横尾寛と平和の鳩

横尾寛と清水友陽の「平和の鳩」は札幌で演劇を検証し実践。
清水はいろいろと忙しそうだなあ。

次回公演

2009-03-31 | 日々
次回公演はまだ決まらぬが、それに向けて少しずつ動く。

相変わらず本を読んだりノートをとったりの日々。


今日は年度末らしいが、ほとんど関係ない。
微熱があるからさっさと帰ろうかと思っているくらいだ。

野球野球

2009-03-24 | 日々
予定通り大汗かいて寝て、風邪は撲滅した。
そして結局、WBC見てわーわー熱くなる。

いい試合だったなあ。
最後のイチローの打席はすごい勝負だったなあ。


野球

2009-03-23 | 日々
WBCだが、結局、決勝は日本と韓国でしょう。
もう、どっちが勝ってもいいや、って思ってる人がずいぶんたくさんいるのではないか。これで「決勝で勝ったほうが世界一だ」って言われてもなあ。なんかなあ。これまでに4戦もやって、五分でしょう。韓国の人たちとわーわー競うのもなんか疲れる。日韓戦をこれだけ立て続けにやると、お互いの国力はひどく消耗するではないでしょうか。
まあ、選手は、最後まで勝とうと思ってやればよい。スポーツだからね。
でも、日本も韓国も強い、ってことが、お互いに十分わかったから、なんかよかったじゃあないかあ。
明日の決勝はなあ。仕事だしなあ。大人の事情で、ちょうど昼食会なのだ。
そして、今日は昼から悪寒がして、今は吐き気がしてきた。これからお湯を大量に飲んで厚着して寝て、この風邪を明日の朝までに撲滅しようと思う。

傍観者としての客席と断絶された舞台

2009-03-13 | 日々
この前の橋口の千年王國の芝居で、客席が舞台を両側からか挟んでたでしょう。
別に新しいやりかたではないし、今回の美術に関してはいろいろ難しいなあと思ったのだけど、それよりも客と舞台の距離について。

ATTICでgahがやってるけど、これは近い。せまいからね、ATTICは。
それで、その距離と、この前の千年での距離。

コンカリの千年で感じたことは、ああ、おれはやはりここでは傍観者なのだ、観客なのだ、舞台上とは大いなる断絶があるのだ、ということ。もちろん、それでいいのだけど。両面から囲み、舞台に客席を巻き込むような仕掛けがなされればなされるほど、俺は傍観者なんだということをいちいち確認させられた。ちゃんと離れて見よう、俺は他人だ、と。だいたい俺は、向かいの人(女)の脚ばっか見てたからね。あ、また脚組み替えた、とかね。

ATIICのgahはどうだ。こちらは、もっとぐっと近いけど、舞台と観客、その断然が前提としてある。だから、落ち着いて離れて見てられる。断絶を感じながら、他人事としての舞台を。だいたい俺は、イナガキの制服ばっかり見てたからね。

ということで距離のことを考えた。
これも、演劇の世界では極めて曖昧に扱われている問題だなあ。
近けりゃいいってもんじゃないよ。

だから、「舞台と客との距離」ってことより、客席に座る客という存在、の問題になるんだろうな。

昔の『せりふの時代』に別役さんが、「劇場から観客という厄介なものを締め出す方策」について書いていた。なんか、そんなことから考えてみる。

gah 「黄色い果実」

2009-03-11 | 観劇した
gahの「黄色い果実」を観た。

ずいぶんやる。
毎日1回ずつ、20ステージくらいやる。
それはいいことだ。いいなあと思う。
観終わった後、ももちゃんとそのことを話したのだけど、やっぱりこういうことは何回もやったほうがいい。そういう試みだ。そういう、検証の作業だ。

1時間50分という時間が、確かに長いのだけど、
あの戯曲には必要な時間なのかもしれない。

それで、またいろいろ考える。

終わって、ももちゃんたちと数人で飲んでいろいろ話す。
俺も、ついべらべらといろいろ話す。
それでまた後悔したりする。
まあでもしょうがない。


群集は難しい。
俳優が自分に向かいすぎる。
いやそれはつまり自分に引き寄せすぎるということだね。
いやそれはつまりつまり設計図を用意してしまうってことさ。
つまり毎回忘れろってことだ。いやいやその忘れるってことができるかできないかってそれは技術の問題になるんじゃないでしょうか。
ちゃんと会話をしたいんです。うんでもその「会話をする」ってこと自体がそもそも曖昧なんじゃないか。会話と対話は違うのか。相手と向き合うってことかいな。向き合うってなんだ。
などどべらべら話してたら深夜になったからすすきのできつねうどんを食って事務所に帰って寝袋で寝る。

もっといろいろ考えたり思ったりしたから、それはまた書く。

私は今日も一日一所懸命働こうと思う。

2009-03-09 | 日々
週末は家でペンキと油性のオイルステインを塗った。
ひたすら塗った。
そんなわけで、前腕と肩が痛いのとシンナーの吸いすぎで頭が痛い月曜日の朝。
全く自信はないが今日も一日一所懸命働こうと思う。全く自信はないが。
あそうだ、gah観にいかなくちゃ。明日行こう。

北斗市 函館 屋台 水

2009-03-03 | 日々
北斗市 現場制作。滞りなし。
北斗市は、函館のとなり、上磯町が中心になって合併して出来た市。です。
昨年の9月の北海道ツアーからご一緒させてもらったツアーメンバーとも今日でお別れ。また、どこかで、会う事でしょう。

バラシ終わって深夜、舞台監督と演出部の方と駅前の屋台で飲んでお話。

北海道の室温の話とか。
津々浦々、ホテルの朝飯の話とか。
水の話とか。
二十数年前の、大阪の、淀川水系の飲料水の話とか。

そうしてあらかじめ更けていた夜はさらに更け。

明日は函館市民会館小ホールの下見を朝一番でやっつけて、札幌へ帰ります。

どちらさんも良い旅を。

伊達、カニの身をほじくる 勤労

2009-03-01 | 日々
伊達のホールで現場制作。
慣れてる旅なので仕込からバラシまで順調に進む。

私はといえば、極めて微妙なタイミングと数量で毛がにの差し入れをいただいたので、その対処に後半は終始する。

調理室。ひとりカニをむく。実をほじくる。ひたすらほじくる。カニをむいてもひとり、だ。
ぐわっとつかんでじゅるじゅると食いたいが、我慢してほじくる。
そうするとどうだ。つるんと身をむく快感が芽生えてくるぞ。ああ、これ、いいカニだ。すげえぎっしりだ。
お皿の上にカニの身の山を築く。カニ山だ。安易だが、ほかに呼びようがない。こんな山が近所にあったら誰だってそう呼ぶはずさ。”カニ身山”と呼んでもよさそうなものだが、そうすると、年月を経て”カニ見山”となることは確実で、それだと、頂上からカニを見ることができる山、という意味になってしまうから、やっぱりカニ山です、そこに人差し指で小さな川をひこう、その川を流れて一粒の涙が海に届くかもしれない届かないかもしれない、ああ俺は蟹工船だ。小林多喜二だ。プロレタリアだ。労働問題だ。俺の労働問題をなんとかしてくれ今こそ立ち上がれワーキングプア。カニの身をほじくりながら決起せよ蜂起せよ、などと考えたり考えなかったりしながらさらにほじくる。ひたすらほじくる。