老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

水野源三 瞬き詩人

2023-07-01 17:00:23 | 沁みる砂時計
1976 しゃべれない書けない


       いのちのことば社

36歳のとき、水野源三さんの詩に出会たときは、躰が振るえたことを思い出す。
小学校4年生のとき真性赤痢に罹り、下痢と高熱で体は衰弱し、脳膜炎を併発、脳性麻痺となった。
9歳のとき床に臥す躰となり、話すことができなくなった。
彼は、見えること聞くことができ、そこに生きる力を得た。

診療所の医師が源三を診察したおり、「はい」という言葉に眼をつぶれ、と言ったことがヒントになった。
五十音図を使って、一字一字拾うことを思いつき、そこから「瞬き詩人」の誕生となった。

しゃべれない書けない

私の
まばたきを見て
一字一字拾って
詩を書いてもらう

一つの詩を書くのに
十分 二十分 三十分
義妹の愛と忍耐によって
一つ二つ三つの詩が生まれる

神さまに
愛されて
生かされている
喜びと感謝を
詩に歌い続ける


「キリストの愛が 私の心を潤す」
自分の不遇に嘆くどころか 感謝し
言葉を紡ぎ 一つの詩を織り上げた水野源三の生き方に
本当に頭が下がり 生きることの意味とその深さに感銘した。

あれから34年の時間が過ぎ
自分は何をしていたんだろう、と反省させられた。

あの当時の心境に戻り、詩に触れていきたい。

生かされている

自分では
何もできない私が
家族のやさしさによって
オレンジ・ジュースを飲み
アイスクリームを食べ
詩を作り
み言葉を学ぶ

自分では
生きられない私が
神さまに
愛され
生かされている

(第4詩集 1981年)

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