人は、ふるさとびと

お帰りなさい と迎えて
下さる神様は、私達の
ふるさとなんです。

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短 信

2010-12-17 11:53:54 | スピリチュアル
 光はどこまでを浄めるかということについては、以前にも

申し上げたことがありますが、その範囲は無制限であります。


 宇宙は、尽きることのない神の愛と調和の気に満たされております。

 その神様の愛と調和(光)は、どこまでにもおよんで、

闇(業想念)を消し去るのであります。

 さらに申しますなら、光は、どこにも、みちていると同時に、私達の

このいのちの源であることも忘れてはならないことであります。

 神はわが裡にあり、我は光なりなのであります。

 これは何も、己れを高ぶらせるおもいからの言葉ではありませんで、

いつも申しておりますように、私どもは神のいのちからわかれてきた

分生命(わけいのち)、分霊(わけみたま)なのでありますから、光

こそわがふるさとでありまして、肉体は、この光を受ける器なのです。

 光をさえ切ることは出来ません。そうして、みちみちている光を、

分けることも、全く不自然なことであります。


 私達が素直に神に祈りをささげ、日常を送って参りますなら、

私どもは、神の朗らかないのちを受けた光として、どこまでも、

まわりを和らげ、浄めてゆくのであります。否、神が、浄めて下さる

のであります。

 世界人類が平和でありますように

                合 掌

                  昌 久

人から霊人へ

2010-12-17 09:36:55 | スピリチュアル
 新しい人間の創造ということを、今日、神は目ざしておられるので

あります。新しい人間とは何かと申しますと、人の持っている本質が、

愛と調和であるという事実に気付いて、自分をも人をも大事にし、

ゆるし合ってゆく人々を指すのであります。


 これは、物語でも何でもなく、ただ、人間の真性というものを

極めてゆきますと、愛と調和、そうして、愛と調和を助ける祈り

というものに出合うのでありまして、この真性を持った人間、真性を

とりもどした人間、光にみちた人々をふやそうとしておられるので

あります。


 私の世界平和の祈りも、この神の深い計画と大愛のもとに、

私に伝えられた祈りでありまして、この祈りによって、

人は光の柱を立て、自らの本心本体の最奥にかがやいている、光へと

たどりつくのであります。

 人から霊止へという念願のこめられた祈りなのであり、実際、

世界平和の祈りは、霊止へもどさずにはおかない、大光明霊団の祈り

なのであります。

 光

2010-12-17 09:30:04 | スピリチュアル
  光は

 光は、私達のうちにあって、私達の生命を

生き生きとみちびいているのであります。

 この事実の前に、私どもは感謝の祈りを

ささげて、一人一人の心にともるともしびで

ありたいものであります。



  真実の光

 私が申し上げている光は、目に見える光だけを

指しているのではありません。私どもの

生命(いのち)を突き動かして、永遠のいのちへと

溶け込んでゆく、神様の明るい明るい極みのない

愛情をいうのであります。

 世の中を構成しているものが、目にみえるもの

ばかりだと致しますと、私どもの心ですとか、

感情といった目にみえないものは、どこへ持って

ゆけば良いのでしょうか。

 実は、これらの目に見えず、手にふれ得ない

もののなかに、神の愛、神の息吹きに通じる真実が

働いているのであります。

 私どもの生命エネルギーは、こうした奥深い神の

みこころから働きかけられている愛の放射、

明るい光そのものに他ならないのであります。