Zen禅

心理学に基づく坐禅の研究-心の風景を眺め、流れていく気持ちの音を静かに聴く(英訳)

Exalted or not 凛・非凛

2019-06-18 | 生き方

凛とした感じを放つ人がいる。

There is someone who gives off the dignified atmosphere.

そのようなしゃきっとした人に会うと私まで気が引き締まる。

When I meet the one who is steady, I get to feel tense.


凛としていると言える人には、

姿勢が正しく、

清らかな気品が漂っている。

Such person we can describe as exalted,

his/her having a correct position and serene dignity.

また、その人は厳かな雰囲気がまとっていて、

つつましい気高さが香水のように香り立つ。

Also, the person’s aura has an awe

and a halo of modest fragrances like perfume.


仕草も毅然としていて、

押しも押されもしないが

堂々とした威力も備え持つ。

With an imposing gesture,

the manner is neither obtrusive

nor obtrusively taken

but possesses bold authority.  


行いにはどっしりした重みがありながら、

重すぎず軽すぎずの無重力のような感じがある。

The behavior has a solid significance,

but it is not too heavy or too light

like weightless beyond gravity.


私は長年、どうやって

そのような特性がある人がいて

無い人がいるのかに変わらない関心を寄せている。

For many years, have been interested in

why someone has such specific individuality or others do not.  


そのような品性はどうやって養えるだろうか。

How to nurture for such personality?

どのように鍛えられて、どうやって身に着くのだろうか。

How to train it, how to personalize it?

 

ある人が品位よく、

気高くなりたいと願うならそうなれるだろうか。

If someone wants to be noble or decent,

can one be able to have it?



塾を経営していた時、

小学4年から入塾して中学3年まで通っていた生徒がいた。

When I was a school administrator,

there was a student who entered

at fourth grade of elementary

and stayed through his third grade of junior high school.

彼はサッカーが好きで、活発だったが、

勉強も次第にできるようになった。

He liked soccer and briskly did his club activity;

he came up steadily to get a good score for his study.


誰も認める努力をして偏差値の高い高校に入り、

入りにくい理科系の大学に進んだ。

He made efforts that everybody admitted

and could go to a higher level of high school.

And then he continued to a science university

which was hard to pass the exam.

大学生になって、講師としてまた塾に入った時の彼は

何か重みのような存在感があった。

He became a college student

and he started work at my own after school

as a part-time teacher,

and at that time I found his presence got heavier.


彼がなりたかった薬剤師になった時は

その重みがしっかりしてきたような感じがあった。

When he became a pharmacist as he dreamed,

his presence was afirmed.



友人の一人に上品になることに拘る人がいた。

There was a friend of mine who wanted to refined.

彼女は色白で、身長が高く、

プロポーションもモデル並みであった。

She had pale skin, tall,

and her proportion was like a model.

清潔な感じもあって、またきれいな女性であった。

She presented clean and also pretty.


だが、彼女が放つ言葉は

自分だけが万事の中心になっていて、

他人は彼女の付属物のような言い方で一貫していた。

But the words she spoke were self-focused for all

and treated others like her appendage.  

他人を貶し、

他人に無条件的な理解を求め、

他人の時間を無駄に使う傾向があった。

She denigrated others

while seeking unconditional understanding for her

and tended to use other’s time wastefully.


自分に対して自信感に溢れ、

自分がしたことを美化して絶賛していた。

She was overly confidence for herself,

admired what she has done to beautify.

自分に利得になると人と関わるが、

損になりえるような状況になるときっぱり縁を切った。

She kept the connection with people

who are advantageous for her

but cut the relationship without hesitation

when the situation inclined to be a disadvantage.


彼女はことばで人との関係を切り、

他人を悪者に仕立てたが、

彼女の血縁だけは絶対的な結束力があるようだった。

She cut off a relationship with people with words,

tailored others rascal

but seemed to have absolute cohesion

with relatives and her family.


その二人の例から、

外見からは気品を感じさせることは共通してみられた。

From these two examples,

the commonality was an elegance from outsides.

中身が極端的に違っているが、

ぱっと見た時は気品があるように見られた。

Their inner contents were extremely different

but with a brief glance,

they looked to have a dignified atmosphere.


前者は人格が知り亘った時、

より強い信頼感を持てる切っ掛けになるが、

後者は本当の性格が表れた時、

好意を感じていた人が背信感を感じるようになる場合がある。

The former one can be trusted stronger than ever

when one’s personality eventually has been well known,

but the latter one may have a possibility that

others favored feelings turn to betrayed.  

 

私は両者の例について良し悪しを判断したくない。

I do not want to judge good or bad for both examples.

どっちが正しいか誤りかも計りたくない。

I do not want to decide which one is true or false.

人が選ぶ価値観に判決を下したくもない。

I do not want to do a judicial decision making

 onto people’s value choice.


ただ、一瞬一瞬の選択が重なって凛とした人にもなり、

偽物にもなるということだけは

確かであると信じている。

But, I certainly believe that

the momentary choices that people make each time,

 are a link to dignity or fake pride.

 


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23 Comments

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (蓮(のしてんてんさんへ))
2019-07-12 07:30:09
恐らく、私がブログアップもしてなくて
コメントとかアクセス後とか残してなかったから
ご心配で来てくださったのでしょうね。

のしてんてんさまの綺麗に整頓されたことばを読むと
<凛と落ちた水面にいくつも波紋が広がります<
そっくりそのように感じます。

記事はあれやこれといっぱい書いてありますが、
どれもどうでもいいように思えて
アップしなかったです。
それだけのぐだらない理由で、
まあ、いいわけですけど。

そのうち、伺います。
返信する
Unknown (蓮(Vivaさんへ))
2019-07-12 07:23:59
お久しぶりです。

英語は始めた日から肉付き始めるのだと思ったりします。
勉強はしないで、ただ読んでいれば
自然に身に着くように
設計して書いています。

昔、英語勉強に苦しんだので、
無理なく観に着くように
意図して書いています。
返信する
Unknown (蓮(月のような者さんへ))
2019-07-12 07:20:22
ピカソの作品を載せた本を古本屋で買った日に、
パラパラその本をめぐったら
彼の天才的な才能にショックを受けましたね。

その本は今まで世に紹介されたり、
知られたりしてなかったので
余計に驚きました。

ルソーの全作品を見たことがないので
比べする立場ではないのですが、
芸術家は価値を判断するよりは
(絵の値段など)
彼らの作品が見る側にとって
何かを伝え、
何かを感じさせ、
何かを与えてくれれば
それが究極のやりがいになるでしょうね。

食べ物がまずい時は
体の中に毒素が溜まったサインです。

まず、解毒食べ物を取るか、
デトクスするか、
YouTubeでデトクスとか検索すると
凄い数で出回っていますよ。

私も同じ経験してましたんで、
初めてデトクスした時は
便(すみません)が黒いタールのように出ました。

偶に、あの時解毒してなかったら
その毒で間違いなく癌になっていたと思います。

私は週に一回は必ず解毒しています。
返信する
Unknown (月のような者)
2019-07-11 21:34:01
芸術をステータスの道具みたいに考えている人は当たり前のように下品でしょうね。芸術に愛情を持っていてほしいわけです。審美レベルの高い低いは関係ないんですね。理解があるふりをしてもエゴイズムから隔絶した愛情でなければ結局下品になるんです。
アンリ・ルソーが「上品だったか下品だったか」は微妙な問題です。頭はよくないし技術もなかったけど才能は突出していたんです。自分の才能をどのように解釈していたか、です。才能とは何か?という議論も呼び込む人です。結果的に人間とその可能性(才能)の神聖な戯れを最もプリミティブに見せてくれる人なんです。
ピカソはルソーに追い付くことができたでしょうか?ルソーを追うということは自らの世俗臭を突き付けられる過程を避けられないということです。自分の作品から生来の自己顕示欲を追い出す戦い…。やはり晩年の作品が一番いいと思います。理想を追い続けた崇高な画人であったという点はしっかり表記されるべきです。

今年の正月は発熱で大変でしたよ。なにがつらいって食べ物がまずく感じることですよ。コンビニの肉うどんを食べてもイマイチなのでもしやと思って体温を計ったら高熱ですよ。年末に死んだ祖母が私に与えた試練のようにも感じたし、祖母の悪あがきのようにも感じました。年末の壮大な夕空を見て、自分にとっての昭和が終わったのだと思いましたから。それぐらい呪縛力の強い人だったんですね。
体調が崩れるというのは必然的な拍子でそうなるんですよ。それを避けたいのは人情だけど、病むということは貴重な学びを得る機会にもなるんですよ。不調を避けることをやめてみることを提案します。
私の場合は発熱によって自分の方向性の再確認ができましたね。いかにストレスなしで、波風を立てずにイメージの伝達ができるか、です。この世界は見かけ以上に痛みとストレスに溢れています。世界が素晴らしく見えるのは健康な場合です。私のやるべきことは素晴らしくないこの世界で心のつかえを取ることかなと思っています。今まで自分がつらい時に一番私を癒やしてくれたのは自分が過去に書いた作品だったからです(笑)
返信する
Unknown (viva)
2019-07-10 11:45:11
ギリギリおはようございます。

ここはいつも凄いコメント数なので、
驚いていました。

凛としする。
素晴らしいです。

私には凛のリの🈑もないみたいです(・_・;)

最近、
本気で英語の勉強をと・・(おそっ!)
参考にさせて頂きたいです。

桂蓮様、宜しくお願い致します。
返信する
おはようございます (のしてんてん)
2019-07-09 08:36:26
凛として生きる。
憧れますね。

迷いがない。だから無駄がない。
迷いがないから、必要以上の欲がない。
迷いがないから、人の非難も気にならない。
褒め言葉にも心が動かない。
無駄がないから美しい。
美しいから新鮮だ。

凛と落ちた水面にいくつも波紋が広がります。
心にしっとりしみわたりました。

返信する
Unknown (蓮(月のような者さんへ))
2019-07-09 04:26:12
調子狂ってパソコン開けなかったです。
今日、一気に読みました。

更年期障害(怠け症状)ですかね。
気が緩んでしまって、中々引き締めることがむずいですね。

月さん、緩んだ気を緊張させる方法ありますか?
月さんスタイルだけでもいいので教えてください。

塾を辞めた時、何千冊の参考書を生徒(卒業生も含む)にあげたのでしたが、それは、人類を無知から救った?でした?

芸術を分かる人は品がありましかね?
今まで会った人で、芸術をあからさまに語る人は
土臭いというか、いもぽかったでしたね。
威張るというか、格好つけるというか。

逆に、美的センスが優れている人は
あまり美を語らなかったです。
美的センスというのも生い立ちの影響を100%受ける受け身ですよね。

今まで美的センスがあると思えるような人が
何人くらいいたのだろう。
あまり数えるほどしかいなかったと思います。

ところで月さんは
知識の美的センスがあると思います。
冷たく突き放した感じがいいのかな。

昨日は庭の剪定作業をへとへとになるまでやりましたけど、
庭が広いから前庭にか終わってなかったです。
枝を切って、
それを捨てて、
あれほどの肉体労働はなかったでしたね。
返信する
Unknown (月のような者)
2019-07-06 23:39:47
石川啄木ってずっと国語の授業で、人格は最低だけど最高のものを書きましたって言われ続けていることがすごいと思いますよ。まあ歪んではいたけど元々の人間のレベルは高かったのかなと。
石川啄木、中原中也、宮沢賢治、この人達が残したものはまさに日本語の聖典、汚れなき日本の心と言ってもいいものでしょう。中原中也は暴力的な危険人物だったけど(その中原の新しい背広をからかい、さらにボコボコにした太宰…人間失格…)、彼は宮沢賢治の本を古本屋で何冊も「救出」して知人に配った文化功労者なんです。
古本屋で価値あるものを目ざとく見つける小さい中原の姿が目に浮かぶと、自殺しないで生きてきてよかったとすら思いますよ。人間の世界には物凄いイマジネーションの流れがおそらく「実在」しますから、中原の悲しみもまだ生きているんですよ。それを自分が本当に受け止めているようなふしぎな感覚があるんですね。これってばかげて聞こえるかもしれないけど、人間なんて社会生活をするために初めから幻覚の中で生きているんだから、他人の想像力を馬鹿にできる道理はないじゃないですか(笑)
とにかく芸術が分かる人って本質的に品がありますよ。品があるってことは悲しみが分かるってことだと思いますよ。私の理解している悲しみもレベルの高いものだったらいいなと(笑)
仏道修行で自分を「消す」ことが最も着実な善行為であり幸福であることが論理的帰結になります。でも、ほとんどの人はそんなのできるわけがないでしょう?ウチの親に仏教を勉強しろと言ってもやるわけがないですよ。
だから基本的に石川啄木を読ませればいいんです。文化的な営みとは人の心のベクトルを善に向かわせることじゃないですか。最低の性格だったけど啄木の短歌はどうしても善の方に顔を向けちゃうんだよと。善の力は安っぽくないから信じてもいいんだよと。
返信する
Unknown (月のような者)
2019-07-02 22:31:39
品格とは違うかもしれないけど、夜道で突然自分のことをとてつもなく美しい人間なのではないかと感じたことがありますよ(笑)
私に密かに恋心を抱いていたけど言い出せなかった人達に、私は自分の一番旬な時期を捧げてオジサンになったのではないかと(笑)
去年のことだったと思います(笑)
返信する
どうかお大事に (月のような者)
2019-07-02 22:05:33
私が今まで付き合った女性の数は0ですね(笑)たまたま成り行きでそうなったとしか言いようがないでしょうね…。色んな事情はあるけど、私が将来に渡ってやりたいことは普通の女性の理解を得られないだろうなと早い段階で諦念していたことも事実でしょうね。十代の頃からおぼろげに将来をそう予測していた記憶がありますよ。よほど成功しなければ結婚はできないだろうし、それなら付き合ってもしょうがないだろうと。向こうの親御さんにも合わせる顔がないと(笑)
まあ色んな機会が整って相性のいい人に出会ったらとんとん拍子で行くんだと思いますよ。私は悩み多き俗物なんだから、もしや聖人みたいに根気のある女性が合うのかと。とにかく度量の大きい人でないと難しいでしょうね。
売れ線狙いというと語弊がありますが、一般受けしそうなものを書くことと私の作家性にはあまり矛盾がないのです。昔から今に至るまでの自分の作品を読み返すと、意外なほど「ノリがいい」のです。少なくとも日本人が伝統的に何を求めているかを無意識で理解しているからこそ出てくるノリのよさではないかと思います。結局自分は「大衆性」抜きには語れないタイプの人間であるならば、遠慮せずに普通の人にも分かりやすいものを前面に出して書いちゃえばいいのでは?と最近になって改めて思いました。
返信する
Unknown (蓮(月のような者さんへ))
2019-07-01 13:12:34
月さんは読みが深いですね。
深すぎるかも知れませんね。

男と女の相性とは何でしょうね。
私は過去に付き合った人が少なくて、
付き合ったと言えるほどの人は一人だけいましたが
(夫もそのことを知っている)
相性がいいと思ってました。

マイナス面とプラス面が凸凹でちょうど合った感じだったのかな。
しかし、今の夫と結婚してみたら
その人との相性とはまた違う相性があって
不思議な感じがしましたね。

月さんと相性が合う方は
恐らく、月さんがもっていない何かをもっている人かもですね。
私と月さんとの相性は
書き手、読み手とのバランスがいいから
良いといえるでしょうね。

月さんも相性のいい読み手が多くできると思います。
素直に書きたいことを書いて
それが読みたかったものになった時
人気はついてくると思います。

3年で私のブログが全何百万ブログの中で
平均2万の順位を維持できるようになったのも
私が書いたことが
読む人にとって、何らかの得になっているからだと思います。
売れる作家の共通点は
読んだ人が読んでから、読みたかったと思えることをかける人だと思うのです。
売れない作家は
人が読みたいものより自分が書きたいことを優先させる人でしょうね。
私の場合はその両者のケースに偏らないように
坐禅で中心をとっていることでしすかね。

追伸:夏風邪に気をつけてくださいね。
私はそれで調子くるっています。
返信する
Unknown (Unknown)
2019-07-01 03:39:57
初めまして。福井市在住の王島将春(おうしままさはる)と言います。

間もなく、エゼキエル書38章に書かれている通り、ロシア・トルコ・イランがイスラエルを攻撃します。そして、マタイの福音書24章に書かれている通り、世界中からクリスチャンが消えます。その前に、キリストに悔い改めてください。

管理人様が悔い改めたら、今までに坐禅を伝えてきた全ての人達に、キリストを伝えてください。なぜあなたほどの聡明な女性が、イエス・キリストを拒絶して、偶像礼拝(Idol Worshio)に捕らわれているのか分かりませんが、シンプルに両者を比較すれば良いのです。

キリストはあなたの為に死にましたが、道元はあなたの為に死んでいない。これが真実です。もうこれ以上の説明は必要ありませんよね。

キリストに立ち返ってください。世界中からクリスチャンが消える前に。あなたが「まだ猶予がある」と思っているなら、それは錯覚だ。キリストはすぐに来る。
返信する
Unknown (月のような者)
2019-06-29 09:04:59
自分の運と縁と業に反発して努力した結果大成功すれば、その人は有能だということだと思います。でも結果的にやっぱり運と縁と業に回収されていくのが人生なのでしょう。賢い選択はどうせ仏教ですね。仏教に徹することは難しいことですが。でも人間は弱くなって死にますから、なにもいいことがなくて人生を諦めてた人の方が執着から自由になれて楽に死ねるパターンもありますからね。死ぬ時は死ぬことが「人生の全て」になるのが実際ですから。誰が勝ち組になれるか分からないんですね。人生という嘘八百に気付いたり気付かなかったり(笑)
男性と女性を結び付ける最大の条件は相性だと思います。「好相性」とはあらゆる条件も思惑も無効化するんでしょうね。そんな人が見つかれば最も幸せなんじゃないでしょうか。ペアルックのお爺さんとお婆さんが手を繋いでウキウキ歩いていたので日本人としては珍しいなと思いましたね。それぐらい仲がいいというのは憧れですね。
どことなくドラえもん的な愛嬌がある女性か、小さくてネズミみたいで機関銃みたいに喋る女性が好きなんです(笑)しかも性格のいい世話好きで「実は資産家令嬢だった」らそりゃあ最高ですね。でもそんなことより私は売れるものを書くことを考えなければいけないんです。でもジャンプで連載している漫画家じゃないんだから「売ること」なんて私にとっては儚い皮算用になってしまいます。そもそも自分をなんでも対応できる器用な書き手だとは思っていません。自分に書ける(書くべき)ものを最高レベルに仕上げることを人生の唯一の目的とするぐらいの自覚はあるか、と自分に問うつもりでやることが私の「リアルな生態」だと言えるのです。
返信する
参考までに (蓮(月のような者さんへ))
2019-06-28 22:42:28
>資産家の女性に惚れられるという状況<
になるためには

①その女性が求める気質があること
②その気質が資産と交換できる価値があること
③交換できた時、その結果がその女性に利得をもたらすこと
④資産家の女性にとって、何らかの投資価値を有すること
⑤その女性を満足させるための技術を有すること
⑥その女性を持て遊べるほどの器量を有すること

大まかに要約してみました。
男子の立場なら女性が何を考えているか、分からないでしょうから。

あくまでも参考までですので、読み流しくださいね。
返信する
Unknown (月のような者)
2019-06-27 20:05:23
仏教では「世界」は否定されるけど、一方でネガティブ思考も重罪的なんです。世界への信頼感という言葉は微妙なニュアンスで成り立ちます。無条件の希望の存在を信じている、と言うべきかもしれませんね。
「エゴイスト」や「俗物」とは結局顔色の悪いニヒリストなんです。ニヒリズムを経由しているんです。それらと赤ん坊のナチュラルな生態は明らかに区別されると思います。
返信する
Unknown (月のような者)
2019-06-27 15:07:25
職場によって性格的な適性というのは出てくるものでしょうね。この場合裏切りというのがどの程度のことなのかは分かりませんが、性格傾向や品のあるなしに関わらず裏切る人は裏切るでしょうね…。
私にとっての親しみやすさとは愛嬌があるということと裏表がないということでしょうね。私が一番好きだった人はあまり愛嬌がなかったですけどね。でも基本的に印象がドラえもんみたいな女性が好きですね(笑)それは極端な言い方ですが、分かりやすい愛嬌があるって感じですね。そう、考えてみれば分かりやすさとかバランスのよさに惹き付けられる!ということですね。
それに私に対してなにも期待しない人がいいですね(笑)私は性格的に石川啄木と中原中也より破滅的でない分マシですと言いたいですね。でもそれだけですね。ストイックな生活をしている棒みたいな人間だけど、客観的に見て本当にただの棒なので期待するより助けてくれって感じです(笑)
一般的な傾向として男性には経済力を一番に求めるということは現実的に仕方のないことなのかなと思いますね。私は女性に対して私を裏切らないことを含めて私が望むもの全てを求めますが(笑)
お金に関しては、「マイペースな創作活動」を一生続けられたら、それが理想と言えば理想なわけで、資産家の女性に惚れられるという状況が全ての問題を解決するのになと(笑)
うーん、品のある人というか、個人的にはこの世界に対するどこかしらの信頼感がかいま見える人に価値を感じるんでしょうね。あなたが普段うなだれて歩く人でもあなたは本当は赤ん坊みたいに素晴らしいと。あなたが存在するだけでこの深夜放送みたいに寂しい世界も明るく素晴らしく見えるってことを教えたいわけですね。私はこれまでずっとそういう世界を書いてきたつもりなんですね。
返信する
Unknown (蓮(Keelong-sanへ))
2019-06-24 15:18:50
ブログ結構前から読んでましたけれど
日本語の文に外人訛り無かったと思いますけどね。

ブログやめないで欲しいですね。
外人だからこそ見える視点が私には新鮮に映りましたから。

通訳を添えるには結構時間がかかりますよね。
分かる人は分かります。
兎に角、コメントありがたく受取りました。
返信する
Unknown (蓮(月さんへ))
2019-06-24 15:12:48
人格は正に建築物で、建築基準法が定まったいる(?)かもです。

基盤は法律によって定まっているから
規格とおりに基礎を作っていないと
ちょっとの地震で崩れますよね。

そういえば、
私は結婚の前にも後にも
男子に品格を求めていなかったです。
経済力は求めましたけど。

塾の時は講師に品格云々で煩く指導してましたね。
品とはなんなのか。
どうやってやしなえるのかなど
男性、女性講師に結構説教してました。

その経験から
親しみやすい人は
裏切りも早かったでしたね。
慣れるとすぐに適当な仕事をして
生徒にも馴れ馴れしくなり
結局は首しないと塾が危なかったです。

親しみやすい人は
なめられやすいかもね。
返信する
初めまして!蓮さんへ: (keelong)
2019-06-24 13:12:15
随分前から、蓮さんからブログをフォローされて、私も蓮さんのブログをフォローしたが…
蓮さんにコメントを書くのは、初めてです。ゴメンね!自分のブログのコメントに対して、
返事しないよう、前から決めてあるので、理由は: いつでもブログを止めるつもりです。
そして、「Zen禅」Blogの日本語も、英語も私の母語ではないので、(私のBlogを見て
分かるように、日本語は下手で) もし失礼や変に書いたら、いけないと思ってるから。(笑)

時々「Zen禅」を拝見しますが、この“Exalted or not 凛・非凛”の題目に非常に目を引いた。
というのは、自分もそれぐらいなりたかったから、でも、覚悟したのが、「凛とした感じを放つ」事は、
やはり人の中身から自然に表面に表す事とも言えるかな~ 上のコメントの方が文書の中に
言った言葉:(親しみと常識と安心感の女子って理想的です)もいいですね(Nice Saying)。

何時も素敵な言葉で、有難うございます!
返信する
Unknown (月のような者)
2019-06-23 23:20:09
表面上の上品さと中身の乖離はよくあることです。表面さえ良ければいいと発想する人は一定の割合で存在し続けるという感じでしょうね。
なにかしらの品格とはあくまで人格のレベルとは区別される先天的な一要素だと思います。
一方で上品さを後天的に作り上げることも一応可能だし、それが上手い人もいます。しかし頭のてっぺんから足の先まで完璧にキメている人ほど余裕のない内心の自己評価の低さがひしひしと伝わってくるパターンが多いです。発想を人格の向上に転換することを求められても聞く耳を持たない人が多いと思います。そういう人は結局上品でもないしセンスもよくないですね。
日光東照宮よりも模型の建物が素晴らしいと思っているかのような印象さえ受ける人もいるのです。おそらく極端な表面主義の人の空っぽさとは、本当になにもないということではなく、そこには目を反らしたくなるような現金な発想以外なにもないという意味の空っぽさなのでしょう。
もちろん素晴らしい人格を賞賛する状況にも常にすきま風が吹いているものです。まさに人格は「構築物」なのです。戦争をやってはいけない理由は簡単です。様々に作り上げられてきた「人間性」が決定的に危機に瀕するからです。
とにかく私は女性に上品さも下品さも求めないですね。親しみと常識と安心感ですね。私を裏切らないオシャレ女子って理想的ですね(笑)
返信する
Unknown (栄久様へ(蓮))
2019-06-20 15:32:37
栄久様の曾祖母様の凛とした姿が浮かぶような
美しい文ですね。
栄久さまは凄く伝統的な家系の育ちですね。
育ちがいい人に共通することは『品位』ですかね。
栄久さまの文にそれが根底に流れています。

栄久さまの曾祖母に関したコメントを読んで
また、書いた記事を読み直したら
そう、曾祖母さまを想い描いた文のように
思えてきました。

曾祖母様のイメージだと
強いて言えば、
『静かな権威』ですかね。
返信する
Unknown (榮久)
2019-06-20 06:47:26
「凜」

凜 → 凛は俗字
さむい、寒さがきびしい がもともとの意味と
右半分の「稟」は身のひしまるさまを表す擬態語とあります

「リン」勇気凜凜 とか最近はあまり使いませんね
「勇気を貰った、元気を貰った」とか
何となく、浅ましい様な使い方が多いと感じています

凜とした人で想い浮かぶのは曾祖母
薙刀、お茶の小堀遠州流「稽古照今」を教えていました

その立ち姿背筋が天上から
糸で引っ張られたようで
また、その足運びで

おぼろ気に覚えていますが遠くからでも
おお祖母ちゃんだと わかりました
見習いたいと思いますが及びません

能の演者、居合いの方には
希に その立ち姿を感じる事があります。
もう 古語になっていくのかも知れませんね
返信する
Unknown (筆者)
2019-06-19 16:46:06
この写真は記事を投稿した時に
キッチン側にある横庭に出て撮りました。

本当はこれを書く意図は全く無かったのでしたが、
書いてあった下書きが気に入らなくなって
突如変更で、その日に思い浮かんだことを書いてみました。

記事に登場した薬剤師になった子とは
長年知り合って、妹さんも
小学5年から高校受験まで私の塾に通っていましたね。
その兄弟の母親とも長年知り合ってたから
家族くるみで全部関わってました。
この例は実の例ですが、

美人の女性のことは
知り合いの二人の女性を出して割った架空のものです。
でもその二人に共通していることを書いたから
全く架空ではなく、
その二人が多かれ少なかれ持っている素性を
纏めて書いたのです。
なので、どちらかの女性がこの記事を読んでも
自分と似ている他の人、であると思えるように書いたのです。
人を否定的に書きたくなかったので、

そうですねぇ、私は馬鹿正直なので、
上記の例の二人に
私が思ったこととか、感じられたこととかを
失礼にならない程度に言ってました。
結果的に、Aの人はそれで私との縁を切って、
Bの人はそれをきっかけに
進路変更ができたと言われました。

毎日、競争の全くないのんびりした生活を送っていると、
昔、私を自分に都合よく使ってたあの人は
今、何をしているのかなと呆然と思ったりします。
当時は、使われてあげるような気持ちでしたね。

彼女Aは自我が強すぎて
何でそこまで強く自我を満足させたいのかな、と
何故にそこまで自分の欲心を満足させたいのかな、と
結構考えさせられたことがありました。

彼女Aが計算尽くしで
私に要求してくることを
不思議に聞いていましたね。
そんなに計算してもばれないと思っている彼女をみていると、
哀れみもありましたし、
理解もできて、
人間の影の部分を観ているような
そんな気持ちでしたね。

その二人がこのブログを読むことは
完璧にあり得ないですが、
読んだとしても、自分を善人として自覚しているので、気が付かないでしょう。
ましてやキレイだと書いた部分には
自分のことだと推測するでしょうね。
皮肉を書いたことも気が付かないでしょうね。

キレイだと言われることが生き甲斐みたいだから
そこだけ取って、見る目はあるのね!と言われちゃいそうだし、
欲心が強いのも自分の強みの一つとして肯定的に考えているから、
実は手の打ちところのない人達だし、

まあ、私も人の皮肉なことを陰で書いて
うっぷん晴らしをしている暇人にすぎないでしょうね。



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