別に天体のことを良く知らない人でも天動説と地動説の話くらいは知っているだろう。古くから信じられていた天動説(地球が動かないで空の星々がその周りを回っているという考え方)に対してガリレオが地動説を唱えたんだったと思う。今では小学校の子供だって地球が太陽の周りを一年かけて回っていることくらい知っている。平らな地面をゾウさんが支えている地動説を今でも信じているなって言ったら、きっと周りからばか者扱いされてしまうだろう。もちろん私だってそういうことだと思ってきた。
しかし、最近読んだ本 の中に必ずしもそうじゃないんじゃないのという話を見つけた。まあ、その本も安倍晴明の陰陽師の話なんかが書いてある本なので、そもそもそんなところから話を引っ張ってくるのがおかしいといわれるかもしれない。でも、その本に書いてあるお話は極めて真面目である。つまり、天体の運動において地球や太陽は「何に対して動いているか」と言う点がはっきりしないという点に落とし穴があるというのだ。確かに今の科学の枠組みの中では、地球が太陽の周りを、そして太陽が銀河系の周りを動いていると考えた方がすっきりと表現できることは理解できる。しかし、だからといって本当に地球が動いていることの保証にはならないのではないだろうか。地球とともに動く座標(つまり私達が地上から観測するように)を基準にとれば、確かに地球は止まって見えるのである。このことに何らのウソはないではないか。それこそまさに天動説そのものなのであって、こういうアイデアを否定することこそ非科学的であると筆者は指摘しているのである。
科学万能の今の時代、人々は科学法則に支配された絶対に動くことのない座標軸を無意識のうちにイメージしている。だから、その軸に対して地球は動くのである。でも、そんな絶対的な価値観が本当に絶対的なものなのかどうかが、また揺らぎ始めているのではないだろうか。そして、多分そういう絶対的な真理というのは実は存在しないということを我々は少しずつ思い出し始めているのではないだろうか。きっと、こういうことって人類の歴史の中で何度も繰り返されてきたに違いない。忘れては思い出しの繰り返しを。
何かの大きなトラブルに直面して人々は絶えずその答えを探し求めてきた。そして、「これこそは」という方法を見つけてきた。20世紀の人類にとってはそれこそが科学だったに違いない。でも、それは万能の神ではないのである。探し求める答えの一つに過ぎないし、またそれは絶対的な答えでもないのである。そのことに我々は社会全体としてだんだん気付きつつあるのではないだろうか。
それはビジネスにおいても全く同じだろう。IT技術や金融工学などを利用した新ビジネスは、古い企業に対して圧倒的な優位性を示し、ついにはそうした古いタイプの企業を淘汰していくと思われた。いや、まさにそうしたプロセスが目の前で進みつつある。でも、そんな新しいビジネスモデルだって完璧ではないのである。そういう謙虚さを失ったときに天からしっぺ返しをくらうんだろうなあと思った。
しかし、最近読んだ本 の中に必ずしもそうじゃないんじゃないのという話を見つけた。まあ、その本も安倍晴明の陰陽師の話なんかが書いてある本なので、そもそもそんなところから話を引っ張ってくるのがおかしいといわれるかもしれない。でも、その本に書いてあるお話は極めて真面目である。つまり、天体の運動において地球や太陽は「何に対して動いているか」と言う点がはっきりしないという点に落とし穴があるというのだ。確かに今の科学の枠組みの中では、地球が太陽の周りを、そして太陽が銀河系の周りを動いていると考えた方がすっきりと表現できることは理解できる。しかし、だからといって本当に地球が動いていることの保証にはならないのではないだろうか。地球とともに動く座標(つまり私達が地上から観測するように)を基準にとれば、確かに地球は止まって見えるのである。このことに何らのウソはないではないか。それこそまさに天動説そのものなのであって、こういうアイデアを否定することこそ非科学的であると筆者は指摘しているのである。
科学万能の今の時代、人々は科学法則に支配された絶対に動くことのない座標軸を無意識のうちにイメージしている。だから、その軸に対して地球は動くのである。でも、そんな絶対的な価値観が本当に絶対的なものなのかどうかが、また揺らぎ始めているのではないだろうか。そして、多分そういう絶対的な真理というのは実は存在しないということを我々は少しずつ思い出し始めているのではないだろうか。きっと、こういうことって人類の歴史の中で何度も繰り返されてきたに違いない。忘れては思い出しの繰り返しを。
何かの大きなトラブルに直面して人々は絶えずその答えを探し求めてきた。そして、「これこそは」という方法を見つけてきた。20世紀の人類にとってはそれこそが科学だったに違いない。でも、それは万能の神ではないのである。探し求める答えの一つに過ぎないし、またそれは絶対的な答えでもないのである。そのことに我々は社会全体としてだんだん気付きつつあるのではないだろうか。
それはビジネスにおいても全く同じだろう。IT技術や金融工学などを利用した新ビジネスは、古い企業に対して圧倒的な優位性を示し、ついにはそうした古いタイプの企業を淘汰していくと思われた。いや、まさにそうしたプロセスが目の前で進みつつある。でも、そんな新しいビジネスモデルだって完璧ではないのである。そういう謙虚さを失ったときに天からしっぺ返しをくらうんだろうなあと思った。