老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

1117;「抑制」された老母の姿は見たくはない

2019-05-21 03:52:53 | 老いの光影 第5章
「抑制」された老母の姿は見たくはない

齢(とし、よわい)を重ね
いつの間にか91才となった平下婆さん

春を迎えた頃から
食が進まず、水も飲まなくなったことから
脱水症となり病院入院となった。

70才近い長男と60才半ばの次男との3人暮らし
長男は“ぎりぎりまで入院はさせたくない”
“(認知症のため)抑制になり、抑制された老母の姿は可哀想で見たくはない”
と、話される。

“段々食べなくなり、オシッコもでなくる。
老衰というか、穏やかに自然な死を望まれるのか、
そして何処で死を迎えるか・・・・”

在宅訪問の折に長男に尋ねたこともあった。

兄弟だけで老母の最期を看取る自信はなく
“最期は救急車を呼び、入院をさせたい。
人工呼吸器による延命は望まないが、
胃瘻(いろう)はお願いしたい。
弟は少しでも母親に長生きをしてもらいたい”と。
鼻に管を入れるのは痛々しいから、それは望まない

先週の金曜日、病室を訪れたら
平下婆さんはベッドに寝ていた。
毛布の上がかけられていても、
彼女の躰は丸くなって寝ていることがわかった。

両手は毛布に隠れていて、毛布をめくってみた。
両手にしっかりと「グローブ」のようなミトン手袋をはいていた。
(北海道では手袋を「はく」と表現する。靴下も同じく「はく」)

点滴の針を射そうとすると
平下婆さんは、看護師に噛みついたり針を抜いたりなど抵抗が凄まじい。

長男にとり嫌な抑制は、承諾書署名(同意)を求められ、抑制となってしまう。
点滴のときだけ抑制されるのなら理解できるのだが・・・・、退院まで抑制されてしまう


自分の家族が、自分の老親が
ベッドで手足を縛られたらどう感じるのであろうか
確かに点滴の針を抜いたりして大変な状況になる、抑制はやむを得ない、と理解できるのだが・・・・
脱水症が完治し退院したときには
体力や筋力は落ち、心まで萎えてしまっている。

最期をどう迎えさせて逝くのか
老親の気持ちを聴くことはできなくなったけど
老親の気持ちを推し量り、どうしたいのか
息子二人の気持ちは、微妙に違い揺れ動いている

私もどう言葉をかけてゆくか 悩んでいる・・・・








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