Zen禅

心理学に基づく坐禅の研究-心の風景を眺め、流れていく気持ちの音を静かに聴く(英訳)

死、炭素への還元

2023-01-11 | 生き方

 

 

ワクチンが無かったら、

もうとっくに即死しているはずの者として

死ぬのはどういうことかについて

我流の所見をまとめてみることにした。

 

私は死への恐怖が無い。

恐怖より、死後残った者が背負う手続きなどが

煩わしいだろうと思う程度だ。

 

私が死んだら、夫が真っ先に困る。

私は死、そのものから分離されてしまっているが、

残った夫が私の死100%を背負うことになる。

死体の処理、役所の手続き、

警察の死因調査、遺品の処理、

銀行や各種アカウントの管理など、

全てを終えるまで悲しむ暇も無いだろう。

 

死は生きている間、

恐怖に怯えるだろうが、

ゆっくり構えるだろうが、結果は同じなのである。

お金持ちも貧乏も同じ結果でおしまいになる。

平等そのものなのだ。

 

なんていうか、私は自分に飽きてしまっているから、

自分に疲れを感じる時が多い。

そんな疲れがくる時は、坐禅をして、

バブルのような思案を鎮める。

言えば、死について冷笑的かもしれない。

 

コロナの症状で何十分間、

激しい咳込みをしている時、

死ぬ、死なない境界線があまりにも薄いことに驚いた。

息ができない、コントロール不可能な咳込みの中、

なにかの力で生かされていることに気がついた。

 

私を死なせないその力は、

ワクチンだったかもしれないし、

与えられた寿命だったかもしれない。

逆に、夫には私がまだ必要だったからかもしれない。

 

かと言って、私は、自殺願望や鬱は全く無い。

でも生きようとすがりついたことも無い。

死はただ自分という自我観念が消滅し、

一人の人体が死体になることである。

 

炭素から起因して、炭素に還元する。

炭素から始まり、炭素に帰化する、

それだけのことである。

 

 

補足など:

今回の記事に対する対訳は

コロナ完全回復したらアップする予定です。

英訳を意識しないで、

思ったことを自由に書けるのって

本当に気楽ですね。

今までは、自分が書きたいことも英訳を意識し、

頭の中で編集していたかもしれません。

書きながら母国語の韓国語とのバランスも

全く計算しなかったし、

頭に浮かぶことだけに集中できました。

コロナで皮肉にも

人の温もりを感じたことは予想外でしたね。

また、コロナで死も味わえたし、

生かされていることに感激、感謝することもできました。

不思議な世の中ですね。

 

 

 

 

 

 

Comments (13)
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