横尾寛と平和の鳩

横尾寛と清水友陽の「平和の鳩」は札幌で演劇を検証し実践。
清水はいろいろと忙しそうだなあ。

中標津

2010-11-24 | 日々
大人の事情で中標津。
中標津はいろいろと思い出深い町だから書きたいことはいろいろあるんだが、あいにくさっきまで”いちばん星”で魚類と酒類をたらふく飲み食いしてきたので大変に眠い。

今回の旅は移動時間が結構長いから、移動の車中で落語でも覚えようかと思って「湯屋番」を文字に起こしてみたんだが、いや大変だ。
でも、「湯屋番」とか「粗忽の釘」とか、やれるようになりたいな。練習しよう。

今日は移動のバスで酒を飲んだら尿意が極限まで高まり難儀した。
中標津まで残り20km、時速60km丁度で走ってるから、あと20分。
20分。
ああ、私ほど時間との戦いに挑んでいる者がかつていたであろうか。牧草地帯をバスは行く。牛が呑気に草を食んでいる。牛はいいなあ。いつだって、どこだって放尿する自由。私は牛になりたい。牛になって大地に放尿したい。その尿が草を育み、草を食べた私が乳を出し(どうやら私は雌牛らしい)、その乳を飲んだ人間が放尿し、また草を育む。これぞ食物連鎖だ。

それで思ったんだが、あのツイッターってあるでしょう。
なんかあれって気持ち悪くて嫌なんだけど、ツイッターをする人って、やっぱりウンコしたりオシッコしたらつぶやくのかね。
「あ、今、猛烈な便意。今排便したら気持ちよさそう」
「トイレがないから大地に脱糞したよ」
「あ、紙もってないや、誰かもってませんか、●●付近にいる人ヘルプミー、レンドミーペーパー」
ウーン、便利だな、ツイッター。
だいたいさ、携帯の写メールとかが出てきたときも思ったけど、あんなもん、その日の朝に出たウンコを撮って人に送りつける以外の使い道なんか、あるのかね。本質的に。
つまり私は、ツイッターなんて、今私ウンコしましたって他人に報告してるのと何にもかわんねえやと、悪口を言っているのだ。

勿論、人にウンコしたと報告して何が悪いと言われれば、それはその通りだ。
が、人に伝える以上は、気をつけて、工夫して、体面を繕っていただきたい。それが他人に接する態度ってもんだ。
垂れ流しのつぶやきを他人に聞かせるなんてことは、人間のコミュニケーションとしてはありえないことなのだ。やってはいけないことだとさえ言ってしまおう。

と、思ったことを垂れ流すように綴ってみたが、これはこれで創意工夫を凝らしているつもりではある。

見せるなら ウンコするにも ひと工夫

旧友

2010-11-09 | 日々
突然アクツケンヂのことを思い出して、ネットで調べて彼が南会津で農業をやっていることを知る。
元気そうでなによりである。

札幌駅の地下で、昔一緒に芝居をやったことのある人にものすごく久しぶりに会う。

コダマユタカからメールが来る。15年ぶりくらいでしょうか。

そんなんで、旧い人たちに会ったり消息を知る一週間。


それはそれとして、キーボードにお茶をこぼして、N と B と Delete のキーが効かなくなった。
試しにお茶をこぼして、N を効かなくしてみていただきたいのだが、ものすごく不便だ。いや、本当にすごく不便なんだから。

それでもなおこうして壊れたキーボードで打ち続けるところが私のエライところなのだが、こうして現に打っている以上、誰も私が困っていることをわかってくれないからこうして報告した次第である。

何をおおげさなやつだと思う方は、早くお茶をこぼして N を効かなくしてみていただきたい。本当にすごく不便なんだから。

今、私のパソコンでは、”LA”と打つと”な”と出るように設定を変更してある。同様に、LI→に、LU→ぬ、・・・というわけだ。
では、”ら” と打ちたいときはどうするかというと、RAを打つのだ。RI→り、RU→る・・・。
同じく、JA→ば、JI→び、JU→ぶ、・・・。

ああ、いやだ。全然えらくない。




10月は過ぎた

2010-11-02 | 日々
10月は終わった。
腰痛でヨタヨタしているうちに。

庭の片付けとか、屋根のペンキ塗りとか、やるべきことはたくさんあったが、それらもすべてやり残した。

すべてはこの腰痛が悪い。

俺の10月を返せと言ってやりたい気持ちになるが、文句を言う相手が腰痛を引き起こした張本人=私なので、そうすると自分自身と言い争うことになり、大変面倒だ。だいたい私は、私と私のどちらの味方につけばいいんだ。仮に私が悪いということになれば、私は私に対して私に謝罪することを要求するが、私が素直に非を認めて私に謝ってくれたところで私の腰痛が治まるわけでもなく、また私は、私が私に対して素直に謝罪するような種類の人間ではないことも知っている。そうすると私は「私が謝らないんなら私にも考えがあるぜ」ってなわけで、私と私の対立の深刻化に伴い、私が本来私として対峙すべき私以外のその他大勢との関わりにおいて重大な支障を来たす事が予想されるのだ。
私が私とうまくやれないならせめて私以外とはうまくやりたいと願うのだが。

そのこととはまったく関係なく、東京に来てMODEの「かもめ」と東京乾電池の「長屋紳士録」を観た。

御茶ノ水に行って、ギター屋さんをまわる。
見たらやっぱり欲しくなってしまった。
でも、買わない。

10月に札幌で、YAMAHAのFG-200Jというやつの中古を4,000円くらいで買ったので、冬はそれを直してみる。もともとすごく安い楽器だけど、1975年頃のギターでいい音がするのだ。