『支蘇路ノ驛 浦和宿 浅間山遠望』
天保6年(1835年)、渓斎英泉 画。
暑さはまだ続いているが夜はやっとエアコンをつけずに寝られるようになった。
ウォーキングマップのほうは、いつの間にか東海道三条大橋宿に達して、
再び日本橋を振り出しに中山道六十九宿の内三番目の浦和宿に入っている。
五街道スタートからの距離 520.12㌔
ゴールまでの距離 1063.58㌔
浦和宿
中山道六十九次の3番目の宿場。
宿場ではなく市場として発展した浦和宿では、毎月2と7の日に市が開かれ、賑っていた。
徳川将軍家の鷹狩りの休泊所は雅名で「御殿」と呼ばれたものであるが、
当時の浦和宿の中心地であった常盤町には早期の御殿である浦和御殿が設けられていた。
このことが、浦和宿の興りとされた。
天保6年(1835年)、渓斎英泉 画。
暑さはまだ続いているが夜はやっとエアコンをつけずに寝られるようになった。
ウォーキングマップのほうは、いつの間にか東海道三条大橋宿に達して、
再び日本橋を振り出しに中山道六十九宿の内三番目の浦和宿に入っている。
五街道スタートからの距離 520.12㌔
ゴールまでの距離 1063.58㌔
浦和宿
中山道六十九次の3番目の宿場。
宿場ではなく市場として発展した浦和宿では、毎月2と7の日に市が開かれ、賑っていた。
徳川将軍家の鷹狩りの休泊所は雅名で「御殿」と呼ばれたものであるが、
当時の浦和宿の中心地であった常盤町には早期の御殿である浦和御殿が設けられていた。
このことが、浦和宿の興りとされた。