老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

801;ただいま〔5〕

2018-07-07 12:25:43 | 老いの光影 第2章
 ただいま〔5〕

人間は人の中に居ても
一言も話をせず
家でもデイサービスでも
無言のまま5年間過ごしてきた文婆さん

耳が聞こえない
話しかけても話さない人だと
誰もがそう思い込み
デイサービスの椅子に座っていても
話しかけない
歌を忘れたカナリアではないが
話すことをしなくなった老人は
言葉を忘れてしまう
それだけでなく
口や喉の機能までが低下(退化)していく
脳卒中の病いがないのだが
話すとき呂律が回らず言葉が不明瞭な文婆さん
回りはそんなことは気にもせず
話しかける

隣りに坐る91歳の婆さんは
昨年の夏脱水症で入院
寝たきりの状態で退院した
さくらデイサービスに通い
2週間で介助つきだが歩けるまでに復活
復活した智恵子婆さんは
迎えに行ったときから帰るまで
機関銃の如く喋りどおし
文婆さんは口を開けざるを得ない

スタッフからも
洗濯たたみ、食器拭きなど
いろいろとお願いされる
人間頼まれると嫌な気持ちははしない

したくないときは
断れることもできる

いまは呂律が回らずはっきりしないが
そのうち言葉ははっきりしてくる
気長に待つ

デイサービスが終わり
家路に着いた文婆さん
夫が出迎える
聞こえる声で
「ただいま~」と話した
いままで「ただいま」の言葉を聴いたことがなかっただけに
夫の目はウルウルしていた
妻から話しかけることはもうないと思っていただけに
嬉しかった

「ただいま」の言葉は素敵だし
心に残したい言葉
学校や仕事などから家に着き
玄関戸を開け
「ただいま」
「おかえりなさい」
の会話は
家族のぬくもりが其処に在る
家で(自分を、私を)待ってくれる人が居るから
「ただいま」と言葉をかける

これが
家には誰も居ず
冬などは夕暮れ時が早いから
玄関戸を開けても
真っ暗で寒々しく寂しさを覚えるし
「ただいま」の言葉は必要としない

私を待ってくれるあなた
老いても夫婦で助け合いながら生きる
チョッとした言葉が人の気持ちを温かくしてくれる
「ただいま~」


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