横尾寛と平和の鳩

横尾寛と清水友陽の「平和の鳩」は札幌で演劇を検証し実践。
清水はいろいろと忙しそうだなあ。

天丼

2012-05-29 | 日々
私事でたいへんに恐縮なのだが、タバコをやめて二週間が経った。

先人の例に従い、私も会う人会う人に禁煙を開始した旨と不退転の決意であることを喧伝し続けたのである。そのおかげで、「私も辛かったけど、気合いで乗り切りました。ガンバレ!」とか「当方、禁煙二カ月突破しました。お互い頑張りましょう、未来は我々の手の中にあります」とか、「横尾さんの頑張ってる姿を想像して毎日の生活に張り合いが出ました」といった激励や感謝のメールが、毎日たくさん寄せられることを期待していたのだが一通も来なかった。
今日なんて日は昼から天丼を食った。言うまでもなく、この度の禁煙により私の味覚がどれくらい復活・改善しているかを確かめるためである。結果は良好であった。引き続き経過観察のため、定期的に南四条蝦天本店あるいは南二条蝦天分店に出向く必要があるようだ。

習慣

2012-05-23 | 日々
私事で大変恐縮なのだが、煙草をやめることにしてから1週間が経とうとしている。

すっかり健康体になった私は今、渋谷のホテルでこれをこうして書いているのだが、ここに至るまでにもさまざまなイベントがあり、それは、
空港に着いて搭乗を待つ時間
ホテルの部屋に着いて荷物を解いて一息ついた時
カツカレーを食ってアイスコーヒーを飲んでる時
打合せ場所にちょいと早く着いてしまった時
部屋に帰ってきて風呂入ってビール飲んでる時
・・・

すべてが喫煙という習慣と結びついた時間であり、そのたびに、あそうだ、俺タバコやめたんだ、と思いだすことになる。

こういうことを書いていると「禁煙と闘う男のプログ」みたいでイヤだからもうやめにするが、何が言いたいかというと、喫煙というのは生活の中のちょっとしたリラックスするためのシーンと結びついて習慣化しているからやめるのがつらいんだと、やめてみてはじめてわかった。

で、すっかり健康体になって前向きな姿勢を取り戻した私は、喫煙に代わるリラックスタイムの習慣を獲得することにした。
といっても、鼻の中に小指を入れたり出したりしてみる、とか、ご飯粒を親指と人差し指で黒くなるまでこねてみるとか、そういうのはダメだ。パンツの中に手を入れて位置を確かめる、とかも、もちろんいけない。
ヨーデルを歌う。財布の中の10円玉を年代別に整理する。昆布を拾ってきて長さを測る。
やるべきことはたくさんあるハズのに、喫煙に代わる決定的な習慣が見つからないのは何故だろう。

煙草を吸うのをやめた

2012-05-21 | 日々
私事で恐縮だが、4日前から煙草を吸うのをやめることにした。

理由はいろいろあるのだが、「煙草を吸う権利を認めろ」とか「喫煙は文化だ」とか「肩身の狭い思い云々」とか言う馬鹿な一群に加わっているのがイヤになったのだ。つまりは、現在の社会的弱者・悪者が入り混じった立場である「喫煙者」という肩書に甘んじることを私の美意識が許さなかったということだ。

4日経つが、多分このまま吸わなくなるのだろう。体調はいい。空気がうまいぞ。呼吸がラクだ。「メリーさんの羊」演るとしたら、どうしたらいいんだろうな。煙草吸うんだよな、あれ。

とはいえ、長年染み付いた習慣だから今はそれなりに苦しい。
お酒飲みにいったりとか、今はしたくないよ。

私は、それなりに苦しんでいる。
皆で私を励まそう。
なお、励ます方法は各自で工夫していただきたい。