横尾寛と平和の鳩

横尾寛と清水友陽の「平和の鳩」は札幌で演劇を検証し実践。
清水はいろいろと忙しそうだなあ。

yhs『忘れたいのに思い出せない』

2010-07-14 | 観劇した
ZOOで観た。

南参、よく書いたなあと思った。そのように思いながら観てた。

ラスト、警報のベルがずっと鳴ってて、そこでおばあさんが赤ちゃんを抱いてるんだけど、あ、このまま終わればかっこいいのになあと思う。結局、終わらないんだけど。
で、俺がそのように思ったのはなんでだろう、と考える。

きっと、この本に、もう少し強さを求めてしまったんだと思う。

たとえば三戸部とエレキさんのエピソードの部分とか、もうすこし強くなるんじゃないか。
今言ってる強さ、ってのは、暗さ、なのかもしれないんだが。人間の暗さ、暗さの可能性、みたいな。

このまえ観たのは死刑のやつで、今回が認知症の話で、南参はよく書くなあ。
あー、こいつ、険しい所に進んでる、とか思って、うれしくなる。別に、扱う題材が重いとか軽いとかそういうことではなくて、書きたいと思うことを書き、それでもやっぱりエンターテイメントを書こうとするこの人が、うれしい。その道は、険しいと思うけどね、すごく。
だから、もっと、骨太なモノを求めてしまうんだと思う。彼の書く本に。


おばあさんの福地さん、よくやったと思う。きっと、たいへんだったのではないでしょうか。あれは。ストイックな芝居してた。


ロビーで売ってた上演台本買ったり、テシロギとか南参とかに「ラストは俺なら絶対こーするね」とかわーわー喋って、また余計なことを言ってしまったと思いながら帰る。