印を
組んだり、目を閉じたり、そういうことを
して祈るのかと申しますと、そういう
かたちをとることで、本心本体、本来の
自分、いのちそのものの自分のなかに
かえってゆきやすいからなのです。
 
こころをあつめて、おもいをすまして、
神をおもい、神様のなかに入ってゆく方法
として、我々はみな、かたちを持っている
ということなのです。
ですから、このかたち、つまり、目を閉じて
合掌したり、印を組むということは、単なる
形式ではないのであります。
魂というものが、心というものが、神を
たずねてゆくその準備運動なのであります。

そこで、こういうふうにして、みんな
祈ってゆくわけですが、実は、もう
からだ中で、年がら年中祈っている
というのが、本当のところなのでして、
人間というものは真実は自在に、
神様の愛のなかに溶け込んでいる存在
なのであります。

で、このかたちから入って、段々に、
素直に神様を呼び、世界平和の祈りを
かさねてまいりますうちに、自在な、
ほがらかないのちを持った自分自身が
あらわれてくるのであります。

印を組み、祈りながら、さながらの、
光そのままの、自分自身というものに
出会ってゆく。
真実の自分と対面する。
これを、私は、自分自身のいのちを
宣り出すと申し上げたのであります。

ですから、多少の迷いや、これで
いいのかしらというおもいが出たら、
消えてゆく姿として、祈りのなかに
放り込んで、ただただ祈って
ごらんなさい。

そうしているうちに、心もからだも
朗らかになって参ります。
ただ、心の なかに、世界人類が平和で
ありますようにとおもいうかべるだけで
いいのです。
私を呼んで下さるだけでいいのであります。

どうぞ、そのままのおもいを祈りの
なかにお預け下さい。
         昭和62年2月19日
            昌 久