jurgen's Heurige Blog (ゆるげんのブログ)

I will, I will いっぱい足りないの切なくて
I feel, I feel いっぱい会いたいのボクだって

深夜特急4 シルクロード/沢木耕太郎

2010年12月19日 | 読書
旅はインド→パキスタン→アフガニスタン→イランへと進んでいく。
外務省の海外安全ホームページを見るとパキスタンアフガニスタンイランも退避勧告が出ている。
今となっては行きたくてもなかなか行けない国に行けているのは、
ある意味羨ましい。
「行けるうちに行っておく」は旅の基本なのかもしれない。

この本の旅はヨーロッパに近づくにつれて終盤戦の様相を呈してくる。
旅から数年経ってから書かれたことところでもあり、
香港・マカオでの熱狂と興奮は薄れていき、やがて内証的な色を帯びてくる。

私にはひとつの恐れがあった。
その恐れとは、言葉にすれば、自分はいま旅という長いトンネルに入ってしまっているのではないか、
そしてそのトンネルをいつまでも抜けきることができないのではないか、
というものだった。

やがて終わったとしても、
旅という名のトンネルの向こうにあるものと、
果たして上手く折り合うことができるかどうか、自信がなかった。
旅の日々の、ペルシャの秋の空のように透明で空虚な生活に比べれば、
その向こうにあるものがはるかに真っ当なものであることはよくわかっていた。
だが、私は、もう、それらのものと折り合うことが不可能になっているのではないだろうか。

沢木さんは旅を「長いトンネル」にたとえている。
自分はサラリーマン生活を「出口のないトンネル」にたとえてその逃げ場のない絶望感を表現したことが何度かある。
精神的につらく病気すらもたらすトンネルから脱出して旅に出たいと思っている。
旅に出てもそれがトンネルに感じられてしまうのだろうか?
会社という名のトンネルが旅という名のそれにかわるだけ?
トンネルの名前が変わるだけで、どっちにしろ逃げ場のない絶望感がついてくるのだろうか。

だからといって、
旅をあきらめて、いつ治るかどうかもわからない病気をかかえながら、
あと20年も罰ゲームのような人生を歩まなくてはならないのだろうか?

わしは旅する方をとるだろう。


深夜特急4 シルクロード
沢木耕太郎
出版社: 新潮社 (1994/04)
ISBN-10: 4101235082
ISBN-13: 978-4101235080
発売日: 1994/04