白黒一家

ネコ暮らし

九州男児を作った男ーちぇすとーー

2007-02-23 21:26:48 | 戦国浪漫
チェストーの掛け声と共に生きた男。
島津義弘これこそこの人こそが戦国浪漫である。

この人の武勇伝は数限りなく・・・生涯1度も負けていない人である。
みんなが知ってる関が原では西軍についている。
この時、西軍が負けそうになりみんな逃げていく中、
島津義弘が言ったこの言葉が熱い。
「これからが本番だ」
その言葉どおり、前退と呼ばれる方法で的中を突破している。
関が原に参戦するにあたって、島津家は中立を宣言していたので
どちらかにつくのは許される事にあらず。(島津家の中で)
それをわかっていて、義弘は西軍についた。
これは、義のためであり、彼は義の人であるからだ。
たった15人足らずで参戦しようと決めていたが、彼の人柄や
彼への生き方に共感を得るものも多く1000人近い人間が
彼と一緒に死に場所を探していたのである。
武士たるものこうある如く・・・

そんな中、西軍の大敗・・・
島津義弘の「これからが本番だ」という言葉の通り・・・
前に向かって退却するという凄まじい攻撃が生まれる。
コレについてはこれとかこれとか
これなんてわかりやすい。

是非一度読んでいただきたい。
主君の為に壮絶に散っていった人間の姿をみてもらいたい。

私には関が原の捨てがまりよりも感動したエピソードがある。
それは、関が原前夜にさかのぼる。
関が原の前夜は、前夜祭の宴が催される。
その際に、どの武将も綺麗な着物で登場し明日の前祝をするのだ。
各武将、何千もの兵と共に参加するのだが
島津義弘は、この宴にたった15人で参加している。
前にも触れたが、中立の立場を取る島津家は関が原に行くのは
ご法度で在り、島津義弘ももちろんお金は出ていなかったのだ。
お金もない島津義弘は歩いて鹿児島から関が原まで辿り着いた事になる。
そして貧乏ゆえに着物もなく、宿もなかったらしい。
そして鎧兜でこの宴に参加している。
それを各武将達がこぞって馬鹿にして笑いものにされていたそうだ。
しかし、島津義弘はその間も胸を張って頭を下げず前を向いていたそうだ。
島津義弘は武士で在り、宴をするためにきているのではないし
馬鹿にされても自分の信念の限り、
そんな事を恥ずかしい事だとも思わなかったのだ。
笑いものにする中、たった一人だけ島津義弘に頭を下げて礼を尽くした男が居る。
その名を、石田治部少輔三成(いしだじぶしょうゆうみつなり)
そう彼である。
彼は、両手で握手し島津殿がいてくれるだけで何千倍の
味方をつけているようですとお礼を言い島津義弘の為、宿の用意をしている。
一説には、島津義弘石田光成は仲が悪かったとあるが
決してそんな事はなかったであろうと私は思う。

島津義弘は義の為に参戦し、決して笑われても関係なかったのだ。
自分に誇りを持ち、前を向いている姿は感動の嵐である。
そう、それに次の日には鹿児島から実費で義弘を追って
千人もの人間が到着する事にもなるのだから。

九州男児を作ったのは間違いなく、この島津義弘である。
この男とは、武士とはこうあるべきと
見事自分の姿で表現している。
チェストー
という叫び声は高揚したときに発する掛け声。
この言葉を大切にしていきたい。

わかりやすい動画を発見した。
コレをみて熱く叫んで欲しい
チェストーーーーーーー
http://www.youtube.com/watch?v=fZq9GJv5x3Q