白黒一家

ネコ暮らし

言の葉、音に乗せて

2007-05-20 20:12:44 | 憧れて
私は日本語が好き。
大学の時もそのような勉強をしてたし
言葉が発する人それぞれの独自のセンスが好きで、若者言葉も
そういう面では日本の文化を変えていくだけの力があって
馬鹿に出来ないなって思ってる。
(ただしそれの全てを良いと思ってる訳でもなく、
後に新語にしてしまう勢いが凄いと思う)
ずっと昔から使われてきている言葉は、やっぱり日本人の心だと思うし
大切に使っていきたいなって思う。

私自身は、「話す」って事が苦手なんだよね。
頭に思い描いている気持ちが、全て言葉という音に乗らなくて
自分の伝えたい事が、本来なら適切な日本語に乗ってニュアンスも
伝えられるはずなのにその10%も発揮できない。
全てを言葉にすることは無理かも知れないけれど、
私の場合、人よりもその能力に欠けていて、
簡単に言えば「言葉足らず」なんだよね。
小さい頃からどことなく、私はこの能力が乏しいと思っていたけれど
「わかってくれる人だけがわかってくれればいい」
と間違ったわがままを押し通してきたように思う。
やっぱり、自分の言葉足らずは補わなければいけないし、努力しなければならない。
そんな風に思ったのは23歳の頃で、上京してきて少し経って
周りの環境の中で、私はいつもニコニコしていただけだったと思う。
その時の私は、話をすることが怖かった。
今の私じゃ考えられないけど、確かにそうだった。

「簡潔に物事を伝える」
という事が一番の理想で、簡単な言葉で相手に意志を表示したいのに
そうするとどこか強くなったり弱くなったりする。
自分の思うような表現が出来なくなるし、
相手にも間違えたニュアンスで伝わってしまいそう。
だからいちいち、「簡潔」じゃなく長くなってしまう。
文章を描いてみてもそう。
修飾する言葉が多くてその状況を一つ一つ説明したがる。
読み手にとっては「想像する」が少なくなっていく。
伝えすぎるって事なのだと思う。
「歌詞」なんていうのは本当に短くて リスナーはその短い言葉に
想像力を働かせて感動したりするんだもんね。
短い言葉で伝えるって事は素敵なことだと思うし、高度だと思う。

私は頭の中で組み立てた文章に、修飾語が多くつきすぎて
話している間に軽くパニックになって言葉が出てこないのだと思う。
もう少し、自分が話すってことを見直していかなきゃな。
あの頃は、話すときも一生懸命だった。
1つ1つをクリアにして、キレイな大人にならなきゃ。

ちなみに、文章に関して言えば修飾語が多くつき過ぎたり
同じ事を何度もくどい程描くのは私の癖であり特徴だから
これはこれでいいかなぁと思うようになっている。