小学5年の頃、敬語を習った。
丁寧語・尊敬語・謙譲語この3分類。
私はこの敬語というのが得意だった。
なぜなら、田舎の私達世代の中学校というのはまさに
暗黒の時代と呼ばれる強烈な時代だったからだ。
先輩・後輩の掟は軍隊ばりに厳しく、
敬語はもちろん、スカートの長さ、靴下の折り曲げ方
何一つ年上に逆らってはいけない風潮だった。
それを上手く使えない者は
呼び出しという拷問を受けなければいけなかった。
その為、敬語の使い分けはとてつもなく得意だったのだ。
そんな思い出深い敬語が、最近変わったというのだ。
3分類から5分類になった。
詳しくはこちら
暗黒の中学時代の話を少し付け足せば、
1つ上の先輩が徒歩で帰宅途中に、水溜りの水をチャリンコでわざと通った
事があった。その泥水はまんまと私にヒットして先輩は笑って帰っていった。
こんな事は日常茶飯事だったが、そのまま負けてなるものかと
かわいがってくれていた2つ上の先輩に事を話した結果
泥水をかけた先輩は、2つ上にぼこられた。
うちのかわいい後輩に何してくれてるんだ?ってやつね。ざまーみろ。
話はずれたがそんな事があって敬語は、日常に溶け込んでいた。
だけど、今はどうだろうと思う。
「上のものへの言葉遣いがなってない」
そう言われればそうだけど、私はそれでもいいのだと思う。
実際、私も敬語なんて滅多に使わないし、
出来れば使わないように心がけている。
それは上司に対してもそうするように、心がけている。
コレは意地だ。
自分のキャラ的な意地である。
相手に対して、「舐めた」発言をしていればいつかは叩かれる。
ただ、相手を尊敬していれば相手を尊重する気持ちがあれば
たとえ、敬語を使わなくてもうまくやっていけるのではないか?
もちろん、キャラ的要素は大きい。
相手に、こいつは敬語じゃなくても尊重してくれている
と思わせる心がけが必要だ。
いつも誰かを馬鹿にしている発言を繰り返していると
そんな時は、叩かれてしまうものだ。
敬語が意味のあるものかどうかよりもまず、
相手を馬鹿にしても舐めちゃいかんのだ。
そういうことを勉強すべきなのではないかなぁと感じるのであった。
固いなぁ(笑)
丁寧語・尊敬語・謙譲語この3分類。
私はこの敬語というのが得意だった。
なぜなら、田舎の私達世代の中学校というのはまさに
暗黒の時代と呼ばれる強烈な時代だったからだ。
先輩・後輩の掟は軍隊ばりに厳しく、
敬語はもちろん、スカートの長さ、靴下の折り曲げ方
何一つ年上に逆らってはいけない風潮だった。
それを上手く使えない者は
呼び出しという拷問を受けなければいけなかった。
その為、敬語の使い分けはとてつもなく得意だったのだ。
そんな思い出深い敬語が、最近変わったというのだ。
3分類から5分類になった。
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暗黒の中学時代の話を少し付け足せば、
1つ上の先輩が徒歩で帰宅途中に、水溜りの水をチャリンコでわざと通った
事があった。その泥水はまんまと私にヒットして先輩は笑って帰っていった。
こんな事は日常茶飯事だったが、そのまま負けてなるものかと
かわいがってくれていた2つ上の先輩に事を話した結果
泥水をかけた先輩は、2つ上にぼこられた。
うちのかわいい後輩に何してくれてるんだ?ってやつね。ざまーみろ。
話はずれたがそんな事があって敬語は、日常に溶け込んでいた。
だけど、今はどうだろうと思う。
「上のものへの言葉遣いがなってない」
そう言われればそうだけど、私はそれでもいいのだと思う。
実際、私も敬語なんて滅多に使わないし、
出来れば使わないように心がけている。
それは上司に対してもそうするように、心がけている。
コレは意地だ。
自分のキャラ的な意地である。
相手に対して、「舐めた」発言をしていればいつかは叩かれる。
ただ、相手を尊敬していれば相手を尊重する気持ちがあれば
たとえ、敬語を使わなくてもうまくやっていけるのではないか?
もちろん、キャラ的要素は大きい。
相手に、こいつは敬語じゃなくても尊重してくれている
と思わせる心がけが必要だ。
いつも誰かを馬鹿にしている発言を繰り返していると
そんな時は、叩かれてしまうものだ。
敬語が意味のあるものかどうかよりもまず、
相手を馬鹿にしても舐めちゃいかんのだ。
そういうことを勉強すべきなのではないかなぁと感じるのであった。
固いなぁ(笑)