昨日のWBC準決勝。
これ以上無いような劇的サヨナラ勝ちで侍ジャパンが決勝に進みました。
先発の佐々木朗希投手は3ランを打たれはしましたが、最高164キロの速球で
先発投手の役割を果たしてくれました。
前回登板は3月11日でしたが、その日の12年前の佐々木投手は岩手の陸前高田市で
東日本大震災に被災し、父と祖父母を亡くした、まだ9歳の小学生でした。
あれから12年、天国のお父様もWBCのマウンドに立つ息子の姿が誇らしいと思われている事でしょう。
私の好きな将棋界にも、震災を乗り越え念願のプロ棋士編入試験に合格した
若者がいるので紹介したいと思います。
その人は小山怜央さん(29歳)岩手県釜石市の出身。
将棋を小学2年生で始め、地元の将棋教室に通い、プロ棋士を夢見て中学3年生で
プロ棋士養成機関の奨励会を受験するも不合格。
その後も将棋を続けますが釜石高校在学中に東日本大震災が発生。自宅が津波で流され
母校で開設されていた避難所で5か月間を過ごします。
その後も仮設住宅でネット将棋を指し続け、岩手県立大学の時に学生名人戦と
全日本アマチュア名人戦で優勝し、そこで再度奨励会の三段編入試験を受けましたがそこでも不合格。
その後は大手企業の関連会社に就職し、社会人として将棋を指し続けますが、
プロ棋士への夢を諦め切れず、仕事をしながらでは将棋に没頭できないと会社をやめ、
知り合いの将棋教室のアルバイトをしながら将棋大会に出場し続け、
プロ棋士相手に直近10勝、勝率6割5分以上の編入試験条件を満たし、
先月五番勝負を3勝1敗で勝ち越して晴れてプロ棋士の仲間入りを果たしました。
そして、奨励会を経験せずプロ棋士になった初めての棋士となりました。
2度の奨励会不合格、津波で家を流されるという不幸にも負けず、安定した職を辞め、
背水の陣で臨んだプロ棋士への情熱、頭が下がります。
将棋界は、藤井聡太6冠の華々しい活躍もありますが、このような人間ドラマも生まれています。
今後は小山プロも応援していきたいと思います。
「脱サラしてプロ棋士へ」詳しくはこちらをクリック
SEKAI NO OWARI「サザンカ」
侍ジャパン頑張れ
別府店 カマフチ