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少年カメラ・クラブ

子供心を失わない大人であり続けたいと思います。

OⅢフィルタに関する情報

2006-01-26 22:09:08 | 天体観測
目的:496nmと501nmのOⅢ線を選択的に見るためのフィルタ。

各社のフィルタの情報

BAADER PLANETARIUM(Kokusai) 半値幅6nm 透過率93% 11340円(送料含む)

Bandmate(Televue) 半値幅11~13nm BK-Glass 18900円

Astronomic(Kasai) 帯域幅16nm 最大透過率96% 17000円

BADDER PLANETARIUMの数値は、メーカーHPの言葉が読めないので数字だけを拾ったもので、厳密に帯域幅や透過率かは分からない。5nm離れた二つにピークを見るための半値幅が6nmというのは少し狭すぎる気もするが、スペクトラムもちゃんと出ているし、性能的には問題なさそうというのが僕の印象。

確実さとあいまいさ

2006-01-25 23:16:19 | 哲学
例えばインサイダー取引。なんでこれをやっちゃまずいのか。それは、確実な情報によって確実に儲かるから。普通それを人はずるいというが、ずるいのはなぜダメなんかという説明がない。ズルはだめ、それだけだ。

僕は確実さが高まれば高まる程、神様はその存在を許さないのではないかと思う。絶対儲かる株式投資とか絶対正しい宗教とか、なんでも確実さが高まれば高まるほどそれは危険な存在となっていく。

逆にあいまいであればあいまいであるほど、どこにでも転がることが可能になる。それは白色雑音のような意味のない世界だ。

意味のない世界に確実さを持ち込むためには大きな力が必要になる。混沌の海から離れれば離れるほど、それは存在が難しくなるのである。人類が築き上げた文明というのは、そうした白色雑音の中に確実という意味を持ち込むプロセスの連鎖の結果なのだと思う。

補助線について

2006-01-24 12:37:09 | 哲学
補助線ってご存知だろうか。学校の数学で幾何の問題を解くときに、実際にはかかれていない線を書き加えることによって解への道筋をつけるあれである。私は、中学校で始めて幾何を習ったときの担当の先生との相性が悪く、それ以来幾何学なるものがずっと苦手なので、正直補助線と聞いただけで頭の中にアドレナリンが出てくるのを実感できるくらいある。そのくらい幾何学が嫌いだった。

まあ、先生との相性が悪いというのは言い訳に過ぎないわけで、私の精進不足が根本的な原因であることは言うまでもない。まあ、それはいいとして補助線って一体なんだろうとということをちょっと考えてみたいと思う。

幾何学での補助線というのは、なんとなくひらめきみたいなものが必要で、目の前の三角形のなかに、スーッと一本の線を加えることによって、あぶり絵を見るようにその図の中に隠されていた意味が浮かび上がってくる。きっと幾何学の得意な人は、その感覚がなんともいえない快感なんだろうなあなどと思ったりする。でも、補助線というのは実はそういう天才的才能を必要するものばかりではないらしい。

例えば、地球上の場所を特定するための緯度や経度を考えてみよう。いまどき赤道を通った時に本当に赤い線がないといって嘆く人はいまいが、もちろん緯度や経度というのは実際に存在する線ではない。お約束事によって人間が勝手に引いた補助線なのだ。つまり地球上のどこに自分がいるかということを他の人と理解しあうために補助的に引いた線の集まりが緯度や経度の線なのである。緯度や経度という概念がないとき、地球上にいた人々はただ群れていた。遠くにいる人やずっと北の寒いところにいる人は、ただ遠くにいるという以上の意味を共有することはなかった。その補助線を引くことによって、その遠さに「どのくらい」という数値的な意味が付加されたのである。

なんでも、経度を決めるときに経緯0度をイギリスのグリニッジにするかフランスのパリにするのかで論争があったらしい 。結局グリニッジになったことは皆さんご存知のことと思うが、今から考えるとどこを0度にしようが地球が丸いことには変りはないのだから、そんなことどうでもいいことと思われるに違いない。でも当時は国家の威信をかけた大論争になっただろうこともなんとなくわかる気がする。たかが補助線、されど補助線である。

さて、そろそろまとめよう。ここで何が言いたかったか。私は世の中の良い事や悪いことを決める判断基準というのは、この補助線みたいなもんではないかと思うのだ。良いことと悪いこととの判断基準は、言ってみればどこを経度の0度にするかというような極めて恣意的な決め事によって判断されているに過ぎないと思うのである。今日正しいことも明日はどうなるかわからない。それは経度の基準がグリニッジからチバケンに移ったくらいの話にしか過ぎないのである。

でも、補助線がなければ人々はコミュニケーションする事が出来ないことも事実である。地球は丸いというだけでは飛行機も飛ばせなければ船も運航できない。意味なんか全然ない補助線が全ての意味を作り出している、ちょっと面白いと思うのだがどうだろうか。

M41

2006-01-23 23:56:51 | 天体観測
Televue 85+ Nagler V 16mm

ここしばらく雪がふったり猛烈に寒かったりで、しばらく観測をお休みしていた。今日も寒いことに変わりはないが、ベランダにちょこっとエイティファイブを出して観測した。M41はシリウスのあるおおいぬ座にある大きな散開星団。いろんな色をした星々が宝石箱をひっくり返したように散らばっている。スケッチ左上に向かって星が連なっている様子がちょっとそらし目を使うとわかる。

子供が中学に一校うかった。第一希望ではないけれど、一応一安心。よくがんばったね。星達も微笑んで祝福してくれているように思えたのは、親ばかだけのせいでもあるまい。

雪だるま

2006-01-22 16:31:48 | 写真
MINOLTA SR101 MC ROKKOR-PG 50mm F1.4

久しぶりの大雪で子供は大喜び。雪だるまを作りました。ちょっとスキャンをしたときにいじったのではっきりしないけど2液現像法で現像したフィルム。粒子が細かい感じがする。