老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

1253; また明日・・・・

2019-10-24 08:26:11 | 老いの光影 第5章
ひと月前の那須高原の風景 在宅訪問の帰途


また明日・・・・

“また明日”ね、と交わす言葉

ランドセルを背負った子どもの頃
昔は、寄り路が多く遊び歩いていた
秋になると
路端にランドセルを放り投げ

雑木林に足を踏み入れ
山葡萄、山栗、こくわの実等を食べ 遊び呆けた
別れ路に来ると
“また明日”ね、と手を振り
夕暮れのなか家路に向かった


東京で暮らしていたときのこと
渋谷、新宿、池袋などで
同僚と酒を飲んだ後
わびしく終電車に乗る

電車のドアが開くたびに
“また明日”ね、と
恋人たちが手を振る


111歳を迎えた翌日
サタおばちゃんの病室を訪れた
体調が悪く38.3℃の熱発
肩で呼吸していて苦しそうな表情

“おばちゃん”と呼びかけるwifeの言葉に反応してくれた
細い眼をあけ見渡し
誰の聲なのか、と様子を探る
末娘(五女、wifeの母親)とwifeは近寄り
痩せ細ったおばちゃんの手指を握る

できることなら熱が下がるまで傍に居たいけど
帰り際、“また明日来るね”、と聲をかける

サタさんは、また明日来るねの言葉に深く頷く

サタさんにとって
明日を迎える時間は
長〜く 暗闇のトンネルのなかで待つような気持ちなのかな、と
想ってしまう自分にも

サタさんは、何かを伝えようと
聲ならぬ言葉を発してくれた
彼女の言葉の意味を聴き取ることはできなかった
腎臓外科外来受診を終えたあと
サタおばちゃんの病室に寄り路をしよう、と思っている

(自治医科大学附属病院腎臓外科外来待合室で記す)



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