1gの勇気

奥手な人の思考と試行

働けど働けど我が生活楽にならず

2007-12-28 09:55:44 | 1gの思いつき
そもそもワーキングプアとはなんなのか

というのを、gooのニュース畑でやってるそうです。
ニュース畑そのものは見てないので、しらんのですが、上記リンクの内容を読む限り。
なんなのかわかりません。

なんなのでしょう。
定義としては、『働けども働けども我が生活は楽にならず』ということでしょう。
時給いくらとか、年収いくらとかゆうのは単なる比喩でしかない。(いいすぎか?)

先の記事にもあるとおり、ワーキングプアは昔からあって、
浮浪者も、昔からいて、
何も今に始まったことではない。

なのに、今これだけ問題になっているのは、マスコミの騒ぎすぎ。
ゆうてみれば、流行なだけかと。
マスコミのネタ不足もあるのだが、これはまた次の機会に。(...書くのか?)

マスコミの騒ぎすぎを取り除くと、さしてあとには残るものはないのだが、
水を抜いたクラゲくらいには何かが見えるので、書いてみます。
意識の変化。ですかね。

日本国民は皆豊かな生活ができるはずだ。
21世紀(昭和のひとにとっての夢の未来)にもなって、貧困者がいるなんて理想と違う。
また、二十年前が頂点だったとしても、そこから生活水準はさして変わっていない。

それだけ長い間安定的な豊かな時代が続けば、それを享受できないひとが、
例外的に見えてくる。
例外だから、問題となる。

ほんとに例外か?
それもまた、標準ではないのか?
さっきのバカ○○もそうだけど、結局見る人の基準によってその辺は変わるのです。

というわけで。
働いても豊かになれないなんて、歴史的に見ればふつーだし、
それが起こらない社会は理想だが、資本主義社会ではおそらく無理。

湯水のように原油がわき出してくる国々を除けば、無理。
弱者を救うのは地域社会(非企業)と国の役割であり、企業の役割ではない。
どうもワーキングプアは企業が悪い。という論調になりがちだが。

企業は利益を追求するのが目的であり、そのついでに社会への貢献をしているに過ぎない。
コンプライアンスは法律遵守であり、社会貢献ではない。
社会貢献が第一の目的の組織は慈善事業でしょう。一般企業は慈善事業者ではない。

確かに、一部の(ほんの一部の)大企業は大もうけしておるが。
それが悪いとはこれ如何に。
そういう企業が莫大な税金を国に納めてくれるから、弱者救済もできるのだ。

とまあ、企業擁護をしてみました。
なんか、ワーキングプア=企業が利益をむさぼるのが悪い。という論調を感じたので。
企業に利益追求が悪いゆうのは、人間に繁殖(恋から子供育てるまで)が悪いゆうのも同然で。

その存在意義を否定しても、なんの解決にもならない。
利益を弱者に還元できるほど出せる企業なんてそんなにないのですよ。
そもそも、利益を還元する仕組みはすでに法人税(他各種税金)にあるわけで。

その上、企業に直接的に、たまたまじぶんのところで雇った人間のみに、
生活改善の努力をせよ。というのは、筋違い。
何度も言いますが、企業は儲けてなんぼです。だから従業員は飯を食える。

これ以上書くと企業論まで出てきそうなのでやめときます。
ワーキングプアは高齢化社会とも相まって、借金漬けの国には対策不能に落ち入るのは確実です。
少なくとも、国庫負担が増える方向には。薬害肝炎の問題でさらに国庫が傷むのは確実。

あとは、法律つまり新たな社会ルールを作るくらいしか手がなくて。
でもそれには、相当な頭脳が必要でしょう。
そして、試行錯誤が必要でしょう。

今の保身第一な政治家や官僚たちにできるとは思えません。
というわけで、この国は終わったの。
あーあ。

最後に。そこそこの給料を安定的にもらうには、相応の運と努力と才能が必要です。
おそらくはこれはかけ算の関係で、どれか一つが著しく小さいと、他がいくらあっても、
豊かにはなれません。

水神は就職氷河期にありながら、運良く会社に入り、そこそこの努力と、
それなりの才能で、ぼちぼちの給料(無理すればZ4の中古買えるくらい)を
もらう生活をしているわけです。

人間関係を気づくのが著しく苦手な私がそれでもなんとかやっていけてるのも、
運がよいだけかもしれません。
なので。その逆に運が悪い人もいるわけで。

また、才能を発揮できないひともやはりいるわけです。
ひとにはそれぞれ何かしらの才能(他の人より優れていること)があるはずです。
ただ、会社でそれを発揮できなければ、才能はないも一緒です。

選んだ会社、あるいは業種が間違いだった。ということでしょう。
何が言いたいかというと、しかたないのです。ということです。
コントロール可能なのは、努力だけで、生まれ持った才能や正体不明な運など操作不能。

努力しても、金持ちになれない。というのは、そういうことです。
努力だけではだめで、それに才能と運が必要。
たまたま持ってる才能が現代社会に合えば、金持ちになれる素養がある。

逆に、とんでもない運の持ち主で、あれば、そこそこの努力と多少の才能で金持ちにもなれるわけです。
運といえば、年末ジャンボもありますな。あれは努力も才能も不要ですが。
でももらった金をうまく使うには、この二つが必要でしょう。

なんか長々と書いたのは、気分が仕事モードのままだからかもしれません。
朝七時に目が覚めるし。
才能といえば、自分探しもこれを求めて。か。うむー。

話がかなり拡散してるので、ここで、無理矢理終了。
運は待っていてもきません。
パックマンと一緒で、えさをぱくぱく食べてるとたまにチェリーが出たりするのです。

とりあえず、外へ出て、何かをしてみて、たまたま現れた運という名のチェリーを
逃さぬように、食べましょう。
チェリーもほっとけば、すぐに消えてしまいます。

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平等という名の幻想が、ワーキングプアという定義を生む。
ゆうのを書こうと思ってて忘れてました。
文中にうまくはめるのも大変なので、ここに追記しました。


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