老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

躰がだるくて透析は休む

2024-01-11 22:21:13 | 老いの光影 最終章 蜉蝣
2002 このまま死にたい

7時30分過ぎにスマホが鳴り、📞のマークを横に滑らせた。
「本人が、朝来たらまだベッドのなかで寝ていて、今日は疲れて躰はだるく透析は休む」、と話しています。
「介護タクシーには間に合わないので、病院までは私(妹)が車に乗せていきます」。

「立つことも歩くことも覚束なく、車に乗せることが無理なときは救急車を呼び、
病院(透析センター)まで搬送した方がいいかもしれませんよ」

妹さんから電話頂いたあと、自分のスマホに「板橋」さんからの着信があり、電話にでた。
まだ眠剤の効き目が残っているせいか、呂律が回らず発音不明瞭なところがあったけれど、
「今日、透析に行かない」の言葉が聞き取れた。

「躰がしんどいですか。飯は食べたか」
「食べる気がしない」
「躰は怠いですか」
「布団(ベッド)から起きたくない、このまま眠りたい」
「心配だから、私が透析に連れていくから待っていてね」、と話かけ
wifeと一緒にキャンバスに乗り向かった(自宅から35分ほど要する)

wifeは介護タクシー(訪問介護:通院等乗降介助)の仕事をしていて、時々自宅と病院の往復を送迎している。
自分は担当ケアマネではないが、訪問介護事業所の代表もしていて、
板橋さんは、透析が終わると「車お願いします」、といつも自分に電話をかけてくれていた。
そんな関係で、自分も心配になりwifeと彼のお宅に訪問した。


自分が到着する5分前に妹さんの車が停まっていた。
暖房は点いておらず寝室はひんやりとして空気が冷たかった。
ベッドを少し起こした状態で彼は寝ていた。

「板橋さん、おはようございます。躰しんどうそうだね。」
「布団から出る気力もない。今日はこのまま透析を休み家で寝ていたい」
「透析に行かないと、躰が浮腫み、心臓に水が溜まり余計苦しくなるよ」
布団から右手が見えていて、右手を見ると「グローブのように腫れているね(浮腫)。
水が溜まっているし、医師に診てもらった方がいいかな」
「私が車に乗せて透析センターまで行きましょうか。なんでこんなに躰がだるいか検査もできるよ」
彼は、「もう長生きしたし、透析も8年経つ。病院にも行かず、このまま死にたい」
「検査しても点滴しても、意味がない。何もしなくていいから・・・・」

透析の時間に遅れてもいいから私(娘さん)の車に乗せて行きます」
「(透析後)帰りは電話頂ければ介護タクシーで迎えに行きますので、気軽にお電話下さい」
と、言って彼の家を出た。

担当ケアマネに電話をかけ、朝の様子を報告した。

2時間後、透析センターに電話をかけたら
「今日は透析を休み、土曜日透析に行くことになった」(主治医からも今日の透析休みの許可がでた)。

11時半過ぎ頃、自宅から28km先にある地域包括支援センターに行く用事があり、キャンバスでまた出かけた。
彼の家は通り道から右折し1km先にあったので、様子を見に行った。
妹さんの車があり、玄関が開き娘さんが出てきた。
「今日は透析を休むことになり、土曜日でもいいと主治医からも話がありました」
「寒いから躰に気をつけてください」、と言葉をかけ、元の本道路に戻り包括支援センターに向かう。






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