4月
2011-04-14 | 日々
昨年の11月24日に、私は中標津の牧草地帯を走るバスの中で尿意と闘っていたらしい。
だから、その前日は帯広にいて、その2日前には大船渡にいたことになる。
大船渡のリアスホールで仕事をした翌日、美しいリアス式海岸を眺める海沿いの道を走り、陸前高田や気仙沼を通り、仙台空港に向かった。
大船渡で劇場バラシ後の深夜、閉店直後に入ったのに快く蕎麦と天ぷらと熱燗を出してくれた、ホテルの近くのあのお蕎麦屋さんも、きっともうない。
いろんな人が、それぞれの状況で、いろいろなことを感じたり、考えたりしているのだろう。いろいろなことを。
自分のこと。他人のこと。社会のこと。絶望について。希望について。
渦巻く思い、想い、悲しみ、瓦礫と、絶望と、愛と、
そんなものを抱えて、いったい我々はこれからどこへ向かうというのだろう。
生きていかなくてはいけない。
生きている人間というのは、生きていかなくてはいけない人々のことだから。
問いかけること。
それが、今、我々に許されたことだと思っている。
同時に、それは、我々に課せられた使命でもある。
それで、今日からまた書き始めようと思います。
だから、その前日は帯広にいて、その2日前には大船渡にいたことになる。
大船渡のリアスホールで仕事をした翌日、美しいリアス式海岸を眺める海沿いの道を走り、陸前高田や気仙沼を通り、仙台空港に向かった。
大船渡で劇場バラシ後の深夜、閉店直後に入ったのに快く蕎麦と天ぷらと熱燗を出してくれた、ホテルの近くのあのお蕎麦屋さんも、きっともうない。
いろんな人が、それぞれの状況で、いろいろなことを感じたり、考えたりしているのだろう。いろいろなことを。
自分のこと。他人のこと。社会のこと。絶望について。希望について。
渦巻く思い、想い、悲しみ、瓦礫と、絶望と、愛と、
そんなものを抱えて、いったい我々はこれからどこへ向かうというのだろう。
生きていかなくてはいけない。
生きている人間というのは、生きていかなくてはいけない人々のことだから。
問いかけること。
それが、今、我々に許されたことだと思っている。
同時に、それは、我々に課せられた使命でもある。
それで、今日からまた書き始めようと思います。
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