今日、1月11日は鏡開きです。
みなさんお餅は食べましたか
鏡開き・鏡割りとは、正月に神や仏に供えた鏡餅を下げて食べる、日本の年中行事であり、
神仏に感謝し、またその供えられたものを頂いて無病息災などを祈って、汁粉・雑煮などで食すものです
江戸時代、新年の吉日に商家では蔵開きの行事をしたが、武家では鎧などの具足に供えた具足餅を下げて雑煮などにして食し
これを「刃柄(はつか)」を祝うといった。
女性が鏡台に供えた鏡餅を開く事を「初顔」を祝うといった。
この武家社会の風習が一般化したものである。
江戸城では、重箱に詰めた餅と餡が大奥にも贈られ、汁粉などにして食べたそうです。
刃物で餅を切るのは切腹を連想させるので手や木鎚で割り、「切る」「割る」という言葉を避けて
「開く」という言葉を使用する(「開き」は「割り」の忌み言葉)。
鏡は円満を、開くは末広がりを意味する。
また、鏡餅を食すことを「歯固め」という。
これは、硬いものを食べ、歯を丈夫にして、年神様に長寿を祈るためという。
鏡餅の割れ方で占いをする地域もあり、「鏡餅の割れが多ければ豊作」と言われている。
武家の具足式を受け継ぎ、柔道場・剣道場などでは現在も鏡開き式を新年に行なうところもある。
一般的には、年神へのお供えが松の内(1月7日)に終わったあとの1月11日に行われる(土日祝日などにより異なる場合もある)。
元々は松の内が終わる小正月(1月15日 (旧暦))後の1月20日 (旧暦)に行われていたが、徳川家光が亡くなったのが
慶安4年(1651年)4月20日 (旧暦)であったため、1月20日を忌日として避け、後に松の内後の1月11日 (旧暦)とされた。
グレゴリオ暦(新暦)になった現在、松の内が1月15日の地方では1月20日(二十日正月)に行われる。
京都府や近隣の一部では、1月4日に行なうが、その理由は明確とはなっていない。
このような由来があるそうです。
弊社でも本日、鏡開きを行いました
今は、小分けにされたお餅が鏡餅型のパックに入っているので餅を割る(切る)作業がありませんでしたが
こんな感じ
↓
お汁粉や焼き餅(いそべやきな粉)でおいしくいただきました
↓
大分店 かわの
みなさんお餅は食べましたか
鏡開き・鏡割りとは、正月に神や仏に供えた鏡餅を下げて食べる、日本の年中行事であり、
神仏に感謝し、またその供えられたものを頂いて無病息災などを祈って、汁粉・雑煮などで食すものです
江戸時代、新年の吉日に商家では蔵開きの行事をしたが、武家では鎧などの具足に供えた具足餅を下げて雑煮などにして食し
これを「刃柄(はつか)」を祝うといった。
女性が鏡台に供えた鏡餅を開く事を「初顔」を祝うといった。
この武家社会の風習が一般化したものである。
江戸城では、重箱に詰めた餅と餡が大奥にも贈られ、汁粉などにして食べたそうです。
刃物で餅を切るのは切腹を連想させるので手や木鎚で割り、「切る」「割る」という言葉を避けて
「開く」という言葉を使用する(「開き」は「割り」の忌み言葉)。
鏡は円満を、開くは末広がりを意味する。
また、鏡餅を食すことを「歯固め」という。
これは、硬いものを食べ、歯を丈夫にして、年神様に長寿を祈るためという。
鏡餅の割れ方で占いをする地域もあり、「鏡餅の割れが多ければ豊作」と言われている。
武家の具足式を受け継ぎ、柔道場・剣道場などでは現在も鏡開き式を新年に行なうところもある。
一般的には、年神へのお供えが松の内(1月7日)に終わったあとの1月11日に行われる(土日祝日などにより異なる場合もある)。
元々は松の内が終わる小正月(1月15日 (旧暦))後の1月20日 (旧暦)に行われていたが、徳川家光が亡くなったのが
慶安4年(1651年)4月20日 (旧暦)であったため、1月20日を忌日として避け、後に松の内後の1月11日 (旧暦)とされた。
グレゴリオ暦(新暦)になった現在、松の内が1月15日の地方では1月20日(二十日正月)に行われる。
京都府や近隣の一部では、1月4日に行なうが、その理由は明確とはなっていない。
このような由来があるそうです。
弊社でも本日、鏡開きを行いました
今は、小分けにされたお餅が鏡餅型のパックに入っているので餅を割る(切る)作業がありませんでしたが
こんな感じ
↓
お汁粉や焼き餅(いそべやきな粉)でおいしくいただきました
↓
大分店 かわの