Zen禅

心理学に基づく坐禅の研究-心の風景を眺め、流れていく気持ちの音を静かに聴く(英訳)

私は何かWhat am I

2018-03-15 | 坐禅

私という生命体は何か。

What am I called as a life form?

生命体と言っても生きているかさえ実感が湧かないので

私が生命体であると決めつけるのは私以外の他人であろう。

Even though as said to be a life form,

it is hard for me to feel real whether I live or not,

so, it would be someone other than me to decide that I am as a life form.

 

確か私の生命体は主観的な嗜好を基盤に食し、

遺伝子の営みによって食したものを排泄し、

自らの生命を絶たない限り生命を維持している。

Certainly, my life form body eats foods based on subjective preferences,

do excretion what I ate with which operated by genetic system,

I sustain my life unless it exterminated by my own.

生物的な対象としての私は

動物や食物と何の違いがない生きものである。

As a biological subject, I am a living creature

which it does not have any differences from animals and plants.

動物でさえ食べ物に嗜好性があるから

好き嫌いが私と動物の隔たりであるとは思わない。

I don’t think that likes or dislikes make a difference

between animals and me,

because even animals have fondness for foods.

 

私は何が根拠で私であるだと決めつけているだろうか。

What would be basis for me to decide as being me?

遺伝子の情報やその組み合わせが私だとしたら、

動物が犬や猫になることを遺伝子で決まっているから

それも動物と変わらない要素であろう。

If the genetic information or its combination makes as what I am,

but cats and dogs are also determined by genetic to become,

so genetic information is not the indifference factor between me and animals.

 

私が血縁背景による身分の差で決まるなら、

動物も先祖の違いによって野生とペットに区別されているから

それも動物と基本的には類似している。

If I determined by which blood I am inherited and its background status,

but animals are also distinguished wild or pets by their ancestral differences,

so, I also have a fundamental similarity with animals.

 

もし私が経験によって定義されるなら、

それだけが動物と違う何か特殊な特色になるかもしれない。

If I defined by experience,

that might be the singular feature

that make a difference between animal and me.

個人史が他人と私を区別できる何かを決める構成要素になるかもしれない。

Personal history might be the components

which can determine to identify of me from others.

しかし、個人史は全て過去に存在しているので

今の時点からみると持っていることが見えない。

However, since all the personal histories exist in the past,

So, we can not see what we have from the present of view.

時間が経験を持つのであるからだ。

Because time has the experience.


また、経験は現在の解釈の見方によって

意識にのぼる度合いも変わってくる。

Also, experience comes to change how to be conscious,

depending on the current interpreter ways.

意識の仕方によって経験してきたことが違って見える。

The way how has been experienced,

 it looks differently by how to be conscious.

最近、私は幼年期の記憶が何故か意識に上ってきて

驚くことが多くなった。

Recently, I often surprised when my childhood memories

 have been coming up somehow to my conscious.

 

驚くのは40年の前のことを覚えている私の意識である。

What makes me surprised is my conscious

that can remember things 40 years ago.

仕事に追われていた時は一度も思い出したことが無かったことが

今になって水が漏れるように漏れ出しているようだ。

When I was chased by works

I never reminded the memories even at once,

and now it seems to start leaking out like leaking water does.

 

だが、その記憶に感情はもう結びついていない。

However, the memory no longer sticks with feelings.

事実だけが言語と部分的に結合して浮かんでくるのだ。

Only facts coming up which combined partially with language.

その度に私は『私を決めるのは何か』と思うのである。

Every when it comes I think

“What is it that determine as me?”

 

記憶の違いが私なのか、

経験の差が私なのか、

これからなる私が私であるようになっていくのだろうか。

Whether the difference of memory be me-myself?

Or the difference of experience be me-myself?

The me-myself which will be come from now on going  to be me?

 

これらの疑問が勢いを増して流れ出してきた。

These doubts began to flow with more vigorous momentum.

その勢いを止めることはできない。

I cannot stop those momentums.

呑み込まれないためには流していくしかないだろう。

In order not to be sunken, make ply it only.

その流す力が坐禅の無思考だろうか…

Maybe the ply kinetic could be the way of none-thinking in zazen…

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25 Comments

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (桂蓮)
2018-03-15 15:17:38
幼年期の記憶が突然暴れ出してきたことをエリックに話したら
彼曰く、最近通訳の勉強のために観ている韓国のドラマが起因で一過性のものだろうから
気にすることはないと言っていた。

思い当たることもあって
その記憶が浮かんでくると
そのまま通り過ぎていくのを待つことにしている。

不思議なことは
私の亡き父や祖母がブサンの方言やそのアクセントさえも
精密、且つ正確に思い出させることだ。

私はブサンで生まれたが、
幼年期はデジョンで過ごした。

デジョンの方言はゆっくりで
語尾が長く伸ばされ
よく蛇が塀を登っていく様子に例えられる。
だが、ブサンの方言は
大阪の方言のように高低が激しいので
ブサンから引っ越してきた頃は
笑いものにされていた。
なので、私はブサンのアクセントも
デジョンのノロノロな伸ばしもせず
標準語を使おうとした。

デジョンもプサンの方言やアクセントが嫌いだった。
その嫌いな偏見が
言葉にまつわる記憶を消したのか定かではないが、
今、それらの状況が
鮮明に浮かんでくるのだ。

返信する
Unknown (sure_kusa)
2018-03-15 17:00:36
ちょっとしたアクセントの違いまで見抜くって凄いし怖い ♪ ブルブル

自分は、関東・九州・北海道と転々としたんで、いろんな地方の訛りがごちゃ混ぜです。
よく「 あんた、どこの出身? へんな訛りあるね 」と言われます。

「 指回し 」ってヤツ、両手の指をくっつけてクルクル回すんですが、500 回位やったらその夜、不思議な夢を見ました。
小学校4年生の時の同級生全員のフルネーム・顔・声が鮮明に夢に出て来ました。
起きてからも1~2時間位、覚えてました。

桂蓮さまの経験と同じような体験だなぁと思いました^よ^( のしてんてんさまのパクリです ♪ )
返信する
Dr.Jerad Diamond博士に拠るノストロダム大予言!! (T)
2018-03-17 10:19:24
カルフォルニア大学教授の、生理学者・人類進化学者・文化人類学者の、
彼流『私とは何か?』説から導き出される論理の整合性では・・・
人類は西暦2050年迄に自業自得的に滅亡するとの悲観論を持つ様だ。

彼曰く、
Q.私は(私とは)何か??
A.非常に高度な知的生命体だ(=自己主張のゾンビ体!!)

命題;
高度な文明は長続き出来ない宿命がある。
150年持たない筈だ・・・(来週のNHKスペシャル『人の秘密』で詳説されるらしい・・・)
説明・・・1901年の高度文明開化開始から始まったが2050年迄には、究極の自己破壊(人類破壊)が起きるであろう。
殺戮・戦争・集団虐殺が人類の歴史であったが、
脳は人間同士争う宿命にある。
究極的戦争まで行くであろう!!
(これは、中野信子氏に拠る脳反応をみても、納得できる推論だ!!)。
返信する
吾輩はネズミである!! (冬目嘆石)
2018-03-17 21:41:03
吾輩はネズミである。
名前は有るが、だれもその名で吾輩を呼ばない。
聞けば、
恥じ入って(あるいは余りの怖ろしさに)痙攣をおこしてしまうからだろう・・・

さて・・・
なん千万年か前に、
吾輩の先祖の一派は
人間と言う生命体に変化して行ったが・・・、
私をそれを【進化】とは呼ばない。

人間はこの世で、
一番獰猛で野蛮な種族になってしまったからだ・・・

自我の肥大化とともに
自慢話(=自己高揚)に酔いつぶれて・・・
他者攻撃が先鋭化していって、
殺戮と戦争と集団虐殺にあけくれていったのだ。

そのくせ進歩した文明の利器を勝手気ままに
また、自堕落に
そして自己中さながらに使って来て、
自信たっぷりで
「自分は成功者だ」風を吹かして・・・

結局のところ
あと30年位もすれば、
自己崩壊を起こすと相場が決まってる・・・
ああ、なんと人間とは愚かなモノであることよ!!(歎)

・・・そのくせ自分では
賢く且つ正義の味方で在ると思い込んでいるんだから・・・
なんたるちあナンタルチア・・・いとナゲカワシ!!
返信する
日々新しく風が吹く者 (私は何者)
2018-03-18 02:05:47
姿勢や恰好や見てくれ不要
四六時中
一人静かに呼吸を感じ
生きとし生けるをこの身に実感す。

心には常に新しき風が吹く。
見るモノ聞く音すべてが
新たなお驚きとなって・・・

宇宙の神秘の中に
天上天我唯我独尊

吾、現実的に・・・
かつ実践的に・・・
日々、四六時中
タダタダ、只管打坐只管打坐!!
返信する
宇宙のチリに等しきモノ!! (何モノでも無い私)
2018-03-18 02:57:04
名前何て必要ない
自他の区別も何もない
「私」の定義も必要が無い・・・

ただただ、宇宙に漂うチリの如し!!


しかしそのチリは
清流と青空と、
そして太陽の光から生成された

青空の子である私
日光の子である私

宇宙を晴れ晴れと飛翔する
新しき風となって
風の流れに乗って・・・
夢はあら野をかけめぐる
返信する
Unknown (私は何か・・・本音と建て前)
2018-03-18 03:55:00
博愛主義で無我主義で自他の区別なし・・・。

かたや、
自由国家アメリカでは
何人殺されても銃乱射はなくならない。
自由な銃の安全装置の外し方をみずから取得する人で巷(ちまた)があふれる。

また独裁専制国家では
正義の御旗の元に、
血の粛清がまかり通る。
大衆は触らぬ神にタタリなしと
ただただ口をつぐむ。

どちらがホンネ、どちらがタテマエ??
人の本音と建前が、
やがて、
人間自身を滅ぼす。。。。
返信する
どうでもよい話。。。 (Nobody!!)
2018-03-18 04:55:02
私にとって・・・
私は何か?・・・何て
どうでもよい話!!

ただ単に
目は横にアリ
鼻は縦にあるに過ぎぬ。

日々是好日を感謝し
腹が減ったら喰らい
眠たかったら寝る!!

新しい風は常にささやき
草木の香りが心に沁みる
返信する
三つ子の魂百マデモ。。。 (私は釜山港(プサンハン)のカモメ!!)
2018-03-18 06:07:50
なんたる縁起!!今迄一度も聞いたことの無いBS『日本の歌』番組で、【プサン港へ帰れ】を聞いた。
59歳のキムヨンジャさんが歌っていた。
…演歌嫌いの51才強強のリンゴの木にも通じるモノか??
mmmmm、とってもいい歌なんだが・・・


リンゴの花咲く春になったが
あなたは帰らない
たたずむ釜山港(プサンハン)に
涙の雨が降る

熱いその胸に顔うずめて
もいちど幸せを
噛み締めたいのよ
トラワヨ プサンハンへ

逢いたいあなた
行きたくてたまらない あなたのいる町へ
さまようプサンハンは
霧笛が胸を刺す

きっと伝えてよ カモメさん
いまも信じて 耐えてるあたしを
トラワヨ プサンハンへ
逢いたいあなた
返信する
右脳と左脳が作り上げたゾンビ!! (私は誰か??)
2018-03-19 02:40:56
左脳的発達が極低レベルに在った、2500年前の時代では、
いかに覚者(=ブッダ)に先見の明があったとしても、
当時環境で結論を下した悟り・解脱・涅槃が
(現代情報・知識系を知れば)自分は如何に無明の塊であったか恥じ入るかも知れない。
「ああ~、おれってなんと無知のヤカラだったんだ」とか悟っちゃって・・・・

でもしかし

ジェラッド博士の「超高度文明は長続きしない(せいぜ150年間の寿命)」説を聞けば、

2500年毎の覚者(=ブッダ)も、
おおいに気を良くするかもしれない。
「ああ、やっぱり俺が正しかったんだ」とか????

さて、これからどう進む??
私ってなに??
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