横尾寛と平和の鳩

横尾寛と清水友陽の「平和の鳩」は札幌で演劇を検証し実践。
清水はいろいろと忙しそうだなあ。

移動

2010-01-31 | 日々
能登から宮城へバス移動中である。バラシてからそのまま走る、夜走りってやつだ。
よって、今は新潟県に入ったあたりらしいのだが、夜中で何も見えず。
何も見えないというのは嘘で、対向車のライトと町の灯が流れていくのが見える。
そうすると少々感傷的な気分になる私はこのままいつまでも走り続けて朝がきたらどこか乾いた国の砂漠のハイウェイを走ってたらいいのにとか思うんだけど、それにしても携帯電話でこうして打つのって、なんてめんどくさいんだ。
新潟からは福島に入る。
10数年ぶりに会津を通過する。
磐梯山、見えないかな。

石川県にいる

2010-01-30 | 日々
石川県は能登で、札幌のTV局の方と新聞の方と、会い、飲む。
なんだか、楽しかった。
この前のゴドーの話なんかも聞かせてもらって嬉しい。

次、何やろうか、どうやってやろうか、常に考えているんだが、よくわからない。
でも、やることにする。

平和の鳩ということで考えると、清水は今年も忙しそうだ。まったく清水は、年中芝居のことばっかりやってる。が、私も仕事も含めて年中芝居のことばっかり考えてる。
そこで、たまには別のことも考えてみようかと思う。

考えてみることにする。

キャンプ。
駄目だ。それは休日の使い方の話だ。キャンプは行きますが。

リサイクル。
いいことだ。だが、それは、考えるというより、普段からやったらいいでしょう。リサイクル、推進しよう。

お琴
持ってない。買ったら高そうだ。

サリンジャー
亡くなった。俺も、ライ麦畑で捕まえて欲しい。

牡蠣
さっき食った。うまかった。能登半島の牡蠣はなあ。

手荒れ
旅に出ると手荒れが治まる。なんでだろう。ソウル行った時もそうだった。その時は、キムチとか焼き肉とかガバガバ食ってたから、それが肌にいいのかなとか思ったんだが。肉の脂がね。

遠心分離機。洗濯機の脱水機以外で使うことはほとんどないんだが、現代の遠心分離機がどこまで進んでいるかということを調べる、というのは、ひとつのやりがいのあることかもしれない。モルワイデ図法。なんだか忘れたが、つまり、地図だ地図の表記法。なんだっけ。深絞り加工。金属の板を型でギュッと成形するんだよ、確か。モンテスキュー。なんか、啓蒙の人フランスとかの。基礎工事。やっぱり基礎工事くらいできないとな、基礎出来たらいいよな。生コンとか、どこに頼むんだろう。1m3幾らくらいなんでしょう生コンって。

ふざけているのではないか

2010-01-29 | 日々
人にそのように思われる恐れは常にあり、それはそれで気をつけないといけないんだが、問題は、実際にふざけている場合だ。

先日の偲ぶ会で、どうしても飾る場所がない写真を「じゃあ、天井から吊ったらいいだろ」という某氏の提案で、テグスで天井からぶらぶらとぶら下げたんだが、これは「ふざけている」と思われる(思われた)可能性はかなり高い。
亡くなってしばらくたつのだが、それにしても偲ぶ会だ。故人を偲んで集まった人々。献花をし、思い出を語りながらお酒などを飲む。ふと見ると、天井から故人が酒を飲んでる写真がぶらさがってて、ひらひらくるくると回っている。
「ふざけている」
見た人がそのように思ったとしても、しょうがない。
そしてそれはおそらく正しい。我々は、多分、ふざけていたのだ。

物事を考える順序として、まず、故人を偲ぶのにふざけるということが適切かどうか、ということを考える。
そうすると、人は、人の死に接した時、ふざけていいんだろうか、ということになる。
それはつまり、人間の生というものをどのように扱うかということになるんだが。

あえて宣言することでもないんだが、私は、ふざけて生きていたいと思う。
ふざけた以上、自分の責任はとる、とかかっこいい話では、決してない。

私は、ふざけている物事にあこがれる。
大変にセンスが求められる生き方ではあるんだろうけど。
これも、あえて言うのもはばかられるが、それはつまりユーモアということだ。

ずいぶん困難なことを書いた。
ふざけることは、まったく、困難だ。








能登半島

2010-01-29 | 日々
7時半の飛行機に乗らなくちゃいけないんだが、寝坊した。
わーわー言って家を飛び出す。
タクシーがぶんぶん飛ばしてくれて、間に合う。
おかげでたくさん忘れ物をした。

羽田で乗り継いで能登へ。
ここは能登半島。
が、劇場に入ってしまえば、どこなんだか、いつなんだか、なにも分らん。

着くなり着替えて舞台袖へ。
なんだか忙しい旅になりそうだ。

あと、能登空港からのマイクロバスでは、前に座ったおっさんが鼻毛をブチブチ抜いていたんだが、そういうことはやめていただきたい。殴るぞ。

一月も終わる

2010-01-26 | 日々
乾電池のコーヒー入門が終わり、バラシて打ち上げて、そのまま高木孔美子さんを偲ぶ会を仕込む。夜が明けて昼が来て、そのままスタート。終わってそのまま打ち上げ。どちらも無事に終わってよかった。
あさってから能登とか新潟とか宮城とか郡山とか秋田なんだが、それはいいとして札幌に残務が山盛りで、なんとも悩ましい。まあいいや。もりもりと片付けていこう。
移動時間に読む本を決めた。移動時間が長いのだ。私が組んだ行程なんだが。

コーヒー入門が終わる。
結局、芝居のことを考える。芝居を扱ってるからあたりまえなんだけど、芝居のことを考える。

夜中。バスがないから、駅から家まで歩く、小一時間。
いろいろ考える。考えるために歩く。
自分に可能な演劇のかたちを考える。
家に着く。



東京乾電池「コーヒー入門」について

2010-01-19 | 日々
東京乾電池の「コーヒー入門」だ。
柄本明さんと朝比奈尚行さん。

釧路公演を終えて、白老へ。
白老公演を終えて、今日札幌へ。

へんな芝居だ。
すごくへんな芝居だ。

明日からZOOで6ステージです。
まだチケット残ってる回もあるみたいですから、
ぜひ観て下さい。

情報はこちら
http://www.h-paf.ne.jp/

釧路へ

2010-01-18 | 日々
仕事で釧路へ。

東京からの客人たちと飲んだあと、呼び出されて店の外にでるとハヤシさんの車に乗せられ郊外のカタギリさん家に連れていかれて、カタギリ夫妻とハヤシ夫妻と夜中までお酒をいただく。

いろいろ話して、カタギリ夫妻にわーわー言われて、私もわーわー言って、なんか楽しかった。

あと、カタギリさんのヨメに、”平和の鳩”という名前をけなされて、たいへんうれしかった。なかなか札幌じゃ、そんなこと言ってくれる人もいない。
それなりに懸命に考えてふざけてつけた名前だから、たまには糾弾されるくらいのことがないとつまらない。調子にのって平和の鳩の今後の革命遂行のスケジュールなどをぺらぺらと喋る。

ホテルに帰って水を2リットルくらいとウンコ、いやウコンを飲んで、なんとか二日酔にならずに済む。

今日は釧路から白老へ走ったんだが、まだ釧路のことを書き終ってない。
しかし残念ながら私は寝る時間だ。
明日は朝から白老で仕事なのだ。

今日は呑まないつもりだったんだが、苫小牧のホテルの隣で呑んでしまった。
今から水とウコンを飲む。

2010年だ

2010-01-13 | 日々
2010年だ。

正月はたくさん食べ物を食べたので、雪の中を歩いたりストレッチをしたりして過ごした。おかげで、腰の調子が、少しよい。

4日から仕事をモリモリして本日に至る。

1月3日、大変お世話になっていた女優さんが亡くなった。
高木孔美子さん。76歳。

現在、女優・高木孔美子さんを偲ぶ会の実施を企画中です。

ご自宅に、偲ぶ会で使わせていただく写真とか遺品を借りに行く。

本棚には、ものすごい量の戯曲・演劇書など。
この本たちの今後の管理方法は一応決まっているのだが、ご親族の方のお言葉に甘えて、どうしても読みたい数冊をお借りしてしまった。
別役実「言葉への戦術」(1972年)。

うーん、なんてことだ。

孔美さん、ありがとう。