Zen禅

心理学に基づく坐禅の研究-心の風景を眺め、流れていく気持ちの音を静かに聴く(英訳)

Aging of body and mind体と心の老い

2019-07-27 | 生き方

年を取ると人は、心はまだ若いと言い始める。

As people get older,

they begin to say that the mind is still young.

私が若かった時、そのような言い方を聞くと

言っていることと実際見えたことに矛盾があって

違和感を覚えた記憶がある。

I felt discomfort when I heard this in my youth

because there was a contradiction

between what they were saying and what I actually saw.


50代になってみて、

“私の体と心は今も若いか?” と問うてみる時がある。

Now I am into the ’50s, I sometimes ask myself,

“Are my body and mind still young?”

そうしたら、決まって苦笑いが漏れて、

ハア~とため息が出てしまう。

Then, without doubt,

there comes out a bitter smile and a sigh with haaa~~

何故なら、明らかに身も心も共に老いているのが見えて

どちらも若いとは決して言えないからである。

Because I can clearly see both my body and mind are aged

so that I never can say I am young or which part is still young.


しかし、どうして人は“心はまだ若い”と言い切れるだろうか?

But how come people declare

“My mind is still young”

そう言っている人を見るといくつかの共通点がある。

Looking at those who say so,

they have some things in common.


①彼らの体の老いは認めている

They acknowledge their bodies are aged.

②若い=良いという等式がある

There is a formula of Young = Good

③社交的で外向的な性格である

They are sociable and outgoing characters.

④楽しみや快楽を追う傾向が強い

The tendency of chasing fun and pleasure are strong.

⑤諦めていることと諦められないことに葛藤がある

They have a conflict with wanting to yield something,

but unable to give up anything.

⑥欲望に執着がある

Obsessed with desire.

⑦事実を直視するよりは自らの見方でものを観る

Rather than facing factors,

see everything with a narrow perspective.

⑧年相応の行動形式を持つ

Having appropriate behavioral patterns for their age.

⑨常識的な意見を言って、人との対立を避ける

Avoiding confrontation with people and say common sense.

⑩何かのことやものに拘る傾向がある

Have a tendency of cling to things and stuff.


以上の大まかな⑩項目は私個人の見方に過ぎず、

どこかでデーターを借りたり引用したりしていないため

間違っている可能性も高い。

Above 10 lists are only my personal view

and there is a high possibility that

they would be wrong because I do not borrow information

or quoted data somewhere.

だが、少なくても今まで見てきた人には

上記のような特色があったことは否定できない。

However, at least I can’t deny that

people I have seen before had the above-referenced features.


私の夫は4人兄弟中一番末子で、6才年上だが、

彼は一度も“心はまだ若い”と言ったことが無い。

My husband is the youngest of the four brothers

and six years older than me

but he never talked me like “My mind is still young”.

彼の兄弟も『自分の何かはまだ若い』みたいなことを話題にしたことは

あまり無かったような気がする。

Likely think that his brothers also never take a topic

about “Something in me is still young”

when we had the conversation.

兄弟全員、年を取っても加齢の良し悪しよりは

自分たちの仕事を全うすることに

全力が向いているように見える。

All of his brothers, even as they get older,

seem to be focusing on their works to complete

rather than pointing out aging is good or bad.

夫の兄弟は私が知っている限り、

上記にあげた⑩項目の特色が見えない。

As far as I know,

his brothers don’t have those ten features of listed above.

私も私が知っている限り、その特色を持っていないか、

または当てはまるとしても現著に現れていない。

Also in my case, I don’t think to have those features

but if I have some or apply for them,

it does not appear remarkably.


では明らかに年を取っていながら、

心はまだ若いと言うことに何の価値や意味があるだろうか。

Then, while they clearly look older,

what does it mean or put a value saying that mind is still young?

彼らは『心も共に老いている』ことを認めると

惨めになると思うのだろうか。

Would they be miserable if they admit:

Along with the body, the mind also must age.

もしそうなら、年を取る=惨めという等式が

心底にある可能性が高い。

If so, there is a high possibility in their deep mind,

they have a formula that Aging = Miserable.


あるいは、『見た目は年寄りでも中身は若者』ということで、

まだまだ活発に生きていきたい願望を言い換えしているかも知れない。

Or, with such catchphrase:

“older for eyes but younger for feeling”

they might have paraphrased the desire to still live actively.


私がこのような加齢の過程に

気が回り関心を持ち始めたのは40代後半からだった。

It was my 40’s when I began to have an interest

in the process of aging.

50代になった時は実際、加齢の速度が見えた。

When I got into my ’50s,

I actually visualized the speed of aging.

その加齢の速度は40代の2倍速になって、

昨日見えた自分と今日見た自分の体に変化が大きかった。

The speed of aging was doubled

compared with my 40’s

and the difference in changing body was significant.


53才になってみると心は明らかに老いてしまって、

何か新しいことを始めるのも面倒になっている。

At the age of 53, I found that my mind clearly got older,

so became tiresome starting something new.

体が楽になることを優先し、

立つよりは座って、

座ると横になり、

横になるとうとうとして眠ってしまう。

My body preferences to take easy,

sit down rather than standing,

when I sat soon to lie down

when lying down I be dozing off and fall asleep.


一旦寝るとそれ以上眠れない時まで眠り続けて、

その日やろうとした計画を明日に倒す。

Once I fell asleep,

I don’t wake up until couldn’t sleep anymore,

and the plan I tried to do that day was attached to tomorrow.

怠けの極致を維持している。

Maintaining the acme of laziness.


若かった時はこのような快楽中心の生活をしてなかったから、

怠け極まる生活をしていると罪悪感で心が重くなる。

I have not had such pleasant-oriented life pattern

like this when I was young,

so the extreme lazy days

linger to have guilt and it makes my mind heavier.

体が快楽な状態を好むようになると、

心も同じような働きをして楽になるたがる。

When the body has got fancy comfortably,

the mind also desirously to be as same as the body does.

面倒なことは避けて、簡単な方法を選ぶ。

Avoid the hassle and take an easy way.


そのように快楽になることの比重が多くなると、

体の脂肪の比重も重くなる。

If chasing-pleasure relative importance increased,

the fat rate of the body also increases.

結果的に体重は増え、

コレステロール値も倍増し、

二重顎になったが、それらに危機感が無かった。

As a result, gained weight,

cholesterol level got doubled,

my jaws also doubled,

but I still didn’t feel to have a crisis.


私がどれほど最悪な状態になっているか確認できたのは、

自分の写真を撮ってみた時であった。

It was when I took a look at my picture and could see

how horrible I became.

自分の老いた結果と締まりの無い表情に

心も老いているのが確認できた。

I was able to confirm that the result of how I aged

and my facial muscles were flabby

so obviously, my mind also got older.


その日、それらの結果を持って、

年取っている生物学的事実として受け入れるか、

或いはその自然の摂理に逆らうかを迷った。

On that day, I was wavering with those consequences

whether I accept my aging process as a biological fact

or disobey it against natural law.

私が太って醜くなっても夫は相変わらず、

“ハイーゴージャス”だと言っているから

まあ、いいかと甘んじるか。

Even though I got fat and ugly

my husband is still calling me “Hey, gorgeous”

so, if I would submit tamely to as I am.

別に人に好かれたい願望も無いから、

太ったっていいんじゃないか。

Say to myself, there is no particular desire to be liked by people

so I got fat or not it would be okay with me.

等など、ゴロゴロしながら

あれこれ楽な方向に考えていた。

And so on, I was thinking easy ways

while I lazed around.


しかし、諦めるには

理由や根拠が足りていないことに気がついた。

But I realized that there were not enough reasons

or grounds to give up.

私は100%私の意志で統制できないことなら諦められる。

I can give up upon

if something is 100% uncontrolled by my will.

1%の可能性が無いことに挑戦はしない。

I never challenge on something there is no 1% possibility.

だが、1%でも可能性があると諦められない。

But I can’t give up if there is even 1% possibility.


その1%に99%の努力をしたとき、

結果は常に良かった。

When I did 99% of effort on the 1%,

the result always good.

なので、厳密的に約3週間前から

全てに再挑戦を始めている。

So, strictly speaking,

I started to challenge again about 3 weeks before.


先ず、食習慣を見直し、

炭水化物と糖質摂水を控えた。

First of all, I reviewed my eating habits

and refrained intaking carbohydrate and sugar.

ストレッチを毎日して、脂肪が燃える動機を与える。

Doing stretch every day and motivating fat burning.

ストレッチがある程度進んでから、

筋肉強化の簡単な運動を始める。

When after stretching progressed,

started a simple muscle training.


そうしたら、たったの3週間で明らかな変化があった。

With such trying, there was a clear change in just three weeks.

可能性の比率が増えた。

The proportion of possibilities has increased.

これらも見えた事実を無視せず、

辛くても惨めでも受け入れるべきことを受け容れたからである。

I tried to change without ignoring facts

with I accepting what I should admit

even though they are painful and miserable.


老いていながら心はまだ若いと

嘘みたいなことを言っていると、体と心が分離する。

Body and mind would be separated

when say like a lie that mind is still young when aged.

同じ身体の中で、時間差が生じる結果になる。

It causes different time gap in the same body.

体は50年や60年を生きているのに、

心は20年しか生きていないと言っているようなことである。

It is like saying that one’s body lived 50 years or 60 years,

but mind lived only 20 years.

30年や40年の時間の経過を蔑ろにする偽りなのである。

It is slight to falsehood for time passing about 30 years or 40 years.


一つの身体は一つの時間の経過を持つ、

それが事実であり目に見える真実なのである。

One body has a one-time lapse,

that is the fact and the visible truth.



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16 Comments

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蓮さんへ: (keelong)
2019-07-28 03:04:52
何時も蓮さんのBlog中のThought & Sayingに対して、物凄く感心しているし、
本当に100% 尊敬します。 これからもそう と思っています (๑´ڡ`๑)

「年をとってからも心はまだ若い」は、私はそれが可能だと考えております。
本人がDesire (慾望)とHope (希望)さえまだもっていらっしゃれば…
譬えば、50歳、60歳を過ぎてもギターやピアノ、あるいはパソコン…等を勉強したくて、
実際にも実現をしていて、先生にや自習で勉強する事に。年を老いても愛情を求めて、
ワクワク結婚の相手を探しているし、等など…

個人的なThoughtですが~ 蓮さんなら、了解してくれますねぇ。 (笑)
返信する
ダイエット??? (田植え機に乗った元サラリーマン)
2019-07-28 05:42:19
 いつも楽しく読まさせて頂いています。
今回はひょっとして「ダイエット」のことでしょうか?
そうでしたら私も頑張らなければなりません。
私も随分歳を重ねて体も心もボロボロですが、そんな中で気づいたのはやっぱ大切なのはバランス
ですかねぇ、体も心もバランスよく老いていくのがいいかもです。どちらかに偏るとどちらかに
ズレが生じます。若く見られたいというのが人の常ですがある人に言われた言葉が記憶に残って
います、「自然に」。これがなかなか難しい、今もこの領域には達することが出来ていません。
スミマセンたわごとを、ではでは。
返信する
Unknown (月のような者)
2019-07-29 00:45:09
年齢不問で人間のやることは必ずマヌケ風になるんじゃないかと。結局常識の範囲内でやりたいことを続ければいいのではないでしょうか。続ければ上達というものがあるのですから。一生を通じた生きがいになるのですから年を取っても関係ないですよ。
若いからいいということはないですよね。若者文化といってもカルト宗教みたいなものでしょう。ダサく見えてしまうことにビクビク怯えている根暗な感じですよね。まともで面白い若者は変な影響を受けないでほしいなと願うばかりですね。
若い頃にあんな年寄りにはなりたくないと言っている人ほど、そんな年寄りになってしまう現象はなんなんでしょうかね(笑)阿弥陀様がありがたい、ナンマイダになってしまうのは体の老化で心が弱くなってしまうことと、その状態で際限のない無常を繰り返す世間に翻弄される恐怖を実感して殻に閉じこもってしまうからですね。結果的にこの世での成功体験をあの世に持っていきたいという心理が働くんですよ。
私が私の未練がましい心の動きを客観的に見てそれを粉砕し続けることができるかどうかは未知数ですね。これだけ情報がある時代でも現実を見るのが怖くて自前で変な物語を作って無理にごまかそうとする奇妙な人が多いじゃないですか。当然私もその一人だと思ってないといけない(笑)
おとつい浅草寺の境内で隅田川花火大会を見て、こないだは葛飾のやつをすごく近くで見ていたけど、正直自分というものは花火と同じだなと。どうせ幻だから究極的には消えたって大したことはないんだということですよね。妙に客観的になると自分の中にも日本人特有の死への憧れを見つけたような気もしましたね。日中戦争の従軍記を読むと、当時は飢餓に苦しんでいないということもあるけど、弾に当たって死ぬことはあまり怖がってないんですよね。軍国主義教育を抜きにしても、日本人にはどこかそういう傾向はあるんじゃないかと思いますよね。これは仏教への考察も関係していると思いますが、私も若さが剥がれ落ちてきたことによって自分の意外な実感が露呈した例だとも思います。
返信する
Unknown (🌙さんへ)
2019-07-31 17:48:06
自分と言うのは花火のようなものーこれには妙に納得できますね。

去年、夫の3番目の兄夫婦が来た時に
花火をいっぱい持ってきて
庭で花火大会をしました。
線香花火みたいな感じでしたけど、
その花火を見ながら
私の人生もこの花火そっくりだなと思ってました。

小さく燃えて、派手さも無く
あっという間に消える、幻のような、
虚しく、せつない、力の微びな...

ところで、月さんにききたいことがありますが、
答えたくなければスルーして構いません。

去年までか、恐山あれこれブログに
数は多くなくても何回かコメントしてましたよね?
今はすっかりそこでコメントしなくなったように見えますが、
何か理由がありますか?
これは以前から聞きたかったでしたが、
あまりプライベートだと思って...

追伸
若さが剥がれ落ちた、結構面白いですが、
凄まじい表現で、苦笑いなり。


返信する
Unknown (月のような者)
2019-08-01 22:19:04
ん、当時の南さんブログで起きていたやりとりは見ていなかったですか?
私のコメントが削除されたからですよ。問題のないコメントを削除されたのなら、基本的にそれ以上書くことはできないですよ。書いたら都合のいい存在になってしまいます。あの時は削除された後に南さんが輪廻論肯定派は意見を書いてくれと言っていたので補足的に特例で書きましたけど。南さんブログでは二度削除されたと思います。明らかに気まぐれな、もしくはセコさが透けて見える削除と掲載拒否なら一度でさよならパターンが多いのですがまあケースバイケースでしょうね。中には誤解や行き違いを避けるためというパターンもありますね。
南さんはああいう仏教論で妙に有名になってしまった弱みがあるんじゃないですか。そういう自覚はあると。禅というならなおさら嘘は通じないので、仏教の厳しいふるいにかけられると思わないといけないのですが、それが分かっていても要するに南流の穴が見えそうになるコメントが嫌だったんじゃないかと思いますよ。
私が南さんに要望することはグルイズムに繋がりかねない自分の状態を突き抜けてくださいということですね。道元教、南教、そういったものはダメなんです。ゴータマ・ブッダ教以外にないんです。はっきりと逆立ちしても勝てないからです。坐禅は人間の廃業、当たり前のことですから。人間が崖のような死に直面すること、人間がバカなこと、存在の光と影、ちゃんと知らないとブッダのお手伝いができません。そのために「廃業」という身の据え方をする必要があるんです。
もっと極端な例だけど、本当に即身仏になってしまった人の思いだって考えなければならないのです。彼らは残酷な残酷な境遇に陥った人の気持ちを誰が受け止めてあげるんですかとばかりに骸骨になったのです。ずっと氷の中で元の姿が保たれていた15世紀の女の子のミイラを見れば、繊細でリアルで暖かい命がこの世界でずっと危機に晒され続けてきたことが分かるんです。その女の子が恥ずかしさで顔を隠しても、君が赤ちゃんの時を知っているよ、顔を隠すところが可愛かったよ、とブッダのメッセージを伝えたいがための「即身仏」という行為だと言ってもいいのです。
ブッダの存在は即、リアリティのある幸福のシグナルです。信頼するべきはリアルの追求であると益々分かってくるのです。
返信する
Unknown (🌙さんへ)
2019-08-02 01:52:03
そうだったのですね。
南流の穴、種類は違っても私も少し感じていたので、暗黙の了解みたいに分かるような気がします。

その質問をした理由はありますが、
いつか書くか、書かないままにするか
今は決めて話す段階ではないかなと。

去年までは、私も南師とのある種の関りを感じてましたが、
今年入ってから『ある作家』のレベルに巻き戻そうかなと思っているところです。
ある作家とある読者、それだけのことですよね。

とにかく、このブログのコメント欄で
南師に関わるコメントをするのは
これで終わりにしますね。

月さんに聞きたいことは聞けたし、
そこで知り合ったコメンテーター達とは
そこが原因で、縁も切れちゃいましたし。

私も私のブログテーマの方向性を改める時期かなーと思ったり。

今まではSNSで、翻訳出版後の市場効果を狙って
無理矢理関連付けてきたのがありますが、
もうそれらに未練が無くなったし。

ゼロに強制的に戻された感じ、ですかね。
と言っても、質問に答えて頂き、ほんとにありがとうございました。



返信する
Unknown (月のような者)
2019-08-03 16:48:11
今日は江戸川の花火です。一人で行ってきます(笑)
板橋の花火もあるようですが、兄夫婦が小岩に住んでいた縁もあって江戸川の方を選択してしまうと。まあ人の波がものすごいので実際にはもうちょっと離れた場所から見るのですが。
姪が震災の頃に小岩で生まれたんですね。生まれる前の晩に明かりが制限された街を徘徊したことが忘れられないですよ。闇の中に雫の音がして一番弱くて一番強い力が波紋のように広がってくる感じがしました。
姪が八十代になる頃には私の母が百四十代、私も百十三歳(笑)まあ考えてみたら遠大な波紋ですよ。私もあの晩に計り知れない体験をしたんじゃないかなと思いますよ。我々は不思議な世界に生きているんですよ。
正直放射能のこともずっと引っかかっているんです。でも花火が見せてくれる「一瞬だけのリアル」がそんな不安を毎年回収してくれていたんだろうなと思います。
無限と瞬間の両方を考えていれば、0歳でも百歳でも大切なものは失わないと思います。
返信する
人生を渡る (榮久)
2019-08-04 07:01:35


健康に気を遣うのは
美学に反する
と思っていた
健康だっからというより
頑丈といった方がいい
では、健康とは
病気がない状態のことを言うのだろうか
病気とは何か
病名とは人間がつけたものであって
自然のものではない
病名をつけられて不安になったり
安心したりするのは
したがって不自然である
不自然であることは
不健康である
健康とは自然であるこという
体は自然だから
変化する、壊れる、やがてなくなる。

I am ready to die
返信する
Unknown (🌙さんへ)
2019-08-04 15:48:34
日本に住んでいた時は花火やらを検索して見に行ったりしました。
一人暮らしだったから、いつも一人でしたね、私も。
そうすると、人々は必ず写真かビデオを撮りますよね。
私はそんなのが煩わしくて、写真は撮らない派です。
画面を見ているよりは
実際見て記憶した方がいいと思うからです。

月さんも写真撮らないほうかなと。
そんな雰囲気。

最近は人類ができて、全滅する期間について考えたりしたので、無限と瞬間もそのはざまについた刹那かなと。
返信する
Unknown (栄久様へ)
2019-08-04 20:43:32
不健康とは体が正常に機能しない状態だと思います。

正常=異常なし
正常=機能している
正常=何かの妨げが無く全てがすべきことをしている
 
不健康≒異常がある
不健康≒健康な状態を保てない
不健康≒何かが妨げになって命が危機状態になる

美学とは
バランスの学とも言えるなら
病気=バランスが崩れた
なのでバランスの概念を定義しているから
不健康や病気を表現するのは
美学の領域に入れる、と思うのです。

死ぬ準備ができたーこれは何か切腹する前のケジメみたいな感じにとらえますね。
返信する

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