伊勢崎市生涯学習大会を開催する。
今回はコロナ対策もあって参加者を限定し、講演会のみとした。
各行政区の区長の皆様、地区の生涯学習推進員の皆様に参加をいただく。
講師は伊勢崎市が様々な審議会等でお世話になっている高崎商科大学特任特教授の熊倉浩靖様。
「上毛かるたで見直す群馬の姿」の演題でご講演をいただいた。

市職員のご母堂様がお亡くなりになる。
告別式に参列する。
心よりご冥福をお祈りする。
赤レンガ倉庫で行われた「市収蔵美術展 特別展 ~ぐんまの作家にふれる~」に伺う。
故小杉明弘様から寄贈をされた作品を中心に展示されている。
小杉様に感謝するとともに多くの市民の皆様に鑑賞していただきたい。


午後は伊勢崎図書館で開催された新春図書館寄席に伺う。
演者は伊勢崎市出身の春風亭勢朝師匠。
閉会時に客席とのトークで楽しませていただいた。
「かけそばには、出汁や薬味の他に何がかかっているか?」と問われ返答ができなかった。
残念。
答えは「そばやの生活」。
次は対応できるよう緊張感を持って臨む。
でも新春の初笑いを多くの市民の皆様と楽しめた。


遅れて「NPO法人えがお」の地域交流の会に伺う。
プログラムは終了していたが、残っていた方々にご挨拶をする。
出演された「車椅子マジシャンたくま」さんにも挨拶ができた。

伊勢崎市のワクチン接種率(全人口212,039人)は、
1回目81.5%、2回目81.1%、3回目65.1%、4回目39.1%、5回目16.1%(1月12日現在)。
管轄別陽性者数(群馬県全体1978名、県管轄1284名、前橋管轄359名、高崎管轄335名)。
今日は、「田中眞紀子」さんの生まれた日。
田中眞紀子(たなかまきこ)さんは、1944年〈昭和19年〉1月14日生れ。
政治家、実業家。
越後交通代表取締役会長。
文部科学大臣(第17代)、外務大臣(第126代)、科学技術庁長官(第52代)、衆議院議員(6期)、衆議院外務委員長・文部科学委員長などを歴任した。
日本で初めて女性で外務大臣を務めた人物である。
父は第64・65代内閣総理大臣の田中角栄。
夫は防衛大臣などを務めた田中直紀。
群馬に関わるエピソードでは次の件が有名。
2001年7月に、群馬県で参議院選挙に立候補した吉川真由美を応援するための演説をするはずであったが、田中が応援演説の予定の午後4時よりも1時間以上前に群馬県庁前に到着し、応援すべき候補者が来るのを待たずに勝手に演説を始めた。
このため吉川は別の場所で演説していたが、これを中断して群馬県庁前へ急行、田中と一緒に演説を始めた。
田中は「これから新潟に行って外務省の用事があるもんですから、あと4分だけで終わりにしますが、候補者、どの人か知りません。
駅についてチラシをもらうまで男か女かも知りませんでした。
名誉のため、市議や県議をやったから国会に行ってみようとか、政治家の娘だから国会に行ってみようというのは税金の無駄遣いなんです。」と駅前で演説した(吉川は元群馬県議会議員であり、元衆議院議員熊川次男の娘。「政治家の娘」云々は群馬県を選挙区とする小渕優子のことかと思われるが、もちろん田中自身も政治家の娘である)。
吉川が田中の批判的な発言をなだめるために、にこやかに「そんなぁ」と言いながら、田中の肩へ手を回したが、田中は「この候補者、なんておっしゃるんですか。知らないから触らないでください。知らない人に触られたくありません。では地元に用事がありますし、外務省に用事がありますのでこの辺で失礼します」と駅前の大衆に向かって演説した後、すぐに帰った。
報道によれば外務省での公用などなく、地元の用事とは、新潟でのクラシックコンサートを見ることだったとされている。
田中眞紀子の事務所には、事前に吉川についての資料が送られていた。
結局吉川は落選した。
田中は党紀委員会にかけられたが、小泉首相側はこれを擁護した。
(Wikipediaより抜粋)
この傍若無人な振る舞いに吉川真由美さんがよくぞ我慢されたと感心する。
現在、吉川さんが元気に前橋市教育長をされていることに安堵する。
これから更に活躍される方だ。
今回はコロナ対策もあって参加者を限定し、講演会のみとした。
各行政区の区長の皆様、地区の生涯学習推進員の皆様に参加をいただく。
講師は伊勢崎市が様々な審議会等でお世話になっている高崎商科大学特任特教授の熊倉浩靖様。
「上毛かるたで見直す群馬の姿」の演題でご講演をいただいた。

市職員のご母堂様がお亡くなりになる。
告別式に参列する。
心よりご冥福をお祈りする。
赤レンガ倉庫で行われた「市収蔵美術展 特別展 ~ぐんまの作家にふれる~」に伺う。
故小杉明弘様から寄贈をされた作品を中心に展示されている。
小杉様に感謝するとともに多くの市民の皆様に鑑賞していただきたい。


午後は伊勢崎図書館で開催された新春図書館寄席に伺う。
演者は伊勢崎市出身の春風亭勢朝師匠。
閉会時に客席とのトークで楽しませていただいた。
「かけそばには、出汁や薬味の他に何がかかっているか?」と問われ返答ができなかった。
残念。
答えは「そばやの生活」。
次は対応できるよう緊張感を持って臨む。
でも新春の初笑いを多くの市民の皆様と楽しめた。


遅れて「NPO法人えがお」の地域交流の会に伺う。
プログラムは終了していたが、残っていた方々にご挨拶をする。
出演された「車椅子マジシャンたくま」さんにも挨拶ができた。

伊勢崎市のワクチン接種率(全人口212,039人)は、
1回目81.5%、2回目81.1%、3回目65.1%、4回目39.1%、5回目16.1%(1月12日現在)。
管轄別陽性者数(群馬県全体1978名、県管轄1284名、前橋管轄359名、高崎管轄335名)。
今日は、「田中眞紀子」さんの生まれた日。
田中眞紀子(たなかまきこ)さんは、1944年〈昭和19年〉1月14日生れ。
政治家、実業家。
越後交通代表取締役会長。
文部科学大臣(第17代)、外務大臣(第126代)、科学技術庁長官(第52代)、衆議院議員(6期)、衆議院外務委員長・文部科学委員長などを歴任した。
日本で初めて女性で外務大臣を務めた人物である。
父は第64・65代内閣総理大臣の田中角栄。
夫は防衛大臣などを務めた田中直紀。
群馬に関わるエピソードでは次の件が有名。
2001年7月に、群馬県で参議院選挙に立候補した吉川真由美を応援するための演説をするはずであったが、田中が応援演説の予定の午後4時よりも1時間以上前に群馬県庁前に到着し、応援すべき候補者が来るのを待たずに勝手に演説を始めた。
このため吉川は別の場所で演説していたが、これを中断して群馬県庁前へ急行、田中と一緒に演説を始めた。
田中は「これから新潟に行って外務省の用事があるもんですから、あと4分だけで終わりにしますが、候補者、どの人か知りません。
駅についてチラシをもらうまで男か女かも知りませんでした。
名誉のため、市議や県議をやったから国会に行ってみようとか、政治家の娘だから国会に行ってみようというのは税金の無駄遣いなんです。」と駅前で演説した(吉川は元群馬県議会議員であり、元衆議院議員熊川次男の娘。「政治家の娘」云々は群馬県を選挙区とする小渕優子のことかと思われるが、もちろん田中自身も政治家の娘である)。
吉川が田中の批判的な発言をなだめるために、にこやかに「そんなぁ」と言いながら、田中の肩へ手を回したが、田中は「この候補者、なんておっしゃるんですか。知らないから触らないでください。知らない人に触られたくありません。では地元に用事がありますし、外務省に用事がありますのでこの辺で失礼します」と駅前の大衆に向かって演説した後、すぐに帰った。
報道によれば外務省での公用などなく、地元の用事とは、新潟でのクラシックコンサートを見ることだったとされている。
田中眞紀子の事務所には、事前に吉川についての資料が送られていた。
結局吉川は落選した。
田中は党紀委員会にかけられたが、小泉首相側はこれを擁護した。
(Wikipediaより抜粋)
この傍若無人な振る舞いに吉川真由美さんがよくぞ我慢されたと感心する。
現在、吉川さんが元気に前橋市教育長をされていることに安堵する。
これから更に活躍される方だ。