いま、ここに生きる
「人生における最大の嘘、それは『いま、ここ』を生きないことです(『嫌われる勇気』岸見一郎 古賀史健、275頁)。
『いま、ここ』を真剣に生きること」です(前掲274頁)。
人は、過去にこだわり、
果てぬ未来に夢を見たところで、
何も変化は生まれて来ない。
「いま、ここに生きる」人として浮かんできたのが、
認知症老人である。
繰り返し話していた昔のことも話さなくなり、
いま、自分が、どうしていいかわからなくなったり、
何をしようとしたのか忘れてしまったりして、
戸惑いや不安が渦巻く。
認知症老人は、
過去や未来のことよりも、
現在(いま)気にかかっていることが、一番の問題であり、
そのことを解決していかない限り、
前に進むことはできないし、並行して他の事もできない。
認知症老人に限らず、齢(よわい、年齢)をかさね老いて来ると、
「できていた」ことが知らず知らずのうちに「できない」ことが一つひとつ増えてくる。
本人は足が上がっているつもりでも、
一寸した段差に躓き前のめりになり両手を着いてしまう。
《自分も、しっかり躓き転んだ》
認知症老人は、
「今日」が一番のベストであり、
「明日」になると状態は「 ↘ 」になるかもしれない。
認知症の進行は緩慢であったり、
急に落下したりといったように予測できないところがある。
それだけに、「今日」がベストな状態であり、
「今日」という日は、繰り返すことのない一日、
すなわち瞬間、瞬間の時間が大切なのだと思う。
「認知症老人は、
桜の花を見せに連れ出しても、帰って来た時には“何処へ行ったかも忘れてしまっている。
だったら連れて行かなくてもよいのでは・・・・」と話す介護従事者がいた。
桜を見たことを忘れたことよりも、
いま、桜の花を見て、
「今年も桜の花を見ることができた」ことに感謝、歓喜(よろこび)、
「きれいだな」と感動したりする
その瞬間、瞬間に生きていることに、
人は何を感じ、何を想うであろうか。
認知症老人は、
戸惑いや不安を抱えながら、
必死に「いま、ここに生きている」後ろ姿から、
自分も、生かされていることを学ぶ。
自分は「いったい何をしているだろうか」と後悔と深い自省の念を抱く。
誰にも与えられた一日の時間は24時間。
「人生における最大の嘘、それは『いま、ここ』を生きないことです(『嫌われる勇気』岸見一郎 古賀史健、275頁)。
『いま、ここ』を真剣に生きること」です(前掲274頁)。
人は、過去にこだわり、
果てぬ未来に夢を見たところで、
何も変化は生まれて来ない。
「いま、ここに生きる」人として浮かんできたのが、
認知症老人である。
繰り返し話していた昔のことも話さなくなり、
いま、自分が、どうしていいかわからなくなったり、
何をしようとしたのか忘れてしまったりして、
戸惑いや不安が渦巻く。
認知症老人は、
過去や未来のことよりも、
現在(いま)気にかかっていることが、一番の問題であり、
そのことを解決していかない限り、
前に進むことはできないし、並行して他の事もできない。
認知症老人に限らず、齢(よわい、年齢)をかさね老いて来ると、
「できていた」ことが知らず知らずのうちに「できない」ことが一つひとつ増えてくる。
本人は足が上がっているつもりでも、
一寸した段差に躓き前のめりになり両手を着いてしまう。
《自分も、しっかり躓き転んだ》
認知症老人は、
「今日」が一番のベストであり、
「明日」になると状態は「 ↘ 」になるかもしれない。
認知症の進行は緩慢であったり、
急に落下したりといったように予測できないところがある。
それだけに、「今日」がベストな状態であり、
「今日」という日は、繰り返すことのない一日、
すなわち瞬間、瞬間の時間が大切なのだと思う。
「認知症老人は、
桜の花を見せに連れ出しても、帰って来た時には“何処へ行ったかも忘れてしまっている。
だったら連れて行かなくてもよいのでは・・・・」と話す介護従事者がいた。
桜を見たことを忘れたことよりも、
いま、桜の花を見て、
「今年も桜の花を見ることができた」ことに感謝、歓喜(よろこび)、
「きれいだな」と感動したりする
その瞬間、瞬間に生きていることに、
人は何を感じ、何を想うであろうか。
認知症老人は、
戸惑いや不安を抱えながら、
必死に「いま、ここに生きている」後ろ姿から、
自分も、生かされていることを学ぶ。
自分は「いったい何をしているだろうか」と後悔と深い自省の念を抱く。
誰にも与えられた一日の時間は24時間。
お元気です。 生きてます。
一冊の本になれそうです。
沢山の人に読ませてあげたいです
写真も とても良くなりました
(いぜんがわるかったとはいってないです^^)
みんな みんな 生きている
ひとり一人の老人の生き様は
無名の人生史ですね
いつもコメントありがとう~ございます