老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

996 いま、ここに生きる

2019-03-12 17:07:59 | 老いの光影 第4章
いま、ここに生きる

「人生における最大の嘘、それは『いま、ここ』を生きないことです(『嫌われる勇気』岸見一郎 古賀史健、275頁)。
『いま、ここ』を真剣に生きること」です(前掲274頁)。


人は、過去にこだわり、
果てぬ未来に夢を見たところで、
何も変化は生まれて来ない。

「いま、ここに生きる」人として浮かんできたのが、
認知症老人である。

繰り返し話していた昔のことも話さなくなり、
いま、自分が、どうしていいかわからなくなったり、
何をしようとしたのか忘れてしまったりして、
戸惑いや不安が渦巻く。

認知症老人は、
過去や未来のことよりも、
現在(いま)気にかかっていることが、一番の問題であり、
そのことを解決していかない限り、
前に進むことはできないし、並行して他の事もできない。

認知症老人に限らず、齢(よわい、年齢)をかさね老いて来ると、
「できていた」ことが知らず知らずのうちに「できない」ことが一つひとつ増えてくる。

本人は足が上がっているつもりでも、
一寸した段差に躓き前のめりになり両手を着いてしまう。
《自分も、しっかり躓き転んだ》

認知症老人は、
「今日」が一番のベストであり、
「明日」になると状態は「 ↘ 」になるかもしれない。

認知症の進行は緩慢であったり、
急に落下したりといったように予測できないところがある。
それだけに、「今日」がベストな状態であり、
「今日」という日は、繰り返すことのない一日、
すなわち瞬間、瞬間の時間が大切なのだと思う。

「認知症老人は、
桜の花を見せに連れ出しても、帰って来た時には“何処へ行ったかも忘れてしまっている。
だったら連れて行かなくてもよいのでは・・・・」と話す介護従事者がいた。

桜を見たことを忘れたことよりも、
いま、桜の花を見て、
「今年も桜の花を見ることができた」ことに感謝、歓喜(よろこび)、
「きれいだな」と感動したりする

その瞬間、瞬間に生きていることに、
人は何を感じ、何を想うであろうか。

認知症老人は、
戸惑いや不安を抱えながら、
必死に「いま、ここに生きている」後ろ姿から、
自分も、生かされていることを学ぶ。

自分は「いったい何をしているだろうか」と後悔と深い自省の念を抱く。

誰にも与えられた一日の時間は24時間。
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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
元気はつらつ^^ (はな)
2019-03-12 18:42:48
ず~っと読ませていただきましたが
お元気です。 生きてます。

一冊の本になれそうです。

沢山の人に読ませてあげたいです
写真も とても良くなりました

(いぜんがわるかったとはいってないです^^)
返信する
ありがとう~ (星光輝)
2019-03-13 06:50:37
はな さま

みんな みんな 生きている
ひとり一人の老人の生き様は
無名の人生史ですね

いつもコメントありがとう~ございます
返信する

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