老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

531;「老人介護をしてみたい」

2017-11-11 15:35:31 | 33年間介護を続けてきた理由
雑然としているが、さくらさくらデイサービスの食堂兼機能訓練室

 「老人介護をしてみたい」

身体障害者療護施設の介護と入所者の相談は
4年目に入った。

利用者の死を見送るたびに
介護とは何か
生きるとは何か
そのテーマは大きくそして重かった。

身体障害者療護施設向日葵苑の母体は
隣接してある脳外科病院であった。
脳外科病院の病棟廊下を歩くたび
老いた脳卒中患者の姿を目にするようになった。
向日葵苑と同じよう状態の患者が多く
誰かの手を借りなければ生きていくことができない。

光代さんと同じく
脳外科病棟の患者も
寝たきりの人も少なくはなかった。
老人の患者も年々増えてきた。
病院は褥瘡(床ずれ)は「看護の恥」と言われていながらも
現実、褥瘡ができている患者は目につき、
目や口腔内、手も汚れていた。

骨が見えるほどの褥瘡やポケット型の褥瘡は
治るまでには手間(処置)や時間もかかってしまう。
身体障害者療護施設向日葵苑では、褥瘡を治してしまう。
病院は医師や看護師など専門職が集まった医療施設である。
病院では治せない褥瘡
素人集団のあつまりである向日葵苑で褥瘡を治す。

褥瘡予防は体位交換も勿論2時間毎に行うが
一番は車いすに移乗させ、坐る時間を増やしていくことが大切。

褥瘡の話で横道にソレテしまった

脳外科病棟の老いた患者の姿を見て感じたもの(当時35歳)、
昨日まで元気で、田圃や畑の仕事をしていた、
定年になり、これから老後を楽しもうという矢先に、
脳梗塞や脳出血、くも膜下出血に遭遇し、寝たきりや半身不随麻痺の状態になったとき
脳の病気に突然当たった(脳卒中の意味)自分の身の不運を嘆き、
なかには生きる意欲を失い、リハビリもすることもなくベッドに臥床している患者もいた。
脳外科病院でリハビリをしてつかまり歩行ができるようになっても、
退院し家に帰ると「寝たきり」に逆戻り。

デイサービスや訪問介護を使うのは貧乏人の家だけであり
在宅介護は長男嫁が見るのが当然という世間の眼は根強かった。
そのような状況のなかで、
脳卒中後遺症を抱えた老人たちは
病院や在宅で何を思い、何を悩みながら生きているのだろうか。
老いた自分が寝たきりになってしまい
日中は座敷にひとり寝ているだけ。
当然生きる意欲や希望も失せてしまう。

老人介護施設があれば、
要介護老人の居場所をつくり、
リハビリに励みながら生活できる施設
そして在宅介護者の介護負担を減らす
「身体障害者の介護から老人の介護をしてみたい」と
脳外科病院の理事長(向日葵苑の理事長でもある)に相談をした。
平成元年に県内第1号の老人保健施設紫陽花苑(定員80名)を開設となり
私は人事異動によりその老人保健施設の生活相談員となった。

平成元年から今日まで老人介護に関わらせて頂いている
青い鳥症候群も手伝い、さまざまな場所で老人介護を体験してきた

・老人保健施設 
・中古のライトバン1台と2人の介護の専門学校をでた介護員で、半年、
町の公民館を借りデイサービス
・バスを1台貸し切り、在宅老人と在宅介護者と一緒に1泊2日の旅行を企画実施
・2年間在宅老人(83歳、いまならば要介護4相当の老人)の介護ボランテイア(入浴介助、買い物を含んだ外出、調理など)
・機械入浴ゼロ、認知症のつなぎ(抑制着)ゼロ、おむつ外しー全員トイレで排せつ介助、
夜間入浴などを取り組んだ特別養護老人ホーム
・民家を活用したデイサービス
・民家を活用した認知症グループホーム
・新築のデイサービス、新築のグループホーム
・訪問介護
・老人病院
・認知症老人専門のデイサービス
・介護相談(居宅介護支援事業所 ケアマネジャー)
・介護の仕事をしながら福祉・介護の専門学校の非常勤講師

いまはケアマネジャー(受持ち37名)と定員10名の民家を活用したデイサービス運営
物忘れが出始めたら、ケアマネジャー業は引退したい、と思っている。年齢が嵩む毎に受持ちは減らしていきたい)


530;骨休め

2017-11-11 15:17:31 | 生老病死
  骨休み

転倒骨折してから7日
「骨休め」の日々
怠惰な時間を徒に過ごしたような・・・・
韓流時代劇『オクニョ』を
放映開始から11月5日放映まで
31回分を観賞

入浴は自力でできるようになり
浴槽にも入ることができ
気分は最高

いま痛みを感じるときは
くしゃみ、咳
くしゃみをこらえようと
唾を飲み込むが
逆にむせ、余計にくしゃみが大きくなり
痛みは「絶好調」




529;上手な介護サービスの活用処方 第38話「認定調査の項目」 〔36〕 「感情が不安定」

2017-11-11 04:27:18 | 上手な介護サービスの活用処方
 上手な介護サービスの活用処方 第38話「認定調査の項目」 〔36
               4-3 感情が不安定(有無)

ここでいう「泣いたり、笑ったりして感情が不安定になる」行動とは、
悲しみや不安になどにより涙ぐむ、感情的にうめくなどの状況が自然なほど
持続したり、あるいはそぐわない場面や状況で突然笑いだす、怒り出す等、
場面や目的からみて不適当な行動のことである


・家族の話では、昔から涙もろく、昔の話などをしていたりテレビドラマをいると直ぐに泣いてしまうという
場合は、「ない」になる。場面や目的からみて不適当な行動ではないため。


実際の認定調査では、「ある」を選択することの方が少ない。
認知症や脳卒中(脳血管障害)後遺症になってから、性格が変わり怒ることが増えてきた。
認知症が進んでくると、自分の気持ち(感情)を、ありのままに出してくる。
二重人格とは違い、人間、職場でも近所付き合い、嫁姑などの関係において
嫌な感情を持っていても挨拶をしたり本音とは違う言葉で会話を行う。
それは人間関係を保つためにある。

認知症になる前、性格のきつい人は、認知症になった場合、そのまま性格がきつく出てくることもあり
怒った感情になり、デイーサビスなどでは利用者から疎まられてしまう。
会話なかで、言葉のきつさが表れ、これでは嫁姑の関係は上手くいっていなかったのだ、感じることもある。

心穏やか、柔らかな心で過ごされ、老いを迎えていくことと、感謝の気持ちを持つことが大切なのかな、と。
そのような人が老い、認知症になっても穏やかな性格で、周りから「可愛いがられる」。
人生の大先輩を「可愛がる」という言葉は不謹慎なのかもしれないが、
好かれる老人、嫌われる老人がいる(老人の世界でも同性から嫌われると、異性からも嫌われる)
それは老人でなくても、人間誰にもある。

脳卒中後遺症を持つ人の場合は、
いままで「出来ていた」ことが、「出来なくなる」など
思うようにいかなくなることで、性格が変わり怒ったするようになる。
また感情をコントロールする箇所の脳細胞が損傷されることで、泣いたり、怒ったりと感情が不安定になりやすくなる。

527;33年間、介護を続けてきた理由(わけ)〔5〕 「介護の原点」 ③

2017-11-09 13:05:18 | 33年間介護を続けてきた理由
 33年間、介護を続けてきた理由(わけ)〔5〕 「介護の原点」

光代さんをリクライニング型車いすに乗せ、散歩に行ったときのことである。
私は車いすを押しながら「子どもの名前でも呼べればいいのになあ~」と話しかけた。
(子どもの名前は純君 2歳になる)
すると、ようやく聴きとれるくらいの声で
彼女は、「じゅん~、じゅん~」と話した。
私は、最初光代さんではなく
一緒に散歩に同行してくれた寮母に
「いま、じゅん~って聞こえた?」と尋ねたとき

もう一度「じゅん~」という言葉が聴こえ
思わずしゃがみ込み、彼女の目線になり
「いま純君って話したよね~」と彼女の肩に手をかけた。
光代さんは1年8か月ぶりに目を覚ました瞬間に遭遇。
急いで居室に戻り、寮母長(看護師)に報告。
その日勤務している寮母が集まり、彼女の手を握っていた。
誰もが予想していなかった出来事だけに
また初めての介護、慣れない介護、苦労続きの介護だっただけに
彼女が意識を回復したことに興奮とともに
私だけでなく他のスタッフも泪を流してした。

このときほど介護のすばらしさを感じたこと
いまでも忘れずに心の奥底に失わずにある。

目が覚めたことを早速母親に知らせようと、電話をかけた。
母親は用事で大阪にいた。
光代さんのお兄さんは、電話で母親に「意識が戻ったこと」を話されても
母親は、「親をかつぐにもほどがある。いい加減にしなさい」と息子を叱った。
「違うよ」と再度真剣な声で、母親も吃驚。

彼女に「何が食べたい」と聞いたら
「西瓜が食べたい」と答えた
(施設の所在地は小玉西瓜の産地であった)

夫にも即電話をかけ、
「意識が回復されたことを話し、彼女は西瓜を食べたいと話されているので、西瓜を用意していただきたい」
とお願いした
光代さんの夫は整備工場の仕事を終え、急いで駆けつけてくれた。
光代さんは、夫であることがわかり、目には涙が溢れ、
夫はベッドの端に坐り、膝枕をし彼女の頭をなで、涙を浮かべていた。

翌日実母は2歳の純君を伴い、面会に訪れた。
光代さんは、子どもの顔を見て「純~」と呼びかける。
純君は最初戸惑いをみせたものの、おばあちゃんから「おかさんだよ」と言われ
お母さんの枕元に寄り、頭を撫でてもらったときの嬉しい表情は今でも思い出す。
意識を回復し最初に話した言葉は、我が子の名前であったこと、
それは、母親の深い愛情を感じさせられた言葉でもあり、感動した。

彼女は意識回復し、理解力は幼児年長から小学生低学年のレベルにあった。
話ができるまでに回復されたことの意義や評価が低くなることとは違う。
光代さんの母親(当時60歳半ば)は、20か月の間 晴れの日も 雨の日も 雪の日も 病院そして介護施設に面会に訪れていた。
面会のとき、いつも「眠りから目が覚め、話だけでもできれば・・・・」と話していた。
子を想う母の深い愛情をもう一つ感じさせられた母親の存在。
こんなにも早く彼女が意識を回復するとは夢にも思わなかっただけに、介護のすばらしさを感じた大きな出来事でもあった。
素人の集まりであった介護スタッフの頑張り。
私自身、デスクワークだけの生活指導員(現在は生活相談員)の仕事をしているだけで
寮母と一緒になって介護をしていなければ、
光代さんの意識回復の場面や
看護職員(2名)や寮母と一緒になって、そのときの感動の場面を体験することはできなかった。
その経験があったことで、今後の生活相談員や介護支援専門員(ケアマネジャー)の原動力となった。




526;残り少ない時間

2017-11-09 10:00:28 | 読む 聞く 見る
 残り少ない時間

私にとり心の詩集でもある
高見順『死の淵より』講談社 文芸文庫 の94頁に
「過去の空間」がある。

『死の淵より』に邂逅したのは 32歳のときだった


「過去の空間」の最初の連に

手ですくった砂が
痩せ細った指のすきまから洩れるように
時間がざらざらと私からこぼれる
残り少ない大事な時間が


7連に

その楽しさはすでに過去のものだ
しかし時間が人とともに消え去っても
過去が今なお空間として存在している
私という存在のほかに私の人生が存在するように


護施設で働いていたとき
よくスタッフは「時間がない」と口癖のように発していた。
高見順は食道癌になり、52歳の若さで私の誕生日に永眠された。

時間がないのは、介護施設職員ではななく
老人たちであることに気づかずにいる。

老人は死の隣り合わせに生きており
いつ死神が迎えにきても不思議ではない
指のすきまから時間という砂が洩れるように
時間がざらざらと私からこぼれる

私は老人の残り少ない大事な時間を奪わってはいないか、と
高見順の詩に気づかされた。
老人は 今日何事もなく元気であっても
明日の朝 突然急変し亡くなる人もいた。
それだけに、これは明日にしよう、と思ったことが
できなくなり後悔したこともあった。
老人は、今日の介護サービスに満足はしていない表情を察したとき
それは老人の時間を奪ったことだと、と反省してきた。

(サービスの満足とは、介護従事者ではなく本人が満足していたか、を問題にしなければならない)

その人が時間とともに消え去っても
その人の人生が存在していたことを
忘れないで欲しい、と。
ふとその人を想い出したとき
その人の存在は私の心のなかに生き還る



525;上手な介護サービスの活用処方 第37話「認定調査の項目」 〔35〕 「作話」

2017-11-09 00:47:59 | 上手な介護サービスの活用処方
上手な介護サービスの活用処方 第37話「認定調査の項目」 〔35
               4-2 作話(有無)

ここでいう「作話」行動とは、事実と異なる話をすることである。

1.ない
2.ときどきある
3.ある

自分に都合のいいように事実と異なる話をすることも含む。
起こしてしまった失敗を取りつくろうためのありもしない話をすることも含む

濡れたおむつをしまいこんでいるのがわかると、
「赤ちゃんのおむつを捨てていく人がいるの」
といって取り繕うことがある


箪笥の引き出しや押入れに濡れた紙おむつがあったのを発見されると
「私じゃない」「誰かが入れたんだ」と取り繕う行動がみられる

このように取り繕いの行動は、認知症が進むとみられてくる。
忘れてしまった記憶を取り繕うために、作話したり、誰かのせいにしたりするのが特徴である。

524;くしゃみが・・・・

2017-11-08 20:19:52 | 生老病死
 くしゃみが・・・・

何処へも出ず「自宅療養中」
まだ「立ち上がり」時は痛みあるも
昨日よりは幾分和らいだかな

でも地雷を踏んだときは大変

地雷とはくしゃみのこと
くしゃみをこらえきれず
くしゃみをしてしまった
やあ~右脇腹が痛く
手で押さえることもできなかった
くしゃみ は 恐怖

床に落ちたダイヤモンドを発見しても
いまの私には拾うこともできない不自由な体

523;33年間、介護を続けてきた理由(わけ)〔4〕 「介護の原点」 ②

2017-11-08 17:59:32 | 33年間介護を続けてきた理由
 ”33年間、介護を続けてきた理由(わけ)”〔4〕 「介護の原点」 ② 

どの寮母・寮夫(介護員)は、
介護に関する基礎知識や技術を学んだものは誰ひとりいなかった。
現在ならば介護福祉士や介護職員実務者研修などがあり、
介護の基礎知識や介護技術を体系的に学べる制度(研修)がある。

意識がなく寝たきり状態にある荻原光代さんのかかわりについて
寮母・寮夫と話し合いを持った。
意識がなく反応がなくても
食事は胃ろうであっても濃厚流動食を開始するときには
「荻原さん、ご飯ですよ」
機械浴のときも
「お風呂ですよ、気持ちいいですか」
おむつ交換のときは
「さっぱりしましたね」
介護のたびに言葉かけを行うよう取り決めをし、実行してきた。。

心のなかでは「本当に意識が回復するのかな」と、
濃厚流動食で栄養はとれ、摘便も行っている。
健康管理はできてきており、32歳と若く体力もある
「このまま意識回復しないまま、何年長生きしていくのだろうか」、と
気持ちの中で正直思っていた。


彼女に関わり3ヶ月過ぎたころ、顔の表情に変化が表れててきた。
まだそのことがどういう意味を持つか、誰も気がつかずにいた。
硬かった顔の表情が、全体的に和らいできたよう印象を受け、
寮母の会話のなかでも、そのことが話されていたな。
50歳半ば過ぎで男勝りで、ガラガラ声、恥らいも失せてしまった寮母がいた。
その寮母が、彼女の顔をみながら
「だんなさんとキスしたことがある」と
単刀直入に繰り返し聞くのである。それも大きな声で・・・・。
そのとき光代さんは、はにかみの表情を見せた。

言葉が耳に届き、頭が反応し、はにかみの表情をしたのかどうかは、
そこまでは意識して捉えてはいなかった。

向日葵の咲く季節
8月に入り、8日のことである。
光代さんをリクライニング型車いすに乗せ、散歩に行ったときのことである。
私は車いすを押しながら「子どもの名前でも呼べればいいのになあ~」と話しかけた。
(子どもの名前は純君 2歳になる)
すると・・・・

522;上手な介護サービスの活用処方 第36話「認定調査の項目」 〔34〕 「被害的」

2017-11-08 07:46:41 | 上手な介護サービスの活用処方
上手な介護サービスの活用処方 第36話「認定調査の項目」 〔34
                4-1 被害的(有無)

ここでいう「物を盗られたなどと被害的になる」行動とは、
実際は盗られていないものを盗られたという等、被害的な
行動のことである。


1.ない
2.ときどきある
3.ある

「物を盗られた」ということだけでなく、「食べ物に毒が
入っている」「自分の食事だけがない」等と被害的な行動
も含む。



認知症が進むと「財布がない」「お金がない」「通帳がない」と言って、探し回るが見つからない。
見つからないと「嫁が盗った」などと矛先が変わり被害的になる。
そのときは、「誰も盗っていないよ」と話しても、信じようとはしない。
「一緒に探してみようか」と声掛けし、一緒に探す。探していると布団の下やタンスの引き出しの中に
「財布」を発見。その場合本人に誘導するような形で「布団の下あるかどうか調べてみてくれる。私は
こっち探してみるから」。本人は布団の下に「財布があった」、と安堵の声がする。「見つかって良か
ったね」と、一件落着。

また、「知らない男が家に入ってきている」と訴えた場合、
「そんな男は家にはいないよ」と話すと、
本人は「私の話が嘘だというのか」と怒りだす場合もある。
そのようなときは
「どんな顔した男なの」とか
「警察に電話を入れて悪い男を連れて行ってもらったから大丈夫」
などと本人の話を否定せず肯定的に受け止めていくことが大切。

ある意味では認知症ケアは、役者になった気持ちで会話をしてみる。
そうは言っても家族となると、感情が入りなかなか上手くはいかない・・・・。
大事なことは、「否定しない」言葉が大切。
否定すると「私の話を嘘だと思っているのでしょう」と本人は余計に反発します。

水分不足になるとせん妄的な状態になることもある。
「蛇がいる」などと

被害的な言動が出たときには、認知症の専門医を受診することも大切です。
また市町村の地域包括支援センターや居宅介護支援事業所の介護支援専門員に相談されるとよいでしょう。

認定調査のときには、被害的な言動で苦労していること困ったことなど話されるとよいでしょう

521;「手紙」は時代遅れのなのでしょうか

2017-11-07 19:22:12 | 老いびとの聲
「手紙」は時代遅れのなのでしょうか 

いまやラインによる会話
スタンプも音声つきとなり
時代は変わった

妻もライン
私もようやくスマホにしたが
使う機能は
通話 ライン 電卓 のみです
わからないアプリは触らない
知らぬ女性に声をかけては大変

手紙は書かなくなった
筆不精もあるが
手紙を書くのが億劫になってしまった
ラインやpc
漢字は読めるが
正しい漢字を書くのに戸惑い、
PC辞書で確認

「手紙」は手紙で味わいがあり
行間に差出人の思いが溢れているのでしょうね

520;「痛い」のと「体が不自由なのも痛い」

2017-11-07 14:59:22 | 生老病死
 「痛い」のと「体が不自由なのも痛い」

肋骨骨折の負傷から3日目
昨日は整形外科医からは
「絶対安静」といわれ、入院を勧められたたが
どうしてもやらなければならない仕事があり
11月13日通院となった。

「立ち上がり」、ベッドからの「起き上がり」と
椅子に坐るために「屈む」ときが
ズキッと痛みが襲うときが恐怖である。
くしゃみ、咳込も痛みが響く。
不意に体をねじったり、右手を伸ばしたりするのもダメ。

他者の痛みは3日でも「我慢」できるが
自分の痛みは3秒でも我慢ならぬ。
人間とは勝手な動物である(それは自分のことだろう)。
痛みを少しでも和らげようとロキソニンを服用したが
移植した腎臓に負担がかかり、余り服用はできない。

息子beagle・genki
私がいつもと違うことに気がつき
心配そうな顔をしながら、ジッと様子を伺っている。

洋式便器への腰掛け、立ち上がりは、なんとか自立できた。
余り妻の手をかけたくはないが、
衣服、ズボンなどの着脱は全介助
シャワー浴も全介助
階段昇降は一部介助

いまは要介護老人の気持ち
認知面・精神面は、もの忘れ、置忘れがあり、
年齢を尋ねても実際よりは若く答えたり、我儘と勝手な行動あり。
要介護認定を申請したら「要介護3」のレベルかな

519;33年間、介護を続けてきた理由(わけ)〔3〕 「介護の原点」 ①

2017-11-07 12:39:49 | 33年間介護を続けてきた理由
33年間、介護を続けてきた理由(わけ)〔3〕 「介護の原点」① 

新規開設の身体障害者療護施設向日葵苑に勤め始めた7日後に
32歳の荻原光代さんが入所された。

(当時私も32歳だった)
光代さんは、向日葵苑の隣にある協和脳外科病院を退院し、入所
協和脳外科病院の理事長は、脳卒中後遺症患者のために向日葵苑を開設した。


光代さんは、16か月前
自宅でお茶を飲んでいたとき
「頭が痛い~」と訴え倒れ
救急車で県西病院に搬送された。
脳内出血の診断が下され
急遽手術となった。
手術は成功したが、
意識はなく寝たきり状態となった。

食事は胃ろう
排せつは、おむつ交換、排便は常に摘便
入浴は、機械浴(寝たままの状態で入浴)
着脱 全介助
ベッド、車いすの乗り降りは2人による移乗介助
視力は見えているかどうか、わからない
聴力 聞こえているかどうかわからない
話しかけても反応なし
狼のような大きな声を出し、施設中に響き渡っていた。
2時間毎の体位交換で褥瘡(床ずれ)はなかった。


昭和59年4月7日から、光代さんの介護は始まった。
当時、今日ほど介護は注目されていなかった。
私は生活指導員の職務であったが、利用者を理解するには
寮母(10人)・寮夫(2人)と一緒になって、介護に関わり、
また、夜の介護を知るためにも、夜勤(16時から翌朝9時まで)もした。

まだ介護のマニュアルなどはなく
どの寮母も昨日までは、専業主婦、農業手伝い、店員など
介護とは無縁の世界で暮らしていた。
介護方法の指導は私より12歳年上の看護師が指導。

当時、他者からどこに勤めているの聞かれ
「身体障害者の福祉施設で介護をしている」と答える。
「男なのに偉いわね~。私にはできない仕事だわ~。」と言い返され、
その言葉には、
歯が浮いたような気持にさせられ、しっくり来ない。

まだ世間から注目されていない介護は、日蔭の職業であった


518;上手な介護サービスの活用処方 第35話「認定調査の項目」 〔33〕 「第4群 精神・行動障害」

2017-11-07 02:16:13 | 上手な介護サービスの活用処方
上手な介護サービスの活用処方 第35話「認定調査の項目」 〔33
              第4群 精神・行動障害

「第4群 精神・行動障害」は、被害妄想、昼夜逆転等の精神症状等や、
介護に抵抗し、物を壊したり、衣類を破いたりする等の行動に関して
調査を行う項目の群である。
 
選択肢の選択基準

1.ない
2.ときどきある
3.ある

1.その問題となる行動が、過去1か月間に1度も現れたことがない場合や
ほとんど月1回以上の頻度では現れない場合をいう

・意識障害、寝たきり等の理由により、外出が起こりえない場合も含まれる
2.少なくとも1か月間に1回以上、1週間に1回未満の頻度で現れる場合をいう
3.少なくとも1週間に1回以上の頻度で現れる場合をいう

「精神・行動障害」の認定調査項目
4-1 被害的
4-2 作話
4-3 感情が不安定
4-4 昼夜逆転
4-5 同じ話を繰り返す
4-6 大声を出す
4-7 介護に抵抗
4-8 落ち着きなし
4-9 一人で外に出たがる
4-10 収集癖
4-11 物や衣類を壊す
4-12 ひどい物忘れ
4-13 独り言・一人笑い
4-14 自分勝手に行動する
4-15 話がまとまらない

※※
・認定調査員から「日頃の行動や介護上でなにか困ったことや問題行動がありますか」と、聞かれ
「なにもない」と回答された場合、それでこの第4群の調査を終えてしまうことがある。
・「このくらい、この程度は話さなくてもいいか」、ということで、なにもない、
ということで、終えてしまっては、認定調査員に何も伝わらない。
あらかじめ、ささいなことでもよいから箇条書き的にメモでもしておくとよいでしょう。
(そのメモを調査員に渡してもかまいません)

・「ない」「ときどきある」「ある」の回答だけでなく、実際の対応や介護の手間、頻度なども
具体的に調査員に話されるとよいでしょう。
・上記の15項目以外に類似した行動やそれ以外の行動で困ったことや手間がかかっていることも
あれば、それについても話されるとよいでしょう。

・上記のの「精神・行動障害」は認知症高齢者だけでなく、
脳卒中後遺症により、「できなくなった」ことで、性格が変わり、「感情が不安定」「大声を出したり」
などの行為が見られることもあります。


「精神・行動障害」は、恥かしいことではないので、躊躇うことなく
認定調査員に話されるとよいでしょう
(認定調査員は、守秘義務を遵守する責務があります)。

517;人の役に立つ  東野圭吾『ナミヤ雑貨店の奇蹟』角川文庫

2017-11-06 18:04:30 | 読む 聞く 見る
 人の役に立つ  東野圭吾『ナミヤ雑貨店の奇蹟』角川文庫

コソ泥少年3人が悪事を行ったあと
逃げ隠れた先は廃屋同然のナミヤ雑貨店

「ナミヤ」の言葉を入れ替えると
「ナヤミ」を受ける雑貨店に変わる。

5つの話(点)が、それぞれに深く結びつき
悩める人々の再生を描いていく。

いままで人の役に立つどころか、
逆に犯罪を起こし他人に迷惑をかけてきた
少年3人が、他人の悩みにつきあう。

ナミヤ雑貨店のシャッターから投函された
悩み相談の手紙を手にした少年達。

「うまくいえないけどさ」幸平が、ぼそりといった。
「これまで生きてきて、今夜初めて人の役に立てるって気がしたんだ。
こんな俺が、俺みたいな馬鹿が」(301頁)

「金じゃないよ。儲けにならないからいいんだ。
損得抜きで誰かのために真剣に何かを考えたことなんて、
これまでに一度もなかった」(301頁)

この小説のなかで、悩みを他者に相談するけれど
最後はやはり悩みをどう乗り越えていくのは、
自分である。

「うまくいく人間より、うまくいかない人間のほうが
はるかに多いからだ」(314頁)
それでも人間は、悩みもがきながらも「好きなように生きていけたら」最高だ。

亡くなっても私はあなた達のことを
「私は空の上からみんなの幸せを祈っているからってね」(364頁)

人それぞれ悩みを抱えながら生きている。
悩みを相談できる人や場所は、如何に大切か
悩みを乗り越えていくのは、当の本人である。

東野圭吾の小説は泪がウルウルする
『手紙』も最高に感動した