横尾寛と平和の鳩

横尾寛と清水友陽の「平和の鳩」は札幌で演劇を検証し実践。
清水はいろいろと忙しそうだなあ。

草を刈る夢を見る

2010-07-15 | 日々
草を刈る夢を見た。

庭の芝を、草刈り機、あるいは芝刈り機っていうのか、それで刈るのだ。
もちろん、俺は芝刈り機なんて持っていないから、芝刈り機の形状なんかはほとんどバリカンの親分みたいなのに車輪がついたやつで甚だいい加減なんだが。
とにかく、それで、庭の草をジョリジョリと刈るのだ。
観ると隣のオヤジも芝刈り機で芝を刈っている。その隣のおっさんも、やっぱり刈ってる。これは、昔観たなんかのアメリカ映画のあるシーンなんだろう。

いやあ、昨日刈ったばかりなのにずいぶん伸びたなあ。ジョキジョキジョキ。
あれ、ここだけなんでこんなに長いんだろう、いいや刈っちゃえ、ういんういんジョキジョキ。あ、ちがった、ここは残しとくんだった。モヒカンみたいに草、残しとくんだった。
モヒカンみたいにね、残さないと。寂しいじゃないか、庭が。

なんでそんな夢を見たのか知らないし、それをどうしてここにわざわざ書くのかも、私の知ったことではない。




yhs『忘れたいのに思い出せない』

2010-07-14 | 観劇した
ZOOで観た。

南参、よく書いたなあと思った。そのように思いながら観てた。

ラスト、警報のベルがずっと鳴ってて、そこでおばあさんが赤ちゃんを抱いてるんだけど、あ、このまま終わればかっこいいのになあと思う。結局、終わらないんだけど。
で、俺がそのように思ったのはなんでだろう、と考える。

きっと、この本に、もう少し強さを求めてしまったんだと思う。

たとえば三戸部とエレキさんのエピソードの部分とか、もうすこし強くなるんじゃないか。
今言ってる強さ、ってのは、暗さ、なのかもしれないんだが。人間の暗さ、暗さの可能性、みたいな。

このまえ観たのは死刑のやつで、今回が認知症の話で、南参はよく書くなあ。
あー、こいつ、険しい所に進んでる、とか思って、うれしくなる。別に、扱う題材が重いとか軽いとかそういうことではなくて、書きたいと思うことを書き、それでもやっぱりエンターテイメントを書こうとするこの人が、うれしい。その道は、険しいと思うけどね、すごく。
だから、もっと、骨太なモノを求めてしまうんだと思う。彼の書く本に。


おばあさんの福地さん、よくやったと思う。きっと、たいへんだったのではないでしょうか。あれは。ストイックな芝居してた。


ロビーで売ってた上演台本買ったり、テシロギとか南参とかに「ラストは俺なら絶対こーするね」とかわーわー喋って、また余計なことを言ってしまったと思いながら帰る。

平田オリザさんの話を聞いた。

2010-07-08 | 日々
かでる2.7で平田オリザさんの話を聞いた。

劇団協議会の会報で対談してたのを読んでたから、オリザさんが考えてることの予備知識は少しはあったんだが、それにしても、本人の話を聞くとやっぱりおもしろい。

そして話の内容は、演劇に関わる人間に対して、それなりの覚悟と決断を要求するものだった。

やっぱり聞いてよかった。
私にとって平田オリザという人は、10代のころは自転車の人だったんだが。

それにしても、青年団の芝居、札幌で久しぶりにやればいいと思うんだけど。ZOOで呼ぶとか、するべきだろうなあ。観た方がいい。オリザさんの、芝居をね。